暮沢剛巳

暮沢剛巳

インタビューに応じた太刀川英輔氏(写真:小池大介)

(写真:R.M. Nunes / shutterstock

「持続可能性」が求められる時代に、テンポラリーな万博を開催する意味はあるか

2025年に開催される大阪関西万博。日本の行く末に大きな影響を与えることになるであろうこの一大イベントは、どうなれば「成功」だといえるのか。そこへ至るにはどのようなモノ・コト・考え方が必要なのか。美術評論家で「展示」についてさまざまな論考を重ねている暮沢剛巳氏がインタビューをしながら探っていく。まず話をうかがったのは、JIDA(公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会)理事長で『進化思考』の著者、太刀川英輔氏だ。太刀川氏は日本館の基本構想策定メンバーであり、日本館のコンセプトの根幹となる問いかけを提案したうちの一人である。

Updated by Takemi Kuresawa on November, 1, 2022, 5:00 am JST

万博を、改めて人間と生態系の協調を考える機会に 

暮沢 2025年の大阪関西万博の開催が随分近づいてきました。太刀川さんは日本館パビリオンの委員ということで関わられていますね。

太刀川 基本構想をつくるというところで関わっていました。

暮沢 守秘義務で話せないことはもちろんあるとは思うんですけど、まずは大阪関西万博自体にどういうイメージをお持ちなのかということと、今回の万博に関わられるようになった経緯と、あと基本構想の委員としてどういうお仕事をなさっているのかを教えてください。

太刀川 まずお話ししておかなければいけないのが、僕は日本館の基本構想という段階で関わっていたので、そのお役目はもう解かれているのですね。なので幾つもアイデアを出しましたが、もう他の人にバトンは渡っていて、僕が今現在進行形で万博のために進めているものはないんです。

-- 日本館の基本構想がある程度決まったから終わったということですか。

太刀川 そうですね、ここに基本構想のPDFがあります。これを作る委員であったということです。基本的には、「いのちと、いのちの、あいだに」というキーワードを基に取り組みました。僕としては脱人間中心というか、人間と生態系の改めて協調というか、共生と適応を考える、というところにこの万博の意図を深く持っていきたいというふうに思っていたので、そういう発言はけっこう僕由来で起こっているものが多いんじゃないかと思います。もちろん基本構想の委員のなかには、同意見の人もたくさんいらっしゃいました。

暮沢 「いのち輝く未来社会のデザイン」というのが今回の万博のテーマですね。

太刀川 そうですね。この際の「いのち」というのは人間のいのちの話でもあるし、生物のいのちでもあるし、と複合的なテーマなんですね。

カナダのケベック州
カナダの秋。モントリオール万博跡地とジオデシック・ドーム。(画像:R.M. Nunes

-- 太刀川さんが日本館の基本構想に呼ばれたのは、どういう経緯だったのですか。

太刀川 経産省の人に呼ばれたんです。イノベーションやデザインについていろいろなところで話をしていたからでしょうか。あとは僕が「進化思考」という考え方を提唱していて、これは生物の進化のプロセスから我々の創造性は学ぶことができるんじゃないか、という前提に基づく考え方なんですけど、これの大きなテーマが「生態系との共生」あるいは「イノベーション」。創造性が発揮されるという現象は、発明であったりイノベーションであったりするわけじゃないですか。その創造性をどういうふうに自然現象として体系化してみるか、というトライアルでした。さらに、それによって人間は気候変動などの問題に創造性を使ってどのように適応していけるのだろうか、ということもテーマにしています。呼んでくださった方は本を読んでくれたか、僕が本にする前から発信していたものを見てくださったんだと思います。

暮沢 声がかかった時点で、すぐにやる気になりましたか?

