岡村 毅

岡村 毅

柿の木と猿。富山にて撮影。

(写真:佐藤秀明

精神医療では太刀打ちできない8050問題に農が効く

大量のデータ処理が可能になった現代においては、医療も目覚ましい進歩を遂げているが、未だに解決できない課題も山積みとなっている。8050問題はその一つだ。長年中高年の引きこもり問題に取り組んできた研究者は、近年一つの解決方法を見出した。農からのアプローチである。精神科医・岡村毅氏が取材した。

Updated by Tsuyoshi Okamura on January, 6, 2023, 5:00 am JST

人間に近づけたければ、人工知能に死を

前回、「人工知能の時代にあって、そもそも知能とは何かという問いが重要になる。最近の学説によれば、知能とは、単なる情報処理・演算装置ではなく、知能と身体性は切っても切り離せない」と書いた。そして、人工知能にはなくて人間にはある行為である「食べること」に注目し、口腔外科医とともに口唇期を導きの糸として知能について考察した。

人工知能と人間は、「食べる」のほかに「死ぬ」という点でも違う。死とはつまり、われわれの時間が有限であるということだ。人間の知性は、時間が有限であることにあらゆる面で規定されている。専門外から気軽に言わせてもらうと、人間に近づけたければ『死ぬ人工知能』はひとつの方法なのではないか。

では、いつか死ぬ人工知能はどのような知を生み出すのだろうか?もしかしたら「この考えている自分というのは何だろうか」と考えはじめ、そして「この考えている自分というものも本当は存在しないのかもしれない(無我)」さらに「すべては変わりゆく(無常)」という考えに至るのではないか。

私たちの時間が有限であることを述べたのは、単に哲学的な思考をしたいということではなく、私たちの研究チームがたどり着いた実社会の問題解決にも深く関わっているからである。文京学院大学の山﨑さん、東京都健康長寿医療センターの宇良さんと、私の3名でこの問題を語り合ってみよう。

誰も知らない、もう一人がいる

岡村:山﨑さんは高齢者の引きこもりの高名な研究者ですが、まず8050問題について教えてください。

山崎:8050問題の「80」は80歳代の親を指します。「50」は50代の子供です。青年期からひきこもっていた子供が、いまや50代に到達しています。そして親は高齢化して80歳代に到達しています。そこで新しい問題が起きているんです。

例えば、親世代が認知症になるとします。夜間に歩き回り、ゴミ出しができなくなり、近所の人も心配して行政に連絡します。するとこういった問題は地域包括支援センターの管轄ですから、自宅訪問します。家に上げていただくと、なんだかおかしな雰囲気が漂っているんです。聞けば、奥にもう一人いるようなのです。扉を開けると、50代のおじさんがいます。周囲の人は誰も知りません。その後、近所の一人がふと思い出します、「そういえばあの家、中学生のころから見なくなった子が一人いたな」と。そう、ずっと自室にひきこもっていたのです。

岡村:確かにそういう事例は私もしばしば遭遇します。例えば地域で研究していると、高齢者が医療相談に来て、最初は他愛もない健康相談なのですが、しばしば「自分は絶対に死ねない」と言い出したりして、おかしいなあと思っていると、2回目の相談で「実は自宅に何十年もひきこもっている子供がいるのだ」と話してくれます。

谷中の高台から見た下町
谷中の高台から見た下町の姿。

宇良:そういう場合はどのように対応するのですか?

岡村:それが、あまり力になれないのです。高齢者のケアは地域包括支援センターで担いますが、高齢ではなく精神的な課題がある方は、保健センターが管轄することになります。そこで保健センターの窓口に問い合わせると「もう何十年も前に行っていました」などと言われてしまいます。
親御さんに引きこもりの親の会などに行くようすすめても「以前行ってみたのですが大して役に立ちませんでした」などと返されてしまいます。
親の方との信頼関係ができてから「ご飯を買ってきてあげてしまうから、外に出ないのかもしれませんよ。自分はここまではできるけど、ここからはできない、と枠組みを明確にしてはどうでしょうか』と提案してみても「ああ、そういうアドバイスをもらったことはありました」といった感じです。すでにあらゆることはやり尽くされているようなのです。

カギは「時間は限られている」という気づき

山崎:この問題を話していて、私たちの別の研究である「ケアファーム」と繋がったんですよね。「ケアファーム」は宇良さんが中心となって長年続けてこられた研究です。

宇良:なかなか人と打ち解けない中高年男性も、農作業を一緒にするとあっという間に親しくなります。農においては人は平等です。そこで8050の「80」に注目して、まずは親世代に農園に来てもらい、そして「50」の人も連れてきてもらう、ということを考えました。「50」への支援は皆が考えますが、とても難しい。でも高齢者研究の専門家である私たちのチームであれば、「80」から接近するというイノベーションが起こせるのではと思ったのです。

山崎:研究を進めるなかで、8050の状態から再び社会に戻ってきた人にインタビューをすることができました。引きこもっていた方の人生は様々で、一言では言い切れませんが、なかにはとても味わい深いことをいう方もいました。社会に戻ってきた契機が「もう若くない」という認識だったというのです。鏡を見て髪に白いものが混じってきた、親を見ると足腰も弱ってきた、といったことからふと「もう若くないのだ」と思ったというのです。

岡村:それはマルセル・プルースト的瞬間ですね。ふと時間の流れを感じ「時が見出される」という体験です。人生が有限であることに気が付いた瞬間とも言えます。

宇良:ケアファームは狭い意味では農園での農業ですが、欧州ではアニマルセラピーも包含することもあります。馬や家畜と接することも、とても良い効果があります。動物は可愛いですが、思い通りにはなりませんし、多くは私たちより先に死んでしまいます。あるいは食べることで命をいただくこともあります。そういう経験は私たちに「私たちの中にも、思い通りにならないものがある」「私たちの中にも、有限なものがあるの」という真実を思い起こさせます。つまり私たちは有限な身体というものから自由になれない、しかし、だからこそ人生は価値があるのかもしれないと考えることもできます。

岡村:8050は我が国の精神保健の問題の集大成ともいえますが、精神医療では太刀打ちできないことはみな気が付いています。とても期待しています。

人生が有限であるという気づきが、8050の一つの解かもしれない。いや、広く様々な社会的問題の解決につながっているのかもしれない。例えば老いの不安、病気の不安なども、若くいたい、死にたくない、という悩みが基盤にあるのかもしれない。であれば、ケアファームなどの「人間の有限であることを感じつつ、それを自然に受け入れられるケア」を都市にもっと実装してもよいのではないかと夢想する。

参考文献
山崎幸子, 宇良千秋,岡村毅 中高年ひきこもり当事者が社会とつながるまでの過程 第81回日本公衆衛生学会総会(2022年)

取材協力:

山崎幸子

山崎幸子
1975年 兵庫県出身。早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得。高齢期も自分らしく過ごせることを主題とし,高齢者本人とそのご家族も含めた心理学的アプローチの探索に従事している。文京学院大学人間学部心理学科に所属。 

宇良千秋

宇良千秋
東京都健康長寿医療センター研究所 自立促進と精神保健研究チーム 研究員(心理学博士)
沖縄県出身。1999年心理学博士取得後、日本学術振興会特別研究員、長寿科学振興財団リサーチ・レジデントなどを経て、2011年より現職。主な専門領域は、認知症ケア、老年心理学。日本認知症ケア学会代議員、日本老年社会科学会査読委員。「大都市に暮らす認知症高齢者のケア」、「農園を活用した認知症ケアの効果」、「認知症ケアにおける寺院の役割」などの研究・実践・普及に取り組んでいる。