小松原織香

小松原織香

(写真:mTaira / shutterstock

英語圏のnatureでは捉えきれない「自然」の概念。環境保全の推進に必要な「人文学」のアプローチ

環境問題が取り上げられているとき、どことなくモヤモヤする気持ちがあるのはなぜだろう。それはもしかしたら、この課題解決を主導している欧米諸国の考えるnatureが私たちの捉えている「自然」とはやや異なる趣があるからかもしれない。環境哲学に関する研究を続けている小松原織香氏は、まさにこの問題を表面化させるためにアジア環境哲学ネットワークを設立した。

Updated by Orika Komatsubara on July, 12, 2023, 5:00 am JST

保全活動によって守られようとしている「自然」は、自然科学の想定するnatureでしかない

気候変動をはじめとした環境問題は全世界の注目を集める喫緊の課題である。環境問題の特徴は多国間の協力が必要なことにある。大気汚染や海洋汚染は簡単に国境を超えて広がる。また、CO2排出抑制には各国が協働で取り組まなければならない。すなわち、一国の利害を超えた地球規模の環境政策の立案が望まれている。

他方、国連をはじめとした国際的な環境政策について話し合う場は、英語が第一言語となり、欧米諸国が旗振り役となって議論を進める。最先端の技術を駆使し、統計データや将来予測が提示され、自然科学者たちが環境保全に向けた対応策を検討する、そのときに想定されている「守るべき自然」とは自然科学の想定するnatureである。これらの議論は欧米諸国が中心になって進めている。

しかしながら、環境破壊がもっとも深刻なのはグローバルサウスと呼ばれる国々だ。アフリカ、南米、アジア等の国々の貧困問題を抱えた地域こそが、環境破壊の影響を受けやすい。たとえば、自然とともに暮らす先住民は、環境の変化により、それまでの狩猟や採集の手段を奪われる。また、貧しさゆえに、汚染された危険なゴミを輸入し、集積することで現金収入を得る地域もある。環境破壊の害は弱い立場の人々に襲いかかる。かれらの声は、国際的な環境政策の議論に反映されているのだろうか。

「かまどの神様」はnatureに含まれるのか

実は、この問題は日本における環境問題の議論にも深く関わっている。日本語の「自然」の概念は、英語のnatureの語と完全に重なるわけではない。たとえば、私の祖母は「台所で流しに熱湯を流してはいけない」と説いた。なぜなら、かまどの神様が火傷をして怒るからである。祖母がどれくらい本気で私にそう言ったのかわからない。おそらく、昔の日本の流しは熱湯を捨てると配管が傷んだので、それを避けるための知恵だったのだろう。なんにせよ、祖母は「かまどには神様がいる」と当たり前に言っていた。さて、かまどの神様は自然だろうか? 人工物だろうか? かまどは人工物ではあるが、かまどの神様は人間が作り出したものではない。もちろん、人間の空想だと断じて人工物に分類してもいい。だが、日本文化に馴染みがあれば、「もしかすると自然の側ではないか」「人を超えたものだ」という直感が働く人もいるように思う。だが、自然科学者が英語で環境政策について議論する場では、natureのなかにかまどの神様は含まれていない。日本語の自然が指し示すものは、自然科学のnatureのカテゴリーとは完全には重ならない。