久野愛

久野愛

モルディブのカツオ漁の船。モルディブでも昔からカツオ節を作る。

(写真:佐藤秀明

本当に変革的な人工物が生まれるとき、理解を超えるそれをデザインが媒介する

今、世界では毎日のように新しいテクノロジーが生まれているが、それがどんな技術なのかすぐさま理解できてしまううちは、そのテクノロジーはまだ革新的なものではないのかもしれない。あるいはすでに、素晴らしいデザインが実装されたうえでお目見えした高度な完成品である可能性がある。

Updated by Ai Hisano on February, 1, 2023, 5:00 am JST

人間が機械の奴隷になることへの反抗

デザインは常に人間の役に立つものとしてその姿を現すが、その本当の狙いは人間をリ・デザインすることである。
 ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー『我々は人間なのか?』

これまでいくつかの論考で、19世紀後半以降の工業化や都市化、大量生産体制の発展をはじめとする資本主義システムの拡大を、人々がいかに受け止め、またそれらが人々の生活をどのように変えたのか論じてきた。例えばカール・マルクスによる感覚や感性に関する議論、ジャン・ボードリヤールヴァルター・ベンヤミンらが描いた消費主義社会の台頭、デパートの誕生や科学技術の発達などを通して、近代資本主義社会が作り上げたエステティクス(感覚的・感性的体験)について触れた。

こうした19世紀後半以降の大きな経済的・社会的変化に向き合った人たちの中で、今回はデザイナー、特に「モダンデザイン(近代デザイン)」を作り上げてきた人々に目を向ける。モダンデザインは、その特徴として合理的な機能性や装飾のない簡素さが一般的に挙げられることが多い。ここではそうした機能性や外見的特徴だけではなく、いかにモダンデザインの意味が作りあげられていったのか、デザイナーの実践を通して考えてみたい。

モダンデザインの始まりは、19世紀後半のイギリスにまで遡る。他国に先駆けて産業革命を成し遂げたイギリスでは、工業化が進み、大量生産された製品が人々の生活に溢れるようになった。また、機械生産が広まり工場労働者(多くは非熟練労働者)が急増した。1880年代、イギリス人思想家でデザイナーでもあったウィリアム・モリスは、機械化によってかつての手仕事によるモノの機能性やデザインの美しさが失われたとして、手工芸の復興を目指しアーツ・アンド・クラフツ運動を展開した。モリスは、モダンデザインの父とも呼ばれており、生活と芸術の融合を標榜した彼の思想は、20世紀以降のデザイナー・思想家にも大きな影響を与えることとなる。特にモリスが異を唱えたのは、人間の道具として誕生したはずの機械が、生産工程の中心的役割を担うようになったことで、人間が機械の一部または奴隷のようになってしまうことであった。(日本でも同じ頃、柳宗悦が日常生活の美(日用品の美)を訴え民藝運動を主導した。柳や日本におけるモダンデザインについては今後の論考で触れたい。)

入笠山山頂の花畑
長野県にある入笠山の山頂に広がる花畑。

20世紀初頭以降、ヨーロッパ諸国や米国で、お互いに影響し合いながらも各国で独自のデザイン運動が展開し、中でも世界的な影響力を与えたのが、ドイツ人建築家ヴァルター・グロピウスが創設した、美術・工芸・建築を統合した教育機関「バウハウス」である。モリスが主導したアーツ・アンド・クラフツ運動が手工芸への回帰を訴えた一方で、グロピウスらは、バウハウスの理念にも明記されているように、理想的なデザインは「芸術と近代機械産業との結合」によって生まれると考えた。つまり、芸術を生活と融合させようとするモリスらの思想を受け継ぎつつも、バウハウス(またその影響を受けたその後のモダンデザインの多く)は、必ずしも機械を否定するのではなく、機械と人間(手仕事)とを融合することで生み出されるデザインの美を追求しようとしたのである。モダンデザインに込められた哲学は、モリスらによるアーツ・アンド・クラフツ運動とは異なる形で、資本主義社会の拡大、特に機械化のあり方と対峙しようとするものであった。