太刀川 日本、オリンピックがちょっと残念だったじゃないですか、ある意味でいろいろと。だから万博こそはそういうことにならずに、いい形になってほしいと思っていたし、万博は日本にとって最後のチャンスかもな、くらいに考えているところがあったので、関わってほしいと言われたときは素直に嬉しかったですね。発信すべきものを発信すべきタイミングだろうとも思いました。日本って基礎的な技術力は高い国だと思うので、そういったものをどのようにちゃんと発信できるかという意味で、とても大事な機会だと思っています。だから、そのような方向になるようにお手伝いがしたいなと。僕、バックミンスター・フラーが好きなので、万博というとやっぱりモントリオール博のイメージがあって、それもあって嬉しかったですね。

暮沢 巨大イベントですからね、万博は。

太刀川 巨大イベントだし、僕は日本館の基本構想の委員の一人にすぎないので、僕が言ったことが実現されたりするわけではないんですけどね。だけど、僕なりに、万博に提案できることがあるはずだと……そう考えて引き受けました。

暮沢 いろいろな人が関わって、利権が関わってきますからね。

太刀川 そうそう。あんまり本質的じゃないメッセージの発信みたいになってほしくないなとは思います。 

未来のショーケースを示す革新的なイベントから、いつしかお祭りへ変化していった万博 

暮沢 先ほどモントリオール万博の話が出ましたが、過去の万博についてはどんなイメージを持っているんですか?

太刀川 1800年代後半の万博って、まさに産業革命によってできる、「これからの人類の生活」みたいなもののショーケースだったわけですよね。電球が発表されるとか、エッフェル塔ができるとか、蓄音機とか自動車とか……。今までの暮らしはこうだったけど未来はこういうふうになる、というすごくビジョンに満ちた、新しい実験の場だったと思うんです。僕は建築がバックグラウンドなので、その観点でいくと、万博で残っているすばらしい建築というのが幾つかあるんです。エッフェル塔やモントリオール博のフラードーム-ジオデシック・ドームなどですね。この2つは、まず、僕らが見て感じられることとしては、構造的革新であったということですね。それまでの構法に対する革新です。両方とも特に建築の部材を圧倒的に減らすチャレンジだったといえると思います。これって、「未来をサステナブルにするために、これからの建築ってこういうふうになっていかなければいけないよね」ということを、ちゃんと指し示しているのではないでしょうか。70年前にもそれができていたわけです。大屋根とか膜構造もしかりですけれど。

暮沢 丹下健三の大屋根、残念ながら一部しか残っていないですけどね。

太刀川 残ったか残らないかということはあるんですけど、ああいうトラスフレーム自体は、例えば今でも洋上のプラットフォームに使われていたり、駅の高架に使われたり、いろいろなところに使われています。つまりあれ自体、ある種の基本形を世に知らしめたという、すごく大きな効果があったと思うんですね。
そういう意味でも、万博は新しい技術のチャレンジの場であり、これからの人類の課題に応えていく、そういうイノベーションのショーケースだと僕は捉えている。だけど残念ながら、80年代くらいからそういう毛色が弱まって、ただのお祭り化していくというか、あまり提案的じゃなくなっていくんですね。上海万博など近代の万博では「あそこの館がきれいだったよね、だけど、その提案は一体何なんだっけ? 何のためだっけ?」ということが起きていたはず。思想としての構造が弱いというか。電球が社会を変えたとか、トラスフレームが社会を変えたみたいなソーシャルインパクトがあったかというと、そうとは言えないと思うんですね。

暮沢 その話を聞くと思い出すのが、70年の大阪万博のあと、しばらく万博(一般博)が途切れて開催されなくなったことです。その次に開催されたのは92年のセビリアだから、20年くらい空白が生じたわけですね。万博は巨大イベントでいろいろお金がかかるので、どこであっても、開催するのにそれだけの大義名分が必要なんですね。この間の空白は、大義名分がなかったというのが一番大きい理由だと思うんです。

太刀川 万博の歴史を見るとわかるんですけど、70年代までは今と同じことをわりと言っているんです。だけど、1986年のバンクーバー万博「動く世界 ふれあう世界」、1988年のブリスベン万博「技術時代のレジャー」から、なんかあやしくなってくるでしょ(笑)。1992年のジェノヴァ万博は「クリストファー・コロンブス-船と海」ですよ。人類の未来と関係あるのか、という。

