松村秀一

松村秀一

夏の間、ユーコン川の岸辺に建てた家に住む先住民の男。シャケを獲って暮らしている。

(写真:佐藤秀明

話題の新技術にとびつく思考停止中の意思決定者が、ものづくり人の世界を危うくしている

前回、松村秀一氏は職人を助ける機械と衰退させていく機械があることを紹介した。ものづくりの世界をより豊かにしていくためには、どのように機械や技術とつきあっていけばいいのか。松村氏の考察を紹介する。

Updated by Shuichi Matsumura on October, 4, 2022, 5:00 am JST

面倒な部分だけが人の手に残ることに納得できるか

「はねつるべ」の仲間に入るような機械化の話は、建築界においても、これまでの木造の話に限らず色々とある。

それこそ半世紀以上前から、建築界には現場技能者の不足の問題があり、少し景気が良くなって仕事量が増えてくると、現場技能者の仕事の一部を代替するような技術を開発・適用しようという動きが必ず出てきた経緯がある。その代表的なものは、現場で型枠をつくり、鉄筋を組み、コンクリートを打設し、一定期間養生して型枠をはずすという一連の仕事を、どこかの工場で予めつくった鉄筋コンクリートの大型部材で置き換えてしまおうという、「プレキャスト・コンクリート(予め打設したコンクリート)化」である。ところが、この置き換えの議論がなかなか興味深いのである。

プレキャスト・コンクリートは、そのための型枠やコンクリート打設機械等々相応の設備投資を必要とする。かなり大型で重い製品を運ぶため、輸送費も馬鹿にならない。プレキャスト・コンクリートの部材を製作する側は、何とかこれらのコストを抑えたい。そうなると、できるだけ同じ型枠セットで何度も部材がつくれるように、同じ形の部材を何個も製作したくなる。一つずつ異なる形の部材をつくらなければならないような、複雑な形の建築の部分はできるだけ施工現場でつくってもらい、こちらの工場では、例えば広く平たい床面をいくつかに分割しただけの、同じ床部材を何枚もつくらせてもらいたいということになってくる。ところが、その床のような建築の部分は施工現場でも効率よくつくれる。施工現場としては、効率よくつくれない部分をこそプレキャスト・コンクリートの工場で製作してきてほしいのだが、工場の方もつくりたいのは効率よくつくれる部分で、それだと結局、施工現場の効率向上には全く役立たないことになる。

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羽黒山の五重塔。静かな夜だった。

同じようなことは、最近の建築現場用のロボット開発でも見られる。例えば、天井をはるロボット。ビル等の天井をはる作業は、その下全面に足場を組まねばならず、また作業者はずっと上向き作業で、身体的な負担が大きい。そこで、その作業をロボットで代替できるようにと開発が始まるのだが、余程大きな開発資金を投入するのなら話は違うかもしれないが、普通のロボットには同じ四角い天井パネルを、桝目上にはる程度のことしかできない。しかし、実際の建築現場の天井とぶつかる壁等の施工精度は決して高くはなく、真四角の桝目上に天井パネルをはっていくと、どうしても四周の壁との取合い部分が、妙な形のすき間のまま残ってしまう。

ロボットが、その四周個々に異なる形のすき間に合わせて、個別に天井パネルをつくれるのなら話は別だが、そんな芸当のできるロボットまで開発する投資はできない。となると、結局そのすき間の天井工事は足場を組んで作業員の手作業で行うことになり、ロボットだけでは完結しない、何とも中途半端な話で終わる。しかも、作業員にとっては面倒な部分だけが自分たちの仕事として残る形で、とても受け入れられるものではないだろう。そもそも何のための開発かがわからなくなってしまう。もしも、何等かの理由でロボット開発を至上命題とするようなことがあれば、何の役にも立たないお荷物ができるのがせいぜいという気がしてならない。

「荘子」のなかで老人が「けがらわしい」と言ったのは、こういう矛盾に満ちた機械化を想像してのことだったのかもしれない。 

話題系新技術への投資よりも人の育成に資金を

以上を踏まえて、若い人が豊かな気持ちで働けるものづくりの世界を、建築という分野でつくるためには、あくまでもその「豊かな気持ちで働ける」ということを目標として、どこまでがけがらわしくなくて、目標達成に寄与する新技術導入かを判断していく態度が必要だ。その場その場の効率化や、機械等の適用技術自体の目新しさにこだわってしまうことのないよう、十分に注意する必要がある。

効率化を促す新技術に関して言えば、これまで技能者の世界がその新技術を使うことでどうなっていくかに思いを馳せることは、決して多くなかったと思う。長期的に見てその技術の適用が、技能者個々人の作業をやり甲斐や極め甲斐のあるものにする方向に作用するか否か。そのことで、これから入職する若い人々に少しでも良いイメージをもってもらえるようになるか否か。ここは問われなければならない。ややもすると、これまでの効率化を促す新技術は、技能者の裁量権を縮小したり、作業内容を熟達意欲の沸かない方向に変えたり、作業自体の達成感を減じたりすることがあっただろう。しかし、それでは建築や都市の基層はすり減るばかりである。

適用技術自体の目新しさにこだわることに関して言えば、今日のように話題語が情報空間内でいわば勝手に加速される時代にあっては、極めて起こりやすいものと言えるだろう。思考停止中の意思決定者間で、とても説得力を持ちやすいからである。しかし、先述した建築系のロボットの例に戻ると、その完成度を自己目的化させることは、無駄な投資になりやすいばかりか、建築のものづくりの世界を人々にとって豊かなものにすることに直接的な関係を持たない。もしも、そういう話題系新技術への投資を広告宣伝費の枠以上に大きくするというのであれば、その代わりにものづくり未来人育成の投資に回すべきである。ものづくり人の世界がかなり危うい段階に入っていることは、あまりにも明白である。あらゆる関連投資は、慎重に有効性を事前評価して実施するべき時期に入っている。

ものづくり未来人の道具学

前回お話ししたような「大工の正やん」にとっての電動工具。まさにものづくり人の身体性を帯びた道具の範囲内にあって、ものづくり人の人生を豊かにする道具。例えば、プレカット技術はどうすればものづくり人にとってのそういう道具になれるのか。プレキャスト・コンクリート化の技術はどうなのか。或いは、天井はりロボットはどうなのか。適用が検討されている新技術の一つ一つをそのような目で見直すことが実践の第一歩になり得るし、そういう観点からの成功や失敗の事例収集・分析が進めば、建築と都市の基層を復興させるための「ものづくり未来人の道具学」が体系化されてくるに違いない。

最後に、私欲の部類に属する話で、2500年前のあの老人には「けがらわしい」と言われるのだろうが、何とかこれから10年の間にその「ものづくり未来人の道具学」をものにしたいと思う。間もなく65歳になるが、まだまだしょんぼりはしていられない。若い者に向けて「けがらわしいから使わないまでだよ」くらいのキリっとした言葉を発してみたいものである。

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