長滝 祥司

長滝 祥司

(写真:arda savasciogullari / shutterstock

ロボットが道徳的行為者となるとき

AIが意思を持って動き出しているような事象が増えている。意見がわかれるところであるが、すでに生成AIには「意識」があると捉えている研究者もいる。ではそのようなプログラムを搭載したロボットは「道徳」を持ちうるのだろうか。
また人間は、動物やロボットと道徳的関係を築くことはできるのか。身体性を軸に考察を続けている哲学者が紐解く。

Updated by Shoji Nagataki on July, 28, 2023, 5:00 am JST

触れることが社会性を育む

現在、アニマル・モラリティの観点から注目されている概念に、動物の社会性がある(3)。社会性をもつことは、飼い犬や飼い猫、家畜と人間との共感、信頼関係の構築にとって重要なこととされる。人間の社会関係では、視線をとらえたり、相手の心理を読んだりといったことがある程度重要になる。これに対して、動物たちの相互作用は、きわめて触覚的-直接的である。触れること(touching)は、彼らの社会関係を構築するために、非常に重要なファクターになっている。ネット上にも、飼い猫や飼い犬、牛や馬などの家畜が触覚的に交流する写真があふれている。

アニマル・モラリティを専門とする研究者によると、接触を通して得られる情報は、豊かな交流を育み、道徳的関係を形成するのに役立つ。たとえば、動物の甘噛みの能力は、幼い頃に他の個体とともに育ち、触覚的に交流することによって得られると言われる。飼い猫でも、単独で飼育されると、噛む力の加減をすることができないばあいがある。幼い猫の姉妹や親猫は、たがいになめ合ったりかみ合ったりするなかで、相手を傷つけないようにといったある種の規範を獲得していく。これは、たがいの弱さ、たがいの傷つきやすさ(mutual vulnerability)を確認する社会的行動である。観点を変えれば、そうした行動は動物たちの道徳的能力(moral capacity)の基礎を示している、と言ってもいいだろう。

発達心理学によれば、人間でも親が幼い子どもに触れること(parental touch)は、社会的発達に大きな影響をおよぼすことが分かってきている(Hertenstein et al. 2006)。人間の子ども同士も互いに身体を触れあわせる機会が少なくなれば、たとえば、子どもはなぐりかたの加減をうまくできず、怒りにまかせて相手に決定的なダメージを与えることがある、といった見解もある。身体的な接触の欠如は、人間にとっても、道徳能力の低下につながると言えるかもしれない。やや話が飛躍するが、ハイテク技術をもちいた現代の戦争は、相手との直接的な接触の機会が欠如しているため、関与する人間の残酷さを増長させているのではないか。触覚は人間の社会生活の中心事項である。それは、出生時に最も発達した感覚モダリティであり、乳幼児期から児童期にかけての認知、脳、情緒の発達に寄与するものである(Field, 2001; Hertenstein, 2002; Stack, 2001)。

動物にせよ人間にせよ、相手をたがいに人格を備えた存在と認めることの基礎に、たがいを傷つきやすい存在として認めるための相互の接触がある。これはすぐれて身体的な出来事である。

ロボットがやわらかい皮膚をもったら

動物の道徳について考察してきたことを念頭におきながら、ロボットのような知的な工業製品と人間との関係について考えてみよう。

ある種の人格をもたせるように設計されたロボットは、現段階ではほとんどのばあい、道徳的被行為者(moral patient)として扱われている。そうしたロボットは、共感の対象になることもしばしばである。幼児ロボット、インファノイド(Infanoid)の開発者の小嶋秀樹氏は、自分の開発したそのロボットを他人に紹介するとき、親しみを込めて「この子」と呼んでいた。ロボット工学者にとって、自分の制作したロボットは、子供のように成長していくことがある。ロボットは、庇護の対象である。製造者でなくても「弱いロボット」などと関われば、われわれもそれを助けたくなるかもしれない。

小嶋氏のもうひとつの代表作に、黄色いぬいぐるみ型のロボット――キーポン(Keepon)と名づけられている――がある。これは、音楽などに合わせておどったりおどけたりすることができ、目をもち視線を合わせたり視線を共有したりすることもできる。小嶋は、インファノイドやキーポンを使って、健常者の子どもやASDの子どもとの心理学的なインタラクション実験を行った。複雑でより人間に近い身体の構造をそなえたインファノイドよりも、黄色い単純なぬいぐるみ型ロボットであるキーポンにたいして、子どもたちはより多くの共感を示した。そのひとつの原因として、踊ったり反応したりする軟らかい皮膚をもつキーポンに、子どもたちが自由に触れることができるという点があるのではないか。触れることで乗り越えられたのは身体的な境界だけでなかった。子どもたちとロボットとの心理的境界をも消し去っていたのである。子どもとロボットとの共感の生成には、人間のような姿形や内面の能力だけでなく、外側=皮膚が大きく関与していたと言えよう。

うえで論じてきたひととロボットとの共感は、ロボットが自律性をもつための必要条件としなくてはならない。なぜなら、共感なき自律性は、道徳的基礎を欠いた悪魔的な機械の創造に繋がりかねないからである。