暮沢 ジェノヴァ万博は、コロンブス500周年というメモリアルではあったんですよ。

太刀川 ああ、そうか。でも、70年代くらいまでは、真剣に人類の未来を考えていたし、そのくらいから成長の限界と言われていたわけです。そうすると、今と同じ持続可能性の課題が、実はメインメッセージとして予見されていたわけですよ。当時はSDGsもなかったし、気候変動適応みたいな話もそれほどされていなかったにも関わらず。 

人類は50年間同じテーマを掲げ続けている

暮沢 『成長の限界』というレポートが出たのはたしか72年ごろだったかな。あの中で、今のままだったら人類はあと100年くらいしかもたないよ、みたいな話は出てきているんです。それから既に50年くらいたっているので、そこから逆算すると、あと残り50年だと。

太刀川 だから実は人類はこの50年、同じテーマを見据えているんですが、いっときモラトリアムに逃げていた時代があるように、万博を見ると思うところがあります。それは高度経済成長期にあって、本質的なテーマを見るよりも、目先の四半期の利益を追ったほうが自分たちにとって有利であるという状態を錯覚してしまったのかもしれない。でも、その結果が今じゃないですか。結局、大しっぺ返しを食らって、持続不可能です、みたいな状況。
持続不可能な社会で金稼いでもしようがないわけですから、現在のテーマが50年ぶりくらいにリバイバルしている。前回の大阪万博の頃は、そういう本質的なテーマを探求していた時期だと思うんです。だから、太陽の塔の中身は生物の進化だった。科学的発見と民間のワクワクする体験をつないでいく、巨大なサイエンスコミュニケーションのハブであった、というふうに考えられるわけですね。次の万博をそういうふうに運用・運営できるかは、チャレンジだと思います。

暮沢 そこは2025年の関西万博で問われているポイントなのかもしれないですけどもね。まあ、実際はどうなるのかはやってみないとわかりませんが。

太刀川 そうですね。日本館はあの基本構想をしっかり実現してくれれば、そういうことに対して問わざるをえないように発信したつもりです。

「持続可能性」が求められる時代に、テンポラリーな万博を開催することの意味

太刀川 もう使い捨ての万博をするわけにはいかないことは明らかなわけですよ。

暮沢 それはもう完全に過去のものですね、いわゆるスクラップ&ビルドで、パビリオン建てました、会期が終わったからスクラップします、終わり、というわけにはもういかない。そうなると、再生エネルギーや食料問題にどう取り組むかといったような視点も、いろいろ盛り込んでいく必要は出てくるのだろうなと思います。
それに対して、参加各国あるいは参加各企業はどのようなソリューションを示すのでしょうね。

太刀川 もちろんそうなんですけど、万博っていろいろな思惑がありますよね。人によっては、別のテーマが大事だと思っている方も当然いるでしょう。
モントリオールのときなんかは、すごく明確にジオデシック・ドームという新しいサステナブル建築を置いて、環境に対しての訴えかけもかなり意識的にやっていたと思います。今回の万博がただのお祭りにならずに、ちゃんと中心的テーマを掲げながら、次の時代に発信できるようなものになるかどうかは、まだわからないです。複合的すぎて、それを今、全体の哲学を共感を元に整理して発信する人はいないようにも見えるんです。
きっと、有機的にいろいろなことが水面下で起こっているんだと思います。僕にも全然見えないところで。みんなが共通のものを祈れるのかはわからないですが、そっちに向かわなければいけない、持続できない、という時代的共感はあると思うんです。そんなディレクションに進むことを信じて、最終的にいい方向にまとまるということを祈るしかないね、という感じで見ています。

幻の名機ダ�グラスDC-3
幻の名機ダグラスDC-3。アラスカでは現役だ。(画像:佐藤秀明)

