久野愛

久野愛

さまざまな種類のクラフトビール。職人のこだわりや個性豊かなイメージから人気を集める。

(写真:Ground Picture / shutterstock

大量生産されているクラフトビールの「クラフト」とは何か。実は矛盾しない、消費社会のなかでの概念

クラフトビールがあちこちで売られているのを見て、モヤモヤしたことはないだろうか。対局の概念であるはずの「クラフト」と「大量生産」がそこにある……。クラフトとは何か、なぜこのような現象が起きるのか、消費社会の歴史を研究している久野愛氏が解説する。

Updated by Ai Hisano on March, 6, 2023, 5:00 am JST

昨今のクラフトブームは資本主義・大量生産へのアンチテーゼなのか

近年、クラフトビールやクラフトジン、クラフトコーラ、そしてクラフトチョコレートなど、「クラフト」なる言葉がついた商品をよく見かけるようになった。このような「クラフト〜」という商品が日本で流行りはじめたのは2010年頃からだといわれている。だが、クラフトという概念は、この10年ほどの間に突如出てきたものではない。例えば、クラフトビールブームの先駆けともいわれるアメリカ合衆国やイギリスでは、1960年代後半から70年代にはすでにその動きがあったし、さらに遡れば、1880年代にはイギリスやその他欧米諸国でアーツ・アンド・クラフツ運動が高まりをみせた。この運動は、イギリス人思想家・デザイナーのウィリアム・モリスが主導し、主に芸術・工芸分野での運動ではあったものの、その根底にある思想は、今日のクラフトブームと無関係ではない。

前回触れたように、モリスや当運動支持者らは、産業革命に伴い大量生産や機械化が進んだこと、さらに資本主義システムの拡大を批判し、それ以前の職人や手仕事に拠っていた時代への回帰を標榜した。急速に変化する社会の中で日常生活の中に「美」を取り入れようとする動きは、モノやデザインの社会性さらには政治性を示唆するものでもある。100年以上の時を経て、現代のクラフトは新たな価値と意味を纏いつつ、引き続き資本主義社会・大量生産・大量消費社会へのアンチテーゼとして、世界各国で再発見されたともいえる。

だが本当にクラフトは資本主義・大量生産と相反するものなのだろうか。これは、「クラフトとは何か」という問いに繋がるものでもある。以下では、アメリカのクラフトビールについて概観しながら、クラフトと資本主義について考えてみたい。

大量生産されたクラフトビール

アメリカでクラフトビールが広まり始めたきっかけは、家電メーカー「メイタグ」の御曹司で当時学生だったフレデリック・メイタグが、倒産寸前だったアンカー・ブリューイング・カンパニーを1965年に買収し、立て直しを図ったことにあるといわれる。

ロングアイランドからニューヨーク市街地へつながる道路
ロングアイランドからニューヨーク市街地へつながる道路。

アンカーは、ゴールドラッシュに湧くサンフランシスコで1896年に設立された歴史ある醸造所だが、20世紀に入ると生産管理体制の不備などで品質悪化を招き、経営難に陥った。メイタグは、アンカーが従来販売していたビールの品質向上を図るとともに、大手ビールメーカーが提供していなかったIPA(インディアン・ペール・エール)やポーターなどを他に先駆けて生産を開始した。当時、これらのビールは、主にハイエンドの一部の消費者に向けて販売されたものであった。だが、特に1970年代以降、小規模生産で多様なビールを提供するビジネスは、カウンター・カルチャー運動の広まりにも見られるように、大企業の発展や大量消費社会の拡大を資本主義システムの弊害として批判的に捉える社会的風潮に合致していた。さらにこうした社会的変化に伴う消費者の嗜好の変化ともあいまって、アンカーは1975年には黒字転換を達成した。カウンター・カルチャーが下火になってからも、クラフトビールはビジネスカテゴリーとして成長を続け、中にはボストン・ビア・カンパニーやシエラ・ネヴァダ・ブリューイング・カンパニーなどのように、およそ小規模経営とはいえない生産量を誇る企業に成長したものもある(ボストン・ビア・カンパニーは年間6億2000万リットル、シエラ・ネヴァダは年間1億4700万リットルを生産。前述のアンカーはシエラ・ネヴァダの10分の1ほど)。

こうした比較的大きな規模で生産されたクラフトビールは果たして「クラフトビール」なのか、という問いは業界関係者や消費者の間で議論されてきた。だがこれは、生産規模に関するクラフトビールの定義の問題というよりは、クラフトを標榜する企業が根本的に抱える矛盾と繋がっているようにもみえる。多くのクラフトビールの作り手は、こだわり抜いたビールを作りたい、地域に根ざしたものづくりがしたい、というようなミッションを持っている。だがそうした思いをより多くの消費者に広めようとすればするほど、市場・生産量の拡大を招くことにもなりうる。そうなった時に、それ以上ビジネスの拡大をしないというのも一つの選択であるし、ミッションから逸脱しない形で生産拡大を企図することもあり得るかもしれない。問題なのは、企業サイズや生産量そのものの数字ではなく、クラフトを標榜するミッションからの逸脱である。こうした内在的矛盾は、クラフトビールビジネスが資本主義の一形態である所以だともいえる。だが、そうした一見「矛盾」のようにみえるものを、二者択一の選択として考えるのではなく、従来の生産・流通体制やマーケティング等のあり方を変えることで、矛盾ではなく共存しうる問題としてみえてくるかもしれない。