芸術を産業と組み合わせることで、生活をより「快適」にできると考えた

モダンデザインは、「生活に対するデザイン的解決策であり、その解決策は、あなたが生まれ落ちたその世界、その時代の中で、快適に自然に生きようとするならば、絶対に必要なもの」である。1930年代前半、このように述べたアメリカ人デザイナーのラッセル・ライトは、モダンデザインを生活の質向上のために不可欠なものとして位置付けた。同様に、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でインダストリアルデザイン(工業デザイン)部門のディレクター(1946〜1948年)を務めたエドガー・カウフマンJr.は、1950年の著書『近代デザインとは何か』の中で次のように記している。モダンデザインとは、「われわれの生活様式、われわれの能力、われわれの理想に合致した()()を計画して作ることである」(強調原文、p.8)。そしてカウフマンは、モダンデザインの「定理」として、「近代的生活の実際的必要を充足」すること、「新材料・新技術を駆使し、在来のそれを発展せしめるべき」であること、「できるだけ広く公衆に奉仕すべき」ことなどを挙げている。ライトとカウフマンが主張したように、20世紀初頭から半ばにかけて、モダンデザインを主導・標榜したデザイナーや美術評論家、思想家らの多くは、芸術と産業・機械生産とを組み合わせることで、生活をより「快適」にするモノのデザインが可能だと考えた。彼・彼女らにとって「モダン」であるということは、すなわちデザインが社会的役割を果たすことを自覚することでもあったのだ。

なぜ家電は白かったのか、流線型はどうして好まれたのか

ただ、冒頭の引用で建築史家のビアトリス・コロミーナとマーク・ウィグリーが述べるように、人々の生活を快適・豊かにするための手段としてデザイナーらがモダンデザインを捉えていた一方で、デザインは翻って人間を「リ・デザイン」するものだったともいえるのではないだろうか。デザイナーがいかにモダンデザインを作りあげ、それが何を意味していたのか、ナラティブ(物語性)の構築、スタイルの具現化、異質性の自然化という3点に焦点を当て考えてみたい。(これらは、いわゆるアート作品として制作されたものではなく、主に商品として生産・販売されたモノのデザインに当てはまるものとして考える)。

50年代のアメリカ車
50年代のアメリカ車。

物語性とは、デザインがその時代の文化的価値観や社会的規範に係る「ナラティブ(物語)」を映し出しているということである。例えば20世紀初頭の米国におけるモダンデザイン、そしてその影響を受けたインダストリアルデザインの特徴の一つとして、「流線型」と呼ばれる曲線を基調としたフォルムがある。流線形は、空気抵抗を減らす効果があり鉄道の車体デザインにも採用されるなど機能的理由でその形が好まれたこともあるが、工業化が進む社会の中で「効率性」や「スピード感」といった近代的価値観を体現したものでもあった。また、冷蔵庫などの家電やキッチン用品、バスルームのデザイン等には白色が多用された。白は、一般的に清潔さや純粋さ等の印象を与える色とされており、当時、特にキッチンやバスルームに用いられたのは、執着的なまでの「衛生・清潔さ」を求める価値観が表れていたとも言われている(これは、20世紀初頭の米国で、細菌などに関する医学知識や科学的知見が次第に一般家庭にも広まり、「清潔さ」を重視する社会的風潮が強まったことと関係している)。こうしたスピード感や清潔さは、モノの形や色が内在的に有する特徴ではない。近代性と結びついたスピード感や清潔さのような、ある時・ある場所で構築される文化的価値観としてデザインが作られてきたのだ。同時にこうしたデザインは、近代的価値観を視覚的に表現していただけでなく、人々の認識や行動を構築・規定しうる社会規範として、これらの価値観をある意味で制度化したともいえる。

さらに、社会的・文化的価値観は、しばしばライフスタイルと密接に結びつけられる。これが二点目のスタイルの具現化である。あるモノが物語によってその価値観と結びついたとき、そのモノは理想的なライフスタイルを象徴するものとなる。例えば、モダンデザインは、アルミニウムや合成ガラスなど工業製品を素材として用いたり、ミニマムなデザインであったりすることが特徴だが、そうしたデザインによる家具や日用品が日常を演出するおしゃれなアイテムとして提示されることで、モダンデザインはいわゆる文化的で理想的なライフスタイルの一部として取り込まれていった。そして、そのモノ(デザイン)を所有することによって、理想的ライフスタイルを達成できるという、消費主義社会の中にデザインが組み込まれていくのである。

