真空、無重力、放射線……危険が伴うにもかかわらず、誰も有人の宇宙飛行を疑わなかった
先行したのは、ソ連だった。核兵器を持って米ソが対峙した冷戦の時代、アメリカは核兵器を戦略爆撃機で相手の頭上に投下するという手段を選択した。対してソ連は、大型のロケットで核兵器を相手の領土に打ち込む方法を選んだ。大きく重い核兵器を運ぶには、大型のロケットが必要になる。そうして開発された大陸間弾道ロケット「R-7」は、人が乗る宇宙船を打ち上げるのに十分な能力があった。
かくして、宇宙開発初期に先行したのはソ連だった。1957年10月4日、世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ。そして1961年4月12日には、ユーリ・ガガーリン飛行士が搭乗した世界初の有人宇宙船「ボストーク1号」が地球を一周することに成功したのである。
駆け足で、古代の夢想からガガーリンの飛行までをたどってきたが、現在の視点からすると、ここにはひとつの特徴がある。「誰も有人の宇宙飛行を疑っていない」ということだ。宇宙空間は真空で、かつ地上のような重力も感じない。20世紀に入ってからの研究で地上よりはるかに強い放射線被曝を受けることも分かってきた。決して、人にとって優しい環境ではない。しかるに、歴史的には「人が宇宙に赴くこと」への疑問は希薄だ。
当たり前だ。20世紀も1970〜80年代になるまで、未知の場所を調べるためには人が赴く以外の方法はなかった。
大航海時代、人が航海に出ることなく未知の海、未知の大陸を調べる方法はなかった。アジア内陸に幻の湖を探した時も、地図の空白であったアフリカ内陸に川の源流を求めた時も、北極海の大陸の有無を探査した時も、南極大陸を発見して内陸を踏査した時も、すべて人が赴いた。
調査・探査は、観察し、思考し、記録する能力を持つ人が行うべき課題だった。だから宇宙飛行が現実の技術的課題となった時、すぐに有人宇宙飛行が計画されたのはごく自然なことだったのである。
ロケットよりも課題が複雑。ロボット開発は実現が遅れた
一方で、人は宇宙旅行と同じぐらい長い期間、人に代わる存在——人造人間——を夢見てきた。ギリシャ神話では、キプロス島の王ピュグマリオンが理想の女性の彫像に恋し、その様子を哀れんだ女神アフロディーテが彫像に生命を与える。また、鍛冶の神ヘパイストスは、クレタ島を守る青銅製の自動人形タロスを制作した。
自動人形への情熱は連綿と続き、18世紀欧州では時計産業の発達と並行して、歯車やカムを使って人を含む生き物の動きを精密に再現する自動人形(オートマタ)が作られるようになる。本邦でも茶運人形などの精巧なからくり人形が制作されたのは皆さんご存知の通りだ。1886年、フランスの劇作家ヴィリエ・ド・リラダン