高級なものだけが「文化」というのはおかしいやろ
年末年始の特番の中に、3大コンビニの加工食品を、「何年連続ミシュランいくつ星」というレベルの料理人や菓子職人が厳しく審査するというものがあった。コンビニ側は商品開発の責任者と担当者が数名スタジオに来ていて、同じくスタジオで試食する「ミシュランいくつ星」レベルの料理人や菓子職人の様子を固唾をのんで見守る。評価を下す専門家は10名ほど。彼らが合格あるいは不合格の判定の札を上げたその瞬間、コンビニの人々は歓喜の雄叫びを上げたり、悔しさに泣き崩れたりする。初めて観たが、人気の企画なのか半年に1度やっているらしい。確かに、コンビニの方々のこの番組にかける気持ちが画面から飛び出してきそうな勢いで、ついつい最後まで観てしまった。
私がこの特番に興味を持った理由はもう一つある。確かに「食」という点では 同じだが、コンビニと高級料理店のシェフやパティシエたちがそもそも同じ目で評価できるものをつくっているとは思っても見なかった。ところが、この番組での評価のコメントや質疑応答を観ていると、どうやら両者は同じ世界に属しているのだという誠に意外な認識に至った。そう、同じ食文化の世界の「ものづくり人」たちなのだ。その新鮮な発見が時を忘れさせてくれたのだと思う。
そう言えば、高校時代に「それはおかしいやろ」と思った先生の一言を思い出す。同級生たちがそれなりに考え、工夫した文化祭の出し物や展示を見た担任の先生が「君たちの『文化』は文化住宅の『文化』やなあ」と仰ったのだ。確かに関西で文化住宅と言えば、決して高級とは言えない庶民の住宅のある種類のことを指す。そして、先生の頭には桂離宮やフランク・ロイド・ライト設計の旧山邑邸のようないわゆる「文化財」の「文化」があったのだろう。しかし、高級なものだけが「文化」というのはおかしいやろ。どっちも「住文化」やないか。どっちにもものづくり人はおるやろ。そう思ったのである。
桂離宮にも文化住宅にもある「和室」
コンビニの商品開発者と高級料理店の料理人が同じ「食文化」世界のものづくり人だと気付いた時ほどの驚きを誘いはしないだろうが、「住文化」世界のものづくり人に関して言えば、庶民の住宅の工事に関わる町場大工もいれば、文化財クラスの建物の工事を手掛ける宮大工や数寄屋大工もいる。一般の読者の方々は驚くどころか、むしろ両方とも同じ大工で区別がつかないと言われるかもしれない。けれど も私のような建築の世界に属する者にとって、町場大工と宮大工、町場大工と数寄屋大工は、何百年と元を辿れば同じかもしれないが、今は全く異なる種類である。
「プロフェッショナル」的なテレビ番組に取り上げられるのは、法隆寺や薬師寺の宮大工だったり、坪当り工事費が数百万円(一般的な木造住宅だと一桁違う)の高級数寄屋を手掛ける数寄屋大工だったりするが、数は町場大工の方が圧倒的に多いし、私たちの日常的な住文化に直接関わってくるのは町場大工の方である。双方とも同じく住文化を支えるものづくり人というわけだ。
ただ、世間の扱いには異なるところがある。例えば、ユネスコ無形文化遺産。2020年12月17日に文化庁から発表された新たなユネスコ無形文化遺産は住文化・建築文化関連だが、「伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」というもの だった。具体的には下表にあるように、文化財保護法に基づく国の選定保存技術17件(14団体)だけが記載された対象である。とても限定的である。文化財ではない文化住宅を含む日本の住文化に深く関わっているものづくり人、町場大工は一人として対象ではない。
実は、私自身はこの6年ほどの間、日本の和室を、ユネスコ無形文化遺産にできないものかと考え行動する研究会を運営してきた。読者の皆さんも、日本の住宅から和室が消えていきつつあると聞けば、確かにそうだと気付かれると思う。今のままでは、世界でこの国にしかない和室が絶滅してしまうかもしれない。そう考えると何かしなければという気持ちになった。同じ気持ちになった人が40名ほど集まって研究会を立ち上げた。『和室学-世界で日本にしかない空間』という本も出版した。ユネスコ無形文化遺産への道はまだまだといったところだが、私たちのいう和室は「伝統工匠の技」とは一線を画す。対象を伝統建築の中の高級な和室に限ることなく、普通の日本人の生活文化が育まれ展開される空間として日本中に広がった和室の全体を評価してほしいのである。そして、その国際的な評価が、普通の日本人の生活空間としての和室の次なる展開に結び付けば幸いと考えている。和室は桂離宮や旧山邑邸にもあるが、文化住宅にだってある。そこが重要だ。
