万博を、改めて人間と生態系の協調を考える機会に
暮沢 2025年の大阪関西万博の開催が随分近づいてきました。太刀川さんは日本館パビリオンの委員ということで関わられていますね。
太刀川 基本構想をつくるというところで関わっていました。
暮沢 守秘義務で話せないことはもちろんあるとは思うんですけど、まずは大阪関西万博自体にどういうイメージをお持ちなのかということと、今回の万博に関わられるようになった経緯と、あと基本構想の委員としてどういうお仕事をなさっているのかを教えてください。
太刀川 まずお話ししておかなければいけないのが、僕は日本館の基本構想という段階で関わっていたので、そのお役目はもう解かれているのですね。なので幾つもアイデアを出しましたが、もう他の人にバトンは渡っていて、僕が今現在進行形で万博のために進めているものはないんです。
-- 日本館の基本構想がある程度決まったから終わったということですか。
太刀川 そうですね、ここに基本構想のPDFがあります。これを作る委員であったということです。基本的には、「いのちと、いのちの、あいだに」というキーワードを基に取り組みました。僕としては脱人間中心というか、人間と生態系の改めて協調というか、共生と適応を考える、というところにこの万博の意図を深く持っていきたいというふうに思っていたので、そういう発言はけっこう僕由来で起こっているものが多いんじゃないかと思います。もちろん基本構想の委員のなかには、同意見の人もたくさんいらっしゃいました。
暮沢 「いのち輝く未来社会のデザイン」というのが今回の万博のテーマですね。
太刀川 そうですね。この際の「いのち」というのは人間のいのちの話でもあるし、生物のいのちでもあるし、と複合的なテーマなんですね。
-- 太刀川さんが日本館の基本構想に呼ばれたのは、どういう経緯だったのですか。
太刀川 経産省の人に呼ばれたんです。イノベーションやデザインについていろいろ なところで話をしていたからでしょうか。あとは僕が「進化思考」という考え方を提唱していて、これは生物の進化のプロセスから我々の創造性は学ぶことができるんじゃないか、という前提に基づく考え方なんですけど、これの大きなテーマが「生態系との共生」あるいは「イノベーション」。創造性が発揮されるという現象は、発明であったりイノベーションであったりするわけじゃないですか。その創造性をどういうふうに自然現象として体系化してみるか、というトライアルでした。さらに、それによって人間は気候変動などの問題に創造性を使ってどのように適応していけるのだろうか、ということもテーマにしています。呼んでくださった方は本を読んでくれたか、僕が本にする前から発信していたものを見てくださったんだと思います。
暮沢 声がかかった時点で、すぐにやる気になりましたか?
太刀川 日本、オリンピックがちょっと残念だったじゃないですか、ある意味でいろいろと。だから万博こそはそういうことにならずに、いい形になってほしいと思っていたし、万博は日本にとって最後のチャンスかもな、くらいに考えているところがあったので、関わってほしいと言われたときは素直に嬉しかったですね。発信すべきものを発信すべきタイミングだろうとも思いました。日本って基礎的な技術力は高い国だと思うので、そういったものをどのようにちゃんと発信できるかという意味で、とても大事な機会だと思っています。だから、そのような方向になるようにお手伝いがしたいなと。僕、バックミンスター・フラーが好きなので、万博というとやっぱりモントリオール博のイメージがあって、それもあって嬉しかったですね。
暮沢 巨大イベントですからね、万博は。
太刀川 巨大イベントだし、僕は日本館の基本構想の委員の一人にすぎないので、僕が言ったことが実現されたりするわけではないんですけどね。だけど、僕なりに、万博に提案できることがあるはずだと……そう考えて引き受けました。
暮沢 いろいろな人が関わって、利権が関わってきますからね。
太刀川 そうそう。あんまり本質的じゃないメッセージの発信みたいになってほしくないなとは思います。
未来のショーケースを示す革新的なイベントから、いつしかお祭りへ変化していった万博
暮沢 先ほどモントリオール万博の話が出ましたが、過去の万博についてはどんなイメージを持っているんですか?