実験室と過程を結びつけたモダンデザイン

デザインを取り巻く物語が作られることによって、異質なもの—例えば、工業化や産業の近代化によって誕生した科学知識や技術—が自然化される、つまり一般の人々が普段の生活の中で当たり前のもの・自然なものとして受け入れるようになる。例えば当時、アルミニウムやプラスチックなどの工業製品が日用品の素材としても次第に多用され、人々が広告などでも目にし耳にするようになったことで、馴染みある日常の一部となっていった。これは、クリスティーナ・ウィルソンが「住みよいモダニズム(livable modernism)」と呼んだモダンデザインの特徴であるともいえる。ウィルソンによると、デザイナーや販売メーカーは、工業製品やその製造工程が持つ「冷淡」なイメージを緩和し、中産階級家庭に向けてモダンな家具や日用品を販売するため、生活の快適さや親しみやすさに結びつけたイメージ・物語を作り出した。そして、科学的知識や機械との融合が図られたモダンデザインは、「住みやすさ」を助けるものとして作り出されたのである。つまりモダンデザインやそこに付与された文化的意味は、化学者の実験室やベルトコンベヤーが並んだ製造工場と家庭とを媒介する役割を担っていたともいえるだろう。

物語による意味付け、ライフスタイルの記号化、科学知識や技術が「親しみ」あるものとして飼い慣らされることによって、消費主義社会の中でモダンデザインは成立しえたといえる。それは、機能性や簡素さといった特徴のみで定義されるうるものではなく、20世紀初頭の近代化する社会的背景の中で作り出されてきた。そしてモダンデザインは、社会的風潮や価値観を映し出す社会の鏡としてのみならず、当時の文化的価値観や理想的ライフスタイルなるものがデザインと結び付くことで、人々の生活のあり方や感性を形づくる役割も果たしてきたといえるだろう。デザインの歴史を辿ることで、人と機械との関係、特に人々が新しい技術とどのように対峙しようとしたのか、そして科学・技術・嗜好・ライフスタイルがいかに複雑に絡み合いながら消費主義社会が作り出されてきたのかを垣間見ることができる。

新しい技術が日進月歩の勢いで生み出され、それが日常生活に入り込んでいる今日、文化的価値観、社会思想、科学技術のあり方を映し出す社会的プロセスとしてのデザインの変遷は、私たちに何を教えてくれるのだろうか。コロミーナとウィグリーが次のように論じるように、デザインは私たち人間のあり方を考えるヒントを与えてくれるかもしれない。

「結局のところ、見ること、把握すること、そしてじっくり考えることは、デザインの重要な要素である。デザインが基本的に将来を展望するための方法であるのなら、それは単に新しい人工物を発明するという意味においてではない。人工物が本当に変革的なものにあるのは、我々の期待を超え、理解を超えるときだ。デザインが人間を再定義する役割を果たすのは、見ること、考えること、理解すること、そして行動するための新たな手段の可能性を引き出してくれるときである。それはつまり我々人間を疑うときである。」

参考文献
『近代デザインとは何か』エドガー・カウフマンJr. 生田勉訳(美術出版社 1953年[1950])
我々は人間なのか?—デザインと人間をめぐる考古学的覚書き』ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー 牧尾晴喜訳(ビー・エヌ・エヌ、2017[2016])
『欲望のオブジェ—デザインと社会 1750年以後』新装版、エイドリアン・フォーティ 高島平吾訳(鹿島出版会 2010年[1986])
モダン・デザインの展開―モリスからグロピウスまで』ニコラス・ペヴスナー 白石博三訳(みすず書房 1957年[1936])
現代美術史—欧米、日本、トランスナショナル』山本浩貴(中央公論新社 2019年)
Hansen, Per H. Danish Modern Furniture, 1930–2016: The Rise, Decline and Re-emergence of a Cultural Market Category (University Press of Southern Denmark, 2018)
Meikle, Jeffrey L. Design in the USA (Oxford University Press, 2005)
Meikle, Jeffrey L. Twentieth Century Limited: Industrial Design in America, 1925–1939, 2nd ed. (Temple University Press, 2001)
Meikle, Jeffrey L. “Domesticating Modernity: Ambivalence and Appropriation, 1920-40.” In Designing Modernity: The Arts of Reform and Persuasion, 1885-1945, Wendy Kaplan (ed.) (Thames and Hudson, 1995), pp.143-67
Wilson, Kristina. Livable Modernism: Interior Decorating and Design During the Great Depression (Yale University Art Gallery, 2004)