松浦晋也

松浦晋也

(写真:JAXAデジタルアーカイブス / JAXA

人類が宇宙へと飛び出していった本当の理由

現代では、危険な場所への調査・探索はまずはロボットに行かせ、その後、最もリスクの低いルートを人類が辿るという方法が当たり前になっている。しかし、1950年代に行われた宇宙の調査では早い段階で有人飛行が行われた。なぜなのか。科学ジャーナリストの松浦晋也氏が解説する。

Updated by Shinya Matsuura on September, 1, 2023, 5:00 am JST

真空、無重力、放射線……危険が伴うにもかかわらず、誰も有人の宇宙飛行を疑わなかった

先行したのは、ソ連だった。核兵器を持って米ソが対峙した冷戦の時代、アメリカは核兵器を戦略爆撃機で相手の頭上に投下するという手段を選択した。対してソ連は、大型のロケットで核兵器を相手の領土に打ち込む方法を選んだ。大きく重い核兵器を運ぶには、大型のロケットが必要になる。そうして開発された大陸間弾道ロケット「R-7」は、人が乗る宇宙船を打ち上げるのに十分な能力があった。

かくして、宇宙開発初期に先行したのはソ連だった。1957年10月4日、世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ。そして1961年4月12日には、ユーリ・ガガーリン飛行士が搭乗した世界初の有人宇宙船「ボストーク1号」が地球を一周することに成功したのである。

駆け足で、古代の夢想からガガーリンの飛行までをたどってきたが、現在の視点からすると、ここにはひとつの特徴がある。「誰も有人の宇宙飛行を疑っていない」ということだ。宇宙空間は真空で、かつ地上のような重力も感じない。20世紀に入ってからの研究で地上よりはるかに強い放射線被曝を受けることも分かってきた。決して、人にとって優しい環境ではない。しかるに、歴史的には「人が宇宙に赴くこと」への疑問は希薄だ。

当たり前だ。20世紀も1970〜80年代になるまで、未知の場所を調べるためには人が赴く以外の方法はなかった。

大航海時代、人が航海に出ることなく未知の海、未知の大陸を調べる方法はなかった。アジア内陸に幻の湖を探した時も、地図の空白であったアフリカ内陸に川の源流を求めた時も、北極海の大陸の有無を探査した時も、南極大陸を発見して内陸を踏査した時も、すべて人が赴いた。

調査・探査は、観察し、思考し、記録する能力を持つ人が行うべき課題だった。だから宇宙飛行が現実の技術的課題となった時、すぐに有人宇宙飛行が計画されたのはごく自然なことだったのである。

ロケットよりも課題が複雑。ロボット開発は実現が遅れた

一方で、人は宇宙旅行と同じぐらい長い期間、人に代わる存在——人造人間——を夢見てきた。ギリシャ神話では、キプロス島の王ピュグマリオンが理想の女性の彫像に恋し、その様子を哀れんだ女神アフロディーテが彫像に生命を与える。また、鍛冶の神ヘパイストスは、クレタ島を守る青銅製の自動人形タロスを制作した。

自動人形への情熱は連綿と続き、18世紀欧州では時計産業の発達と並行して、歯車やカムを使って人を含む生き物の動きを精密に再現する自動人形(オートマタ)が作られるようになる。本邦でも茶運人形などの精巧なからくり人形が制作されたのは皆さんご存知の通りだ。1886年、フランスの劇作家ヴィリエ・ド・リラダンが小説「未来のイヴ」に、理想の人造人間ハダリーを登場させ、同時に人造人間という概念に「アンドロイド」という呼称を使用。1920年にチェコの劇作家カレル・チャペックが戯曲「R.U.R」で人に代わって労働を担う人造人間に「ロボット」という名称を与える。ロボットの概念は、アメリカのSF作家アイザック・アシモフが1940年代から50年代にかけて大きく拡張した。アシモフの記念碑的短編集「われはロボット」は1950年に出版されている。

ロボットはロケット推進よりもはるかに複雑な技術的課題だったので、実現は遅々としたものだった。腕を動かすにせよ脚で歩行するにせよ、外界の状況を認識するセンサー、センサーの入力に対応した出力を決定する制御系、制御系の出力に応じて動作するアクチュエーターと最低3段階の技術が必要となる。しかもそれらは状況の変化にリアルタイムで反応する必要があり、そのためには行動を決定する人工知能が必要だ。

単純な反復動作を行う産業用ロボットの試作が始まったのは1950年代、実用化は1960年代に入ってからだった。一般的な工場の生産現場に産業用ロボットの普及が始まるのは、さらに10年を経た1970年代のことである。

ロボットや人工知能の成長を支えた半導体技術の発達

また、現在につながる人工知能の研究は1950年代に始まった。1956年、アメリカのダートマス大学で研究者達が2ヶ月もの長丁場のミーティングを持つ。この通称「ダードマス会議」と呼ばれるミーティングで、初めて人工知能(Artificial Intelligence)という用語が使用された。脳の神経細胞を模擬したニューラル・ネットワークと、ニューラル・ネットワークに学習させるバック・プロパゲーションをはじめとしたアルゴリズムは1980年代までにほぼ出来上がったが、それを具体的な人工知能に組み上げ、一部分であっても人間に匹敵する出力を得られるようになるには、2010年代に入ってからだった。

センサー入力に伴うアクチュエーターの制御も、実用的な人工知能の実現も、技術的な下支えとなったのは、ムーアの法則に従って指数関数的進歩をした半導体だ。半導体技術は、大容量のデータを蓄え、高速に計算を可能にした。が、それだけでなく、受光素子や加速度・角速度を検出する半導体センサー、さらには半導体レーザーが発するレーザー光線を使うライダー(レーザー・レーダー)のように、センサー技術にも使われている。