庇護されるものは所有されるもの
もちろん、こうした戸籍作成が昆虫や小動物の類いにまで及んだとは考えにくい――すでに述べたように、記録が残っているのは犬、猫、馬だけである。昆虫などは、具体的な個体ではなく漠然とした生き物の集合体として扱うしかなかったのであろう。したがって、憐れみの対象となった動物のなかには、道徳的被行為者とは言えないものも含まれていた。その憐れみは、生命にたいする態度のようなものとして受け取るべきである。
また、御犬様にせよ、迷い犬にせよ、あるいは捨て子にせよ、庇護の対象となるものは、すべて所有されるものでもあった。くわえて、所有者の責任と管理が要求され、そこに幕府の権力が介入してきた。この点では、動物はすべて、ときの幕府の所有のものとなったと言えるかもしれない。動物は所有され庇護されるものであるいっぽうで、とくに犬は人格や個性を認められていた。人格や個性は行為の責任が生じることの必要条件であるが、所有 されるものの行為の責任は通常所有者に帰せられる。所有と被所有の関係は、道徳性をめぐってひとつの論点になりうると私は考えている。次節では、この関係も念頭に置きつつ、ヨーロッパにおける動物裁判について考えてみたい。
破門されたナメクジ、罪に問われたモグラ。豚は裁判にかけられた
ヨーロッパの歴史に目をむけると、動物裁判という奇妙な出来事がある。裁判には、キリスト教がらみのもの(ecclesiastical trial)と世俗的なもの(secular trial)があった。中世末から近世にかけて、さまざまな種類の動物が「悪事を働いた 」という理由で迫害されたり処罰されたりした。毛虫やネズミ、ナメクジなどを破門にする教義法が公布され、攻撃的なペットや家畜を死刑にする教会法が制定された。昆虫や爬虫類、ネズミなどの小型哺乳類が法的に訴えられ、破門されただけでなく、大型の四足動物にも死刑を含む司法罰が科された。罪に問われたものは、毛虫、ハエ、イナゴ、ヒル、カタツムリ、ナメクジ、ミミズ、ゾウムシ、ネズミ、モグラ、キジバト、豚、牛、鶏、犬、ろば、牝馬、山羊などを中心として多岐におよんだ。アメリカの学者、E・P・エヴァンズは、37種もの生物をリストアップしている。
生類憐れみ政策によって過剰に保護される生き物が、蚊などの昆虫にまで拡大していったのと同様に、この時代のヨーロッパでは断罪される生き物のリストは広範囲に及んでいた。かたや保護される対象、かたや断罪される対象と、まるでポジとネガのように見えるこの文化的違いはきわめて興味深い。
生類憐れみ政策における象徴的な動物が犬であったのに対し、ヨーロッパで裁判にかけられた代表的な動物は豚であった。豚は家畜であるが、かつては、とくに幼い子どもにとっては危険な動物であった。この時代、ヨーロッパ各地で嬰児や子どもが豚に襲われ食い殺された事例が報告された。なぜなら、主としてイノシシから家畜化した黒豚が飼われており、現代の白豚などにくらべてずっと獰猛だったからである。白豚や赤豚が家畜化されるのは、18世紀になってからのことである。現代でも、人間の子どもを食い殺してしまうような事例がある。たとえば最近では、中国の山村での事件が報告されている(3)。アメリカでは、亡くなった飼い主の遺体を豚が食べていたという事例もある(4)。