開発も展示も、そもそも持続可能ではないんですよ。まず展示って持続しないものだし、開発もそれが生態系として回復可能な構造を踏まえた開発であればいいんだけど、やっぱり万博の開発はテンポラリー的になると思うんです。つまり、上手くやらないと簡単にメッセージと逆行してしまうんです。持続可能というメッセージと、万博は限定的なものです、ということが。
ここは深く考えなければいけないことです。つまり、これに関わる建築家や企画者は、これからの持続可能性を示すプロトタイプをつくることに意味をみつけることになる。スクラップ&ビルドではなくて、それが一つひとつ、万博のテーマである「いのちの希望」になっていくようにしなくてはいけない。日本館は、そのような思いを込めて構想をつくりました。あとは、バトンを渡した先の人たちの手にかかっています。 

万博のKPI?

-- 愛知万博では古い森を開発して会場にしてしまうということで、地元では反対運動が展開されました。

暮沢 海上の森でしたよね。名古屋みたいに人口200万くらいあるような大都市のすぐ近くに、あんなでっかい森があるということには驚きましたね。実は去年と一昨年、2回ほどあの跡地に行きましたけど、けっこう原状回復というのかな、万博開催前の状態に8割方、戻っているようなイメージがありました。森に戻った部分もあるし、ジブリのミュージアムになった部分もある。ハイキングコースやジョギングコースとして活用されて、都市部の緑地、公園空間としては、まあまあうまいぐあいに使われているんじゃないかなとは思います。

太刀川 そういうのって悩ましいですよね。情報とか意識の変化に対するインパクトの部分もあれば、実態としてのインパクトもある。今回は大阪・関西万博は改めて森をつぶして開発するわけではないから、一つの救いがあると思うんです。人工島という、既にある意味では生態系からすでに奪っちゃった場所でやるわけですから、これから奪うわけではないという。

暮沢 ただ、会場の夢洲とか隣にある咲洲とか別の島が、実はカジノになるとかいう話があったりすると、ちょっとどうかと思う面ありますよね。

太刀川 だから、周囲の干潟を再生して、生態系とのバウンダリーをちゃんとつくって、エコDRR(生態系的な防災)としての再開発に繋いでいくとか、そういうことをしっかりできたらいいんですけど。どんな派手な建物をつくるんだ、とか、大きな輪っかの島をつくろうとか、そういう話ばかりになるのは表面的ですが、そこばかりに目がいきますよね。

暮沢 もともと開発が放置されていたエリアの再開発プロジェクトでもありますからね。2008年にオリンピックを誘致しようとして失敗して、オリンピックがダメなら万博だって、どっかで似たような話があったけど、なんとしても再開発は成功だった、ということにしたいんだろうなと思惑みたいなものが透けて見えてしまいます。

太刀川 そうそう、いろいろな思惑があるってそういうことなんですよ。テーマの思惑と、テーマはこう言っているけど、結果的には真逆をやってしまった、ということもあり得るわけじゃないですか。でも、やっぱりテーマと実態は伴うべきです。
例えば、モントリオール博のジオデシック・ドームぐらい、人類の希望になるかもしれないコンセプトを打ち出してくれたら、そんなに不協和にならないというか。でも、それってすごい責任のあることじゃないですか。だから、これからの環境──今回で言えば水素かもしれないし、脱炭素のライフスタイルかもしれないし、さまざまなことがここで展示されると思いますけど、そういったものが世界中に発信されることによって、「いのち輝く」状態ということに近づけるかどうか。そうできるなら、それはやる意味があります。そういう状況に万博を近づけたいなら、「未来のいのちが輝くか」というところで、すべての判断をしたほうがいいでしょうね。

暮沢 とはいえ、いのちが輝いているどうかなんて、所詮、主観的な判断でしかないです。輝いているって、だれが事実認定するんだろう、とは思いますけども。

太刀川 例えばですけど、これで回復した生態系の数はこれくらいとか。あるいは、これで将来救われるであろういのちはこれくらい、とか。そういうふうに、KPI化できる部分もあるかもしれない。KPIにしろ、と言っているんじゃないけど、これはいのちを輝かせるために実効性のあるものでしょ、というものが展示されるんだったら、僕はいい万博だと思うんです。 

