千年築いた基層が崩れる
ところが、1980年を境に大工数は減少し始める。丁度私が大学院に進んだ年である。1985年は約80万人(約151人に一人)。初めての減少、それも5年で14万人も減ってしまった。続く1990年は約73万人(約168人に一人)、1995年は約76万人(約165人に一人)、2000年は約65万人(約196人に一人)、2005年は約54万人(約237人に一人)、2010(平成 22)年は約40万人(約322人に一人)、2015(平成27)年は約35万人(約359人に一人)という具合である。特に21世紀に入ってからの減少の速さは異常であり、日本のものづくり人の世界が長い年月をかけて形成されてきた過程に思いを馳せる時、切なさとともに大きな危機感を覚えずにはいられない。
ここで、前回の拙稿で文化の基層と申し上げたものづくり人の世界について、危機感を覚える背景をもう少し具体的に把握しておきたい。そうしなければ対策の講じようもない。手掛かりはやはり国勢調査。公表されている中で最新の2015年の数字を少し詳しく見てみよう。
先ずは大工。何度も言うように日本全体では35万人。その内の5歳刻みの人数が公表されているが、一番多いのは60~64歳で6万人強。65~69歳が5万人弱、55~59歳が4万人強と続く。平均年齢は52.4歳。驚くべきことに、将来を担うであろう15~19歳の大工は3千人を切ってしまっている。全体の1%にも満たず、60歳代前半の大工の20分の1に過ぎないのだ。どうする?ちなみに伝統的な職種である左官は、全体で7万人強、平均年齢は55.9歳。15~19歳の左官は全国でたったの660人とこれまた1%に届かず。和室を支える畳職人に至っては、1万4千人強で平均年齢は57.3歳にもなる。15~19歳の畳職人は僅か50人で、もちろん1%にも遠く及ばない。一体全体、どうするのだ?
建築と都市の危うい基層を救うのは誰か
建築と都市の基層にあるものづくり人の危うさについて、共有して頂けただろうか。建築に関りがあろうとなかろうと、できるだけ多くの人に危機感を共有して頂くことこそが未来 への第一歩だと考える。
渡辺保忠先生があの論文を書かれた1960年頃。ものづくり人は増加の一途を辿っていた。職場環境や待遇、働き方等にさほどの気を遣わなくとも、ものづくり人の世界の門を叩く若者はどんどん増えていたのである。先の数字から見ても、業界全体の慢心は当然起こり得た。1960~1970年代には誰も大工が減るなどとは思ってもいなかっただろう。ところが、1980年代に入って減少が始まり、その時点で平均年齢の上昇傾向も見られるようになった。結構な騒ぎになった。建設業界は「3K(Kiken, Kitanai, Kitsui)」だからこれを解決しなければならないとか、ゼネコンや住宅メーカーが大工を社員化することを検討すべきではないかとか、ロボットを初めとする機械で置き換えることはできないのか等々、色々な取組みテーマが挙がったが、それが40年後の2022年においてもなお、変わらず検討のテーマとして取り上げられているとは思っても見なかった。この40年を振り返ると、取り組むべきテーマが違っていたのではないかとしか考えようがない。
今私が主なテーマに掲げるべきだと思っているのは、「ものづくり人」の楽しみを取り戻し、それを人生に豊かさをもたらすものとして位置付け直すこと。冒頭のスタッズ・ターケルの言葉を借りると、「仕事・ふつうの人のふつう以上の夢」をかなえられる世界にすることである。さしあたり、次回からは夢を持ってものづくり人の世界に飛び込んできた女性たちの生の声を聞いてみたいと思う。スタッズ・ターケルのように深い話を聞き出せるかどうかには自信がないが、まあやってみることにしよう。
*¹ ここからの渡辺保忠さんの著作の要約と大工人数に関する記述は、拙著「21世紀がテーマとすべき生産性-建築分野-」、「コンクリート工学」Vol.55 No.9、848-851頁、コンクリート工学会、2017年9月より引用の上加筆修正したものである。
本文中に登場した書籍
『仕事!』著 スタッズ・ターケル、訳 中山容(晶文社、1983年)
『工業化への道』(不二サッシ、1962年)