村上陽一郎

村上陽一郎

1945年8月6日、原爆が投下された直後の広島県産業奨励館。のちに原爆ドームと呼ばれるようになる。

(写真:Everett Collection / shutterstock

戦争を語り継ぐ

日本の歴史が大きく動いた1945年8月15日。それから77年が経った今、戦時下での暮らしを経験した科学哲学者は何を思うのか。村上陽一郎氏の言葉を紹介する。

Updated by Yoichiro Murakami on August, 15, 2022, 4:00 am JST

毎日が死と隣り合わせだった

八月十五日がまた巡ってくる。夏の陽があまりにも鮮やかだったあの日、小学三年生の私は、母、姉、叔母、従兄と、疎開先の農家の縁先に座って、玉音放送なるものに耳を傾けていた。さっぱり判らなかったが、海軍軍医だった父親を通じて、二つの都市の攻撃に使われた「特殊爆弾」の話も耳に入っていたし、戦争継続の力が全く残っていない日本の状況も聞かされていて、ごく近いうちにこの日が来るだろう、いう暗黙の了解も共有されていたので、特段の愁嘆場もなく、借りていた農家の蚕室の住まいに戻った。それまでに、戦前からの東京郊外の住居では、四メートル弱の道路を隔てたお向かいの家族が、たまたま防空壕を離れていたご主人が瀕死の重傷を負われた以外、防空壕への五百キロ弾の直撃で全滅され、そこで初めて、亡くなった人間に出会う体験から始まって、疎開先の寒川町郊外では、小学校の授業途中で、艦載機の襲撃が日課となり、学校からの帰路、田んぼのあぜ道で、毎日、地上すれすれに降下、銃撃を繰り返すグラマンを、ただただ伏せてやり過ごす、という体験も重ねた過去を持つ。その頃は、毎日が死と隣り合わせだった。

しかし、このような体験は、生き残った同時代の人なら誰もが等しく持ち合わせているもので、その上に、東京でも大空襲で焼け死んだ人々、広島・長崎をはじめ、諸都市の空襲で惨死した数知れぬ人々が歴史に埋もれてきたのである。あまつさえ、あの八月十五日をはるかに過ぎてさえ、ソ連の戦闘行為の無法な続行による死傷者、シベリアで無残に抑留死させられた死者たちがあったのである。

語り継ぐべき記憶が、悲惨さ、残酷さだけというのは間違っているのでは

戦争体験を語り継ぐ、戦争体験を風化させない。様々な場所で、しばしば出会う表現である。慥かに、戦争は悲惨、罪深い。人々を死に、苦しみに追いやる。その一つ一つの体験を人間は、常に忘れるべきでない。当たり前だ。とりわけ、広島や長崎での原子爆弾のもつ罪悪性については、語り継ぐ人々の言葉もさることながら、残された映像の持つ力の大きさが、きわめて大きいことを思い知らされる。
しかし、それでも人間は、その歴史の中で、戦争の絶えた時間をどのくらい持つことができただろうか。同種間で、仲間を殺戮しようと、これほど懸命になって、努力し続け、実行し続けてきた生物は、人間だけである。時には、人間は過去に学ぶことにおいて貧しい能力しか持たないこと、それを将来への戒めとすることの少なきを思わざるを得ないのでもある。

孀婦岩(そうふがん)
孀婦岩(そうふがん)。伊豆諸島最南端に位置する岩で、孀婦とは寡婦の意。

抑止力と言えば、核兵器が、言わば最終兵器として登場したのが一九四五年。「最終兵器」、つまり「今後永久に使われずに存在する兵器」とされたのは、それが交戦国同士で戦力として利用され始めたときには、人類は滅びる、という事態が現実味を帯びるからだ。その認識が、「核抑止力」という一種の理念になった。アメリカが対日戦で核兵器を使用し得たのは、あるいは、それが兎に角、戦争を終結に導き得たのは、この戦力が一方にあって、他方になかったからである。朝鮮戦争で、マッカーサーが核兵器の使用に踏み切る道を選ぼうとしたときにも、同じ論理が働いていたからだろう。トルーマンが彼を更迭したのは、様々な政治的思惑が働いた結果だろう。

今、ウクライナ戦線で、ロシアが核兵器の使用をちらつかせ、他方、ウクライナ及びその支援国側も、報復の可能性へ動く気配を見せたりしているのは、一種のかけひきに違いないが、この場合は、両戦力がすでに十分な核兵器を開発・所有している前提がある。それでも、どちらかが核戦争の火蓋を切るほど愚かなら、それほど愚かな人類は、滅びるほかに道はあるまい。

この虚無的な一文で、この文章を終わらせないとすれば、こうした人間の最大の愚行である戦争のさなかにあって、人間性の善なる面を失わず、高貴な魂の発露を示しながら、なお、歴史の中に、悲惨な記憶とともに埋もれてしまっている無数の事例があることにも、我々は思いを馳せることができるのではないか。語り継ぐべき記憶が、悲惨さ、残酷さだけというのは間違っているのでは。発掘し、語り継ぐべき事柄の本質を、考え直してみるのも、一つの途ではないか。そんな風に思う、あるいは思いたいのである。