小松原織香

小松原織香

(写真:mTaira / shutterstock

英語圏のnatureでは捉えきれない「自然」の概念。環境保全の推進に必要な「人文学」のアプローチ

環境問題が取り上げられているとき、どことなくモヤモヤする気持ちがあるのはなぜだろう。それはもしかしたら、この課題解決を主導している欧米諸国の考えるnatureが私たちの捉えている「自然」とはやや異なる趣があるからかもしれない。環境哲学に関する研究を続けている小松原織香氏は、まさにこの問題を表面化させるためにアジア環境哲学ネットワークを設立した。

Updated by Orika Komatsubara on July, 12, 2023, 5:00 am JST

環境保全に実効的な政策を考えていくうえでは、人文学のアプローチが欠かせない

こうした自然概念の地域差は、文化の多様性に根ざしている。人々は異なる気候に囲まれ、異なる暮らしを営んできた。そのなかで異なる自然観が生まれてくるのは当然のことである。実は、国際機関IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)も、文化多様性に着目し、次のように述べている。

自然についての多様な概念化と可能な価値の多元性が存在するということは、この分野において政策決定をすることは困難であり、意見の相違や議論にさらされることを意味する。したがって、評価、管理、政策の目的に向けて、異なる利害関係者が明示的にまたは暗黙理に自然やその利益に対して抱く複数の価値を認識し、意思決定においてどのように扱い、対処するのかについて透明性を担保することは重要である。これは、方法論的アプローチや政策過程をデザインするなかで、世界観の影響の重要性を理解するとともに、どの世界観をあてはめる、もしくは考慮するのかについて、透明性を保つことを含む。(IPBES ‘Diverse worldviews & diverse values’ 、原文は英語。筆者訳。)

このように、環境保全を進める国際機関においても、世界の人々が持つ自然観が一つではなく、複数であり、それぞれが異なっていることを認識する重要性を述べている。さらに、IPBESは、「交流、発展、創造性のみなもととして、自然にとって生物多様性が必要なように、人間にとって文化多様性は必要である」(cultural diversity)としている。したがって、私たちは環境保全に実効的な政策を考えていくうえでは、人文学のアプローチにより世界の各地域の自然概念を理解することが不可欠なのである。

アジア12カ国の「自然」が意味するもの

それでは、どうやって各地域の自然概念を知ることができるのだろうか。私は友人のライナ・ドロズ(東京大学・特任助教)とともに、この難問に向き合うために、アジア環境哲学ネットワークを2019年に設立した。一人では世界中の自然概念を知ることはできなくても、各地域の研究者が協力すれば前に進めるかもしれない。簡単なことではない。特に、アジアはそれぞれが異なる言語を用い、歴史をたどってきた。交流するにも英語に苦手意識がある人が多い。それでも、お互いの文化的な壁を超えて、協力して環境哲学について取り組むチャレンジを始めたのだ。

そうは言っても、たった二人の初期キャリア研究者が、なんの予算も支援もなく、手作りで始めたネットワークである。私たちはウェブサイトを立ち上げ、メーリングリストを作り、個人的にスカウトしてメンバーを増やしていった。

そして、2021年、meaning of nature project(「自然の意味」プロジェクト)が始まった。このプロジェクトには、12カ国の異なる地域から15人の参加者がいた。最終的には英語の査読付き論文を執筆し、出版に至る。論文では、中国語、日本語、ベトナム語、フィリピン語、タガログ語、セブアノ語、ルマド語、インドネシア語、ビルマ語、ネパール語、クメール語、モンゴル語の「自然」の語が意味するものが記述されている。以下より、無料でアクセスできる。
Exploring the diversity of conceptualizations of nature in East and South-East Asia | Humanities and Social Sciences Communications

この論文がユニークなのは、オンライン・ワークショップを基盤にした共著論文であることだ。私たちは2021年6月にメーリングリストで参加者を募集し、7月にどんな論文を書くのかを検討するキックオフミーティングをした。さらに、10月に草稿をもとにして議論をし、11月に最終稿に向けて検討を行った。これらは全てズームのオンライン会議と、グーグルドライブを利用したワードの共同編集機能によって行われた。つまり、私たちは一度も対面で会うことなく、共著論文を完成させたのだ。2021年といえばまだまだコロナ禍の真っ最中だ。オンラインでの研究活動が盛んになった、まさにそのときに、私たちは初期キャリア研究者を中心に手探りでアジアの環境哲学の共同研究に取り組んでいた。苦労したのは、インターネットの接続回線が弱い地域の参加者がいたことだ。かれらは、カフェやレストランなど、通信環境が良いところを探して議論に加わってくれた。各地域のインフラ整備の格差を痛感した。

正直にいえば、この論文の完成度は決して高くない。たとえば、東アジア・東南アジアの自然概念の探究を謳いながらも、東アジアの重要な地域・朝鮮半島がまるまる抜けている。私たちが協力してくれる研究者を見つけられなかったからだ。また、各地域の自然概念の記述はアカデミック/非アカデミックの度合いがバラバラだ。参加したメンバーは、哲学の研究者だけではなく、法学者や活動家も含まれる。かれらは「抽象的な概念のことはわからない」と言いながら、四苦八苦して私たちの議論に参加し、自分たちの知見を用いて論文に貢献してくれた。

さらに、東アジア・東南アジアとひとくくりにしても、日本や中国のように書記言語で自然観を探究する分厚い歴史のある地域もあれば、日常生活の中にある非言語的な自然観が優勢ある地域もある。後者の地域では、文献資料が少ないし、あったとしても英語ではないので他のメンバーが確認できない。ドロズが執筆過程で一貫性のある記述になるように苦心して体裁を整えてはいるが、まだまだ各地域の記述の厚みを増して、掘り下げることはできるだろう。これは欠陥ではなく、未来へ続く可能性の話である。