人間は人間を幸せにすることには成功してきたはずだが……

暮沢 そういう意味で言うと、例えばトウモロコシでも米でもいいけど、この計画でこれだけ食料が増産されれば、これだけの人が飢餓から救えるとか、こういう新薬が開発されればこの病で苦しんでいる人が年間当たり何万人くらい救えるとか、こういったようなことですね。実数化できれば確かに、計測可能になりますね。

太刀川 そう。基本的には、僕らは目の前の人間を幸せにするのはすごい成功してきたんですね、平均寿命もこの200年で倍以上になっているし。だけどもう生態系の話や未来への負担の話に関しては、ムチャクチャな状況が見えている。現在の人間の世界でうまくいっていればいいでしょ、というふうに思うかもしれないけど、生態系のレジリエンスがなくなるというのはどういう状況かというと、人間が苛酷な環境に暴露され続ける状況なんです。これは別に気候変動だけじゃなくて、です。
結局は、難民を生み出してしまったり、幸せにしたはずの人の幸せが破壊されてしまったりする可能性もある。だからこそ、人間社会の外の世界の部分まで含めて、「いのち」としてちゃんと扱うことが、結局は将来の人間を守ることになると思います。なのでそれをちゃんと発信するべきだけど、そういう姿勢の人がどれくらい万博の総意かどうかは……僕もわからないです。 

現代のテーマはリバイバルに過ぎない

暮沢 その話を聞いていると、50年前のモントリオール博のテーマが「人間とその世界」だったということを思い出しましたね。今にして思うと、50年後にそういったことが起こるようなことまで予見していたかもしれないと思えてくるテーマですね、これは。

太刀川 まさにそうですよ。あの万博がすごく良かったから、大阪は「人間の進歩と調和」になり、スポーケンは「汚染なき進歩」になり、沖縄は「海-その望ましい未来」になり、ノックスビルは「エネルギーは世界の原動力」になり、ニューオーリンズは「河の世界、水は命の源」になったわけじゃないですか。
これはモントリオール博から10年のテーマです。ところが、つくばあたりから、だんだん薄くなってくるんですね、そのメッセージングが。高度経済成長に入ったことが理由だと思います。

暮沢 80年代のバブル景気では、日本だけでなく欧米諸国はどこも浮かれていました。

太刀川 その踊りにとって邪魔だったんですよ、「持続可能」というテーマは。

暮沢 考えてみたら、70年代に2回オイルショックがあって、エネルギーが枯渇するかもしれないと大パニックになったのに、80年代にその話はシャッフルされて、なかったことになっていましたね。

太刀川 そうなんですよ。だからSDGsとかも、僕からすれば50年ぶりのリバイバルなんですよ。

コンセプトドリブンでなければ、巨大イベントは成功しえない」に続く

太刀川英輔

NOSIGNER代表 /  JIDA(公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会)理事長 / 進化思考提唱者 / デザインストラテジスト / 金沢美術工芸大学客員教授 / 阿南工業高等専門学校特命教授 

未来の希望につながるプロジェクトしかしないデザインストラテジスト。プロダクト、グラフィック、建築などの高いデザインの表現力を活かし、SDGs、次世代エネルギー、地域活性などを扱う数々のプロジェクトで総合的なデザイン戦略を描く。これまでにグッドデザイン賞金賞、アジアデザイン賞大賞、ドイツデザイン賞金賞他、国内外を問わず100以上のデザイン賞を受賞。日本で最も歴史ある全国デザイン団体JIDAの理事長を歴代最年少で務める。
生物進化から創造性の本質を学ぶ「進化思考」を提唱し、生物学者・経済学者らが選ぶ日本を代表する学術賞「山本七平賞」を受賞。本質的な創造性教育をつくりなおす活動を続ける。
https://nosigner.com/