岡村 毅

岡村 毅

(写真:IDEAPIXEL / shutterstock

あまり他人を信じない日本人。精神科医が患者の信頼を獲るためにしていることとは

膨大なデータのなかから最適解を見つけ出してくることはそれほど困難な時代ではなくなってきた。では現代において、特定の知識に対して造詣が深いというだけで、専門家は信頼を得ることはできるのだろうか。
信頼関係の構築が重要な専門職の一つである精神科医がどのように信頼を獲得できるよう働きかけているのか、現役精神科医に綴ってもらった。

Updated by Tsuyoshi Okamura on April, 25, 2023, 5:00 am JST

治すのが難しい症状がある患者に「よくなるよ」と言うこと

2番目の例である。「自分のことを悪く言っている声が聞こえてくるんです。道を歩くとベランダの上から聞こえてくる。後をつけられて悪口を言われる」「本当なんです、信じて下さい」と汗をだらだら流して青白い顔で訴えるB男さんがいたとする。これは統合失調症で間違いないだろうから「ああこれは幻聴だ、病気の症状です。あなたの頭の中で聞こえているだけだ。さっさと薬飲みましょう」というと、おそらくB男さんは悲しそうな顔をして、「いや、これは本当なんです」と帰ってしまうだろう。私なら「それは大変ですね、あなたが大変な思いをしていることは信じますよ」ときちんと信頼関係を構築してから、「たくさんの人がここにきて薬を飲んでよくなっていくのです、早く苦しみをとりましょう」と伝える。「本当?絶対によくなる?」と言われたら皆さんはどうするだろうか。「統合失調症はよくなることもあるが、難治性の人もいる。そういう人は幻覚妄想が固定化して社会機能を失っていくんです。あなたもそうかもしれません」などというのは論外だろう(たとえそれが厳然たる事実だとしても)。私だったら、若いころなら「絶対はないですが、よくなってほしいから、治療しましょう」と言っていた。最近は「うん、よくなるよ」とシンプルに言えるようになった。

このケースは専門家としての判断は揺るがない。しかし個人としての思いやりが常にコミュニケーションの形式を支配している(伝えるニュアンス、順序といったものが大事なのである)。

ときには訴訟や暴力による脅しを受けながらも、本当のことを言わなければならない

(写真:Altitude Visual / shutterstock

3番目の例である。双極性障害の方が、躁状態で「自分はものすごい発明をした、いま数億かけてこれを商品化したら何兆も儲かる。自宅を売りたい」といって家族が連れてきたケースである。しかし発明というのは荒唐無稽なものである。医師は「あなたは躁状態で、躁状態では失うものが大きいのです。今のあなたは自宅を失おうとしています。まずは入院治療しましょう」と伝える。こういうとき何が起きるか?もちろん、とてつもなく罵倒される。躁状態では頭の回転は矢のように早いので、こちらが言われたくないことを矢継ぎ早に言ってくる。「あとで損害賠償を請求する。何兆もだ!」といわれると、訴訟恐怖症の医師は震えあがってしまう。また躁状態では睡眠もとらずに本を速読することだってできるので、「この薬は〇〇という副作用があるだろう、あんたヤブだな」とか、「日本の精神医療は入院中心で遅れてると新聞にあったよ、よく入院とか言えるな」とか、場合によってはシャドーボクシングをしながら「覚えとけよ、わかってんだろうな」などといわれるとよい気がしない(もちろん以上の記述はとても薄めて書いたものだ)。「何の因果でこんな仕事をしているんだろう、患者さんの言う通りに帰したいよ」と思うことは自然な感情だろう。とはいえ、心を奮い立たせて「あなたのその発言、行動のすべては、躁状態であることのさらなる証拠であり、あなたを今保護しないとあなたが失うものが大きいので、あなたのために入院治療が必要です」と伝えて(対決して)入院させねばならない。

多くの場合、躁状態がおさまると「大変失礼をしました。止めてくれてありがとうございました」となるので心配することはないのだが、このようなケースは、個人の感情(例えば恐怖)をわきに置いて、専門家としてなすべきことをなさねばならない。

このように、専門家と個人の相克が起きるときに信頼が生成されるのである。臨床家は時にどちらかに賭けねばならない。臨床は、安全地帯で批評しているのとはわけが違い、常に後戻りできない1回だけ起きる出来事であり、正解はない。1回だけの、生きるか死ぬかの、投機的な事象なのである。