場所や時代に即して考えなければ、資本主義の影響を語ることはできない

「クラフトvs. 資本主義」という構図で語られるとき、資本主義は何かしらの弊害をもたらすマイナスのシステムとして位置づけられる。もちろん、資本主義経済の拡大は、工場労働者の増加や労働力の搾取、自然環境の破壊、さらにいわゆる南北問題にみられるように各国の政治的・経済的な力関係の差を拡大させもした。こうした行き過ぎた資本主義経済の是正を目指して台頭したのがクラフト概念でもある。

ただここで注意すべきは、「資本主義」なるものを人間社会や経済活動の外にある、不変で何か目に見えない大きな構造として捉えてしまうことである。資本主義は、世界の経済的・政治的・社会的あり方を規定しうるシステムではあるものの、そのあり方や意味、影響は、時代や社会によって異なっている。例えば、19世紀の奴隷制によって生産が拡大した欧米の製糖産業をみると、生産を担う奴隷たちと砂糖を享受する消費者(当初は主に都市部の上流・中産階級層)を比べてみれば、資本主義の影響がいかに場所や人によって異なるかが一目瞭然だろう。より身近な現代の例を挙げれば、ファストファッションを下支えする劣悪な労働環境のスウェットショップと煌びやかなファッション界とは、資本主義システムの中で表裏一体の関係にある。非歴史的な抽象化された概念やシステムとして資本主義を理解するのではなく、その立ち現れ方をある場所・時代に即して考えなければ、資本主義システム拡大の是正を唱えてもそれは机上の空論となってしまうだろう。さらに、その「代替策」なるものがあったとしても、それさえも本当の意味を持ちえないのではないだろうか。

信州の蕎麦畑
信州の蕎麦畑。向こうに見えるのは南アルプス。

ところで、上記のような、資本主義を経済システムとしてのみ考えるのではなく、時代や場所によって異なる影響やその意味などを含め、いかに資本主義というものが社会の中で機能し、また歴史的に変化してきたのかを、マクロとミクロの視点から理解しようとする動きが、2010年前後から特にアメリカ合衆国の歴史学者らの間で広まった。そして「History of Capitalism(資本主義の歴史)」という研究分野として、ハーバード大学やコーネル大学などを筆頭に研究・教育が進められている。当分野では、先述した奴隷制に焦点を当てた研究が複数あるほか、資本主義とジェンダーや人種との関係性に目を向けたものもある。(History of Capitalismの第一人者であるハーバード大学教授スヴェン・ベッカートによる『綿の帝国』は、2022年に邦訳も出されている。)

クラフトとは、資本主義のバリエーションの一つである

資本主義と同様に、クラフトの意味についても多面的に考える必要があるだろう。クラフトは、概して「手仕事」「職人技」「小規模生産・経営」という概念と結びつけられることが多いものの、一つの確固とした定義があるわけではない。クラフトビールやクラフトジン、クラフトチョコレートのように商品のカテゴリーとして用いられる場合、その意味はさらに曖昧になる。クラフトビールの場合、生産量や経営規模等により定められた定義が一応はあるものの、商品や産業によってクラフトの定義は様々で、さらにその語が喚起するイメージは国によっても異なる。こうした多義性・曖昧さこそが現在のクラフトブームを可能にしているともいえる。様々な商品を形容する語として用いることができ、多くの人がなんとなくイメージするものとして広告などのマーケティングでも使いやすいからだ。

さらにこのことは、今日使われるクラフト概念が、資本主義経済やそこから生まれる消費主義社会と対極のものというよりは、資本主義システムの中にあるからこそ機能していることを示唆してもいる。クラフトビールやそのほかの「クラフト」を標榜するビジネスや商品は、従来の大量生産や画一化を進めてきた(また、それに伴い様々な弊害をもたらしてきた)資本主義的生産活動に警鐘を鳴らしつつ、資本主義とは全く異なる経済システムを標榜しているというよりは、これまでとは異なる資本主義のあり方を提示しているのではないだろうか。ならばクラフトとは、システミックな(一枚岩的な)資本主義に対するアンチテーゼやオルタナティブというよりは、資本主義のバリエーションの一つだといえるのではないか。

これは、クラフト—さらには近年拡大しつつある新たな経済的・社会的取り組み—が資本主義システムから抜け出せず意味を持たないと言いたいのではない。むしろその逆である。資本主義を一義的に捉えるのではなく、既存の枠組みを少しずらすこと、例えばこれまで進められてきた経済活動、さらには人々の生活スタイルや価値観などを見つめ直すきっかけを生み出すことが重要で、クラフトはそうした原動力になる可能性を秘めているようにも思う。クラフトビールの歴史や「クラフト」の社会的・経済的意味を考えることは、資本主義の歴史性、そしてその変化をもたらす政治的・経済的・社会的要因を理解することでもある。クラフトが「ブーム」となった意味を理解することで、社会を読み解くヒントがあるのではないだろうか。

【参考文献】
綿の帝国――グローバル資本主義はいかに生まれたか』スヴェン・ベッカート 鬼澤忍・佐藤絵里訳(紀伊國屋書店 2022年)
甘さと権力――砂糖が語る近代史』シドニー・W・ミンツ 川北稔・和田光弘訳(ちくま学芸文庫 2021年)
Baptist, Edward. The Half Has Never Been Told: Slavery and the Making of American Capitalism (Basic Book, 2014)
Hyman, Louis. Debtor Nation; The History of America in Red Ink (Princeton University Press, 2011)
Ocejo, Richard E. Masters of Craft: Old Jobs in the New Urban Economy (Princeton University Press, 2017)