村上陽一郎

村上陽一郎

1976年10月、パキスタンのペシャワル。当時は静かで落ち着いた街であった。

不確実さこそ、人の世の塩である

前回、村上陽一郎氏は近代において人類が進歩しつづけている面について語った。しかし、角度を変えてみるとやはり人類は進歩しつづけているとは言い難い面もある。今回は進歩が招いた新たな衰退の可能性や、一直線上にはなかった進歩について紹介してもらう。

Updated by Yoichiro Murakami on December, 20, 2021, 9:00 am JST

ランダムに変化するウィルスの賢い戦略

COVID-19にしても次々に変異株が現れてきていることを考えると、ウィルスの中に「そろそろ形状を変えた方がいい」といった仕組みがRNAの中に入っていると考えられる。ウィルスには明確な目的意識があるわけではなく、ある程度の時間を置いたらランダムに何かを変えているだけなのだが、そのうちに前の形状よりも効率的に増殖する株が現れる。一方で、形状を変えたことで死に絶えてしまうパターンもある。どのような形を選べば正解かは、そのときどきの環境に身をおいてみないとわからないことだが、ウィルスはそれをランダムに打ち出すことで新しい可能性を見出している。実はこれは非常に賢い。

ここ数か月、日本では、Covid19の感染者数は、他の地域に比べて格段に少ない常態で推移している。明確な理由は専門家でもつかめていないようだが、日本でも変異が起こって、しかもその変異が、たまたま日本人の免疫システムの働きに合うような形であった、というような推測もできないわけではない。

歴史とは、そうしたランダムなメカニズムで動く側面が極めて大きい。そうだとすれば、人間が今の状態を外挿して、将来計画のなかで「選択と集中」を行うことは、大きな悲劇にもつながる。あたりを引けば幸運だが、間違った選択をしてそこに集中してしまったらそれは悲惨だ、おそらく昭和一六年の日本の政治に携わった人たちは、誤った選択に集中してしまった。それは本当に大変な結果をもたらしたが、人類はそもそもそのような間違いを重ねてきたのだろう。日本の科学行政では、流行りの「選択と集中」が、今悲しい結果を生みつつあるのは直近の問題でもある。心すべきか。