太刀川 1800年代後半の万博って、まさに産業革命によってできる、「これからの人類の生活」みたいなもののショーケースだったわけですよね。電球が発表されるとか、エッフェル塔ができるとか、蓄音機とか自動車とか……。今までの暮らしはこうだったけど未来はこういうふうになる、というすごくビジョンに満ちた 、新しい実験の場だったと思うんです。僕は建築がバックグラウンドなので、その観点でいくと、万博で残っているすばらしい建築というのが幾つかあるんです。エッフェル塔やモントリオール博のフラードーム-ジオデシック・ドームなどですね。この2つは、まず、僕らが見て感じられることとしては、構造的革新であったということですね。それまでの構法に対する革新です。両方とも特に建築の部材を圧倒的に減らすチャレンジだったといえると思います。これって、「未来をサステナブルにするために、これからの建築ってこういうふうになっていかなければいけないよね」ということを、ちゃんと指し示しているのではないでしょうか。70年前にもそれができていたわけです。大屋根とか膜構造もしかりですけれど。
暮沢 丹下健三の大屋根、残念ながら一部しか残っていないですけどね。
太刀川 残ったか残らないかということはあるんですけど、ああいうトラスフレーム自体は、例えば今でも洋上のプラットフォームに使われていたり、駅の高架に使われたり、いろいろなところに使われています。つまりあれ自体、ある種の基本形を世に知らしめたという、すごく大きな効果があったと思うんですね。
そういう意味でも、万博は新しい技術のチャレンジの場であり、これからの人類の課題に応えていく、そういうイノベーションのシ ョーケースだと僕は捉えている。だけど残念ながら、80年代くらいからそういう毛色が弱まって、ただのお祭り化していくというか、あまり提案的じゃなくなっていくんですね。上海万博など近代の万博では「あそこの館がきれいだったよね、だけど、その提案は一体何なんだっけ? 何のためだっけ?」ということが起きていたはず。思想としての構造が弱いというか。電球が社会を変えたとか、トラスフレームが社会を変えたみたいなソーシャルインパクトがあったかというと、そうとは言えないと思うんですね。
暮沢 その話を聞くと思い出すのが、70年の大阪万博のあと、しばらく万博(一般博)が途切れて開催されなくなったことです。その次に開催されたのは92年のセビリアだから、20年くらい空白が生じたわけですね。万博は巨大イベントでいろいろお金がかかるので、どこであっても、開催するのにそれだけの大義名分が必要なんですね。この間の空白は、大義名分がなかったというのが一番大きい理由だと思うんです。
太刀川 万博の歴史を見るとわかるんですけど、70年代までは今と同じことをわりと言っているんです。だけど、1986年のバンクーバー万博「動く世界 ふ れあう世界」、1988年のブリスベン万博「技術時代のレジャー」から、なんかあやしくなってくるでしょ(笑)。1992年のジェノヴァ万博は「クリストファー・コロンブス-船と海」ですよ。人類の未来と関係あるのか、という。
暮沢 ジェノヴァ万博は、コロンブス500周年というメモリアルではあったんですよ。
太刀川 ああ、そうか。でも、70年代くらいまでは、真剣に人類の未来を考えていたし、そのくらいから成長の限界と言われていたわけです。そうすると、今と同じ持続可能性の課題が、実はメインメッセージとして予見されていたわけですよ。当時はSDGsもなかったし、気候変動適応みたいな話もそれほどされていなかったにも関わらず。
人類は50年間同じテーマを掲げ続けている
暮沢 『成長の限界』というレポートが出たのはたしか72年ごろだったかな。あの中で、今のままだったら人類はあと100年くらいしかもたないよ、みたいな話は出てきているんです。それから既に50年くらいたっているので、そこから逆算すると、あと残り50年だと。
太刀川 だから実は人類はこの50年、同じテーマを見据えてい るんですが、いっときモラトリアムに逃げていた時代があるように、万博を見ると思うところがあります。それは高度経済成長期にあって、本質的なテーマを見るよりも、目先の四半期の利益を追ったほうが自分たちにとって有利であるという状態を錯覚してしまったのかもしれない。でも、その結果が今じゃないですか。結局、大しっぺ返しを食らって、持続不可能です、みたいな状況。
持続不可能な社会で金稼いでもしようがないわけですから、現在のテーマが50年ぶりくらいにリバイバルしている。前回の大阪万博の頃は、そういう本質的なテーマを探求していた時期だと思うんです。だから、太陽の塔の中身は生物の進化だった。科学的発見と民間のワクワクする体験をつないでいく、巨大なサイエンスコミュニケーションのハブであった、というふうに考えられるわけですね。次の万博をそういうふうに運用・運営できるかは、チャレンジだと思います。
暮沢 そこは2025年の関西万博で問われているポイントなのかもしれないですけどもね。まあ、実際はどうなるのかはやってみないとわかりませんが。
太刀川 そうですね。日本館はあの基本構想をしっかり実現してくれれば、そういうことに対して問わざるをえないように発信したつもりです。
「持続可能性」が求められる時代に、テンポラリーな万博を開催することの意味
太刀川 もう使い捨ての万博をするわけにはいかないことは明らかなわけですよ。
暮沢 それはもう完全に過去のものですね、いわゆるスクラップ&ビルドで、パ ビリオン建てました、会期が終わったからスクラップします、終わり、というわけにはもういかない。そうなると、再生エネルギーや食料問題にどう取り組むかといったような視点も、いろいろ盛り込んでいく必要は出てくるのだろうなと思います。
それに対して、参加各国あるいは参加各企業はどのようなソリューションを示すのでしょうね。
太刀川 もちろんそうなんですけど、万博っていろいろな思惑がありますよね。人によっては、別のテーマが大事だと思っている方も当然いるでしょう。
モントリオールのときなんかは、すごく明確にジオデシック・ドームという新しいサステナブル建築を置いて、環境に対しての訴えかけもかなり意識的にやっていたと思います。今回の万博がただのお祭りにならずに、ちゃんと中心的テーマを掲げながら、次の時代に発信できるようなものになるかどうかは、まだわからないです。複合的すぎて、それを今、全体の哲学を共感を元に整理して発信する人はいないようにも見えるんです。
きっと、有機的にいろいろなことが水面下で起こっているんだと思います。僕にも全然見えないところで。みんなが共通のものを祈れるのかはわからないですが、そっちに向かわなければいけない、持続できない、という時代的共感はあると思うんです。そんなディレクションに進むことを信じて、最終的にいい方向にまとまるということを祈るしかないね、という感じで見ています。