松浦晋也

松浦晋也

(写真:JAXAデジタルアーカイブス / JAXA

人類が宇宙へと飛び出していった本当の理由

現代では、危険な場所への調査・探索はまずはロボットに行かせ、その後、最もリスクの低いルートを人類が辿るという方法が当たり前になっている。しかし、1950年代に行われた宇宙の調査では早い段階で有人飛行が行われた。なぜなのか。科学ジャーナリストの松浦晋也氏が解説する。

Updated by Shinya Matsuura on September, 1, 2023, 5:00 am JST

人類が有人宇宙飛行に乗り出すことになった「60年」の差

ロケット推進とロボットの技術の進歩を並べると、ロケット推進がおおよそ60〜80年程先行していることが分かる。1930年代から60年代にロケット技術で起きた長足の進歩が、今、ロボットや人工知能技術で起きているというわけだ。

私は実のところ、この60年の差こそが、人類が有人宇宙飛行に乗り出すにあたっての決定的要因だったのではないか、と考えている。ロケット技術が人ひとりとその生命を維持し、無事に帰還させるだけのシステムの総質量を、ひとまとめにして宇宙空間に打ち上げることが可能になった1950年代——宇宙を知るには人が行く以外の手段はなかった。実際に人が赴き、体験するしか方法はなかったのである。

しかしガガーリンの初飛行から60年以上を経た今日、人類は自らと同等の能力を持ち、調査する能力を持つ機械を手にしつつある。

1950年代の段階で、人類が自分達と同等の能力を持つロボットを手にしていたら、あるいは大型ロケットの開発が2020年代まで遅れていたならば、果たして人類は有人宇宙活動に乗り出していただろうか。少なくとも国が行う宇宙開発では「そんな危ないことに国家予算を支出するわけにはいかない。ロボットで行うべき」となっていたのではないだろうか。

人間は冒険を好む生き物なので、いずれは「俺が行きたいから行くんだ」と民間から有人宇宙活動は始まっていただろう。しかし、それは現実の歴史と比べてかなり遅れることになったであろう。

宇宙探査の手段として発展する、無人の宇宙旅行

世界初の人工衛星スプートニク1号から、すでに「無人の宇宙旅行」の萌芽は見て取ることができる。同衛星は20MHzと40MHzの電波で断続的にビープ音のパルスを発信する仕組みになっていた。この電波を地上で受信してドップラー変位を測定することで、衛星の入っている軌道を計算することができる。それとは別に、ビープ音はごく簡単にではあるが、衛星内の温度と圧力の変化を送信することができた。スプートニク1号の内部は1.3気圧の空気で満たされていた。その温度が50℃以上、または0℃以下になった場合。または圧力0.35気圧を下回った場合に、ビープ音のパルスの長さが変化して地上に異常を伝えるのである。つまりスプートニク1号は、自らの状態が健全かどうかを地上に送信する機能を持っていた。

スプートニク1号の打ち上げにショックを受けたアメリカは、自らも衛星打ち上げを急いだ。何度もの失敗の末、1958年1月31日、アメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」が打ち上げられる。同衛星は、スプートニク1号にはない機能を持っていた。周辺の宇宙空間の放射線量を計測するガイガーカウンターを搭載しており、測定結果を地上に送信することができたのである。

衛星そのものの状態を地上に伝える。そして衛星周辺の状況を地上に伝える——ほんのささやかな機能だったが、これらは後に、有人宇宙活動とならぶ宇宙探査の手段として大きく発展していくのである。

参照リンク
有人宇宙飛行の歴史(JAXA|宇宙航空研究開発機構) 
ロボットの歴史(一般財団法人 日本玩具文化財団)
人工知能の話題: ダートマス会議
Sputnik design
Stories of Missions Past: Early Explorers | NASA