和室の定義自体は議論のあるところだが、仮に畳が敷き詰められ、水平方向に天井が張られ、障子や襖といった建具で仕切られている部 屋だとすると、それは明治時代以前から文化住宅のような一般庶民の住宅にあったわけではない。そのような部屋の最初期のものは、銀閣寺とも呼ばれる慈照寺の東求堂という建物の一角にある同仁斎。これは4畳半の広さだが、室町幕府第8代将軍だった足利義政が隠居後につくった部屋である。まさしく特権階級の人物が使う部屋だった。これが15世紀末のこと。そして遅くともその約500年後の昭和時代には多くの一般庶民の住宅の中に普通に見出せる部屋になっており、人々の立ち居振る舞いや様々な生活行為のあり方を決定する空間になっていたのだから、大したものである。何が大したものかと言えば、この和室を成り立たせるものづくり人が日本の津々浦々に存在する、あるいは津々浦々に物を行き渡らせるようになったことがである。
和室の骨格としての柱、梁、長押はもちろんのこと、敷居や鴨居、天井といった木部をつくる大工(一般的には町場大工)、襖や障子等の建具をつくる建具職と経師や和紙漉き職、畳をつくる畳職、畳表をつくる藺草農家、畳縁をつくる織物屋、土壁部分をつくる左官、欄間をつくる彫師等々のものづくり人。こうしたものづくり人が殆どの日本の住宅に対応できる形で育成され、継承され、展開してきた幾世代にも亘る過程に想いを馳せる時、それは驚嘆に値することとして胸に迫る。この過程の上に立つものづくり人の世界こそ、私たちの文化の基層と言って良い。
豊かな「ものづくり未来人」へ
本連載で考えようとしているのは、この私たちの文化の基層、ものづくり人の世界の未来についてである。
先ほど日本の住宅から和室が消えつつあることに言及したが、実はそれを支えるものづくり人の世界の衰退ぶりにも看過できないものがある。どちらが鶏でどちらが卵かはわからないが、和室だけに関わる畳関係のものづくり人だけではなく、和室に限らず活躍する町場大工や左官のようなものづくり人の世界も衰退しつつあると言わざるを得ない。具体的には、多くの種類のものづくり人の人数とその構成が、明らかな減少傾向と高齢化を示しているのである。このままでは、500年もかかってものづくり人の世界が私たちの文化の基層になってきた感動的な過程のすべてが無に帰してしまう。何とかならないものか。
このことについて多くの関係者がただただ手をこまねいてきたわけではないが、残念なことに、今のところそう誤解されても仕方ないほどに芳しい結果が出ていない。私自身もそうした関係者の一人である。例えば、大工の減少や高齢化に関する対策会議のようなものには、30年以上に亘っていくつも出て発言もしてきた。でも結果が出ていないのである。
これまで議論してきたことを再度拡声器で叫んでみたところで結果は一緒だと思う。私が今注目しているのは、昔ながらのものづくり人の世界に新しいタイプの人が入ってくること。例えば女性。女性の現場監督は随分増えてきたようだが、女性の大工、左官、畳職、建具職等を見かける機会は稀少である。例えば素人。専門化が進む中でプロとアマを明確に区分けする20世紀的な慣行に従えば、素人が職人の仕事場に出入りするなどもってのほかということになってしまうが、趣味としてのDIYの領域と人気は拡大を続けており、素人のポテンシャルは明らかに上がっている。そして例えば外国人。コロナ禍で動きがほぼ止まってしまったままだが、2019年4月に新設され建設業にも適用されることになった「特定技能2号」は事実上在留期限がなく、家族帯同も認められるという画期的なもので、外国から日本のものづくり人の世界に入ろうという方々の人生設計の見通しが格段に立てやすくなることが期待できる。
女性、素人、外国人。おそらく年齢層も様々であろうこれらの人々が、私たちの文化の基層であるものづくり人の世界に入り、その世界をこれまでになく多様で豊かなものにしてくれる。そんな未来に期待したいし、彼ら「ものづくり未来人」の可能性について具体的に考えていきたいと思う。私の専門性から話は建築関係のものづくり未来人に引き付けたものになるだろうが、ものづくり人の世界が文化の基層になっていることは何も建築に限ったことではない。きっと同じような思考が、他の分野でも成立するのだろうと期待しつつ筆を進めていきたい。
記事中に登場した書籍
『和室学-世界で日本にしかない空間』 編 松村秀一 服部 岑生(平凡社 2020年)