仲俣暁生

仲俣暁生

1990年代のニューヨーク。1990年代前半は失業率が高く治安も不安定であったが、中盤から後半にかけては株式市場が好調となり犯罪率は低下した。しかし依然として失業率は高いままだった。

(写真:佐藤秀明

「知性」は再び浮上するか

知性の人・橋本治の思索はあらゆるジャンルにおいて未来のヒントを与えてくれる。長年にわたり橋本治の書物を読み続けてきた文筆家の仲俣暁生氏が、作品や論考からその史跡をたどり新たな知へと結びつけていく企画、第2弾。

Updated by Akio Nakamata on February, 8, 2022, 8:50 am JST

コラム化した「活字」は主役から降りた

これらの雑誌が「活字」にもたらした最大の変化は、すべての文章のコラム化である。日本の出版業界でいわれる「コラム」は、columnが本来もつ「論説」というニュアンスを失った「短文の囲み記事」のことだ。

『POPEYE』や『JJ』以後、より正確には『an・an』以後に登場したビジュアル中心の「見る雑誌」では、グラフィックデザイナーがあらかじめ誌面を緻密に構成し、いわゆる「先割り」でレイアウトを行う。そこでは「活字」は雑誌を成り立たせる主役の座を追われ、決められた文字数のマスを埋める「部品(パーツ)」に過ぎなくなった。同じく和製英語の「ライター」とは、雑誌における部品としてのテキストを発注される納入業者のことである。

とはいえ、橋本はそのようにデザインやグラフィックに対して言葉(活字)が従属的な地位に追いやられたこと自体を、直ちに批判しているわけではない。橋本自身、作家デビュー以前はイラストレーターであり、少女マンガをはじめとするビジュアル表現のうちに新しい意味と希望を読み取った書き手だった。そして橋本自身、当時生まれたさまざまな「新雑誌」に幾多の「コラム」を書いた(当時のコラム・ブームを皮肉った『デヴィッド100コラム』という題の書き下し本さえある)。

『POPEYE』や『JJ』の登場には、旧来の「活字」によっては把握できなくなった、さまざまな新しい「意味」が込められていた。しかしその新しい「意味」はながいこと言葉によって把握されず、したがって社会のなかで正当に位置づけられることもなく、可能性はただの可能性のまま実を結ぶことなく萎れていった。橋本は『浮上せよと活字は言う』でそう論じたのだった。

『POPEYE』と『JJ』のうち、その後によく論じられ、関係者による証言も豊富に残されているのは『POPEYE』のほうである。代表的な著作としては、初期の編集部員として関わった椎根和による『POPEYE物語――若者を変えた伝説の雑誌』(新潮文庫)、この雑誌の愛読者だった赤田祐一による『証言構成『ポパイ』の時代―ある雑誌の奇妙な航海』(太田出版)がある。同誌を生み出した出版社、マガジンハウス(平凡出版)をめぐる本まで含めれば枚挙にいとまがない。なのでここでは、その後もあまり語られることのなかった『JJ』について、橋本の論と、その後について述べることにしたい。

「コーディネート」という実用的知性

橋本は『JJ』のどこに新しさをみたのか。それは同誌に先立つ、先鋭的な女性ファッション誌の草分け『an・an』との対比により以下のように説明される。

「それが「新しい思想」であったのなら、まだ事態は活字人間にとって把握可能なものだっただろう。しかし『JJ』は思想誌ではなかった。「カタログ雑誌」とも呼ばれた、単なるファッション誌だった。「既にすべてはそこにあって、だから、そこには秩序立て(コーディネート)が必要だ」という、その思想だけが、コマ切れの写真の中から見えていただけだ。」(「三度断絶を論ず」)

ここで「思想誌」と呼ばれているのは『an・an』のことである。たしかに『an・an』は女性ファッション誌のあり方に一つの革命をもたらした。しかし、この先鋭的な雑誌が提示した「思想」は、日本の多くの女性たちにとって「現実の役に立たない」ものだった。その意味では外来の最新思想が、大半の日本の男にとっての身に沁みないのと同じである。

赤い車
2018年ごろ撮影。アメリカ・ネバダ州には観光客向けにまだ蒸気機関車を走らせている街があり、その駅前に停まっていた車。街中が意識して古いものを見せようとしている。

それに対して『JJ』は、過去の様々な時代の「思想=ファッション」の流行がもたらしたデッドストック的な蓄積――男にとっての「積ん読本」のような使われないままの知性――に、一枚のスカーフの使い方に象徴されるような「コーディネート/秩序立て」という「実用」を提示した。そのことで『JJ』はファッションから「様式」というかたちで存在してきた伝統的な「規律」を放逐した、と橋本は言う。

規律なき伝統は「ニュートラ」と呼ばれ一般化すると同時に、日本の平凡な――「コンサバ」とも呼ばれたとおり、保守的でもある――女性たちに、「考えるということは、具体的に、この現実をどうするかを考えることだ」という知恵をももたらした。「そして、そのまんまどこかへ行ってしまったのだ」、と。

ところで、『浮上せよと活字は言う』で橋本治がこのように書いてから、すでに30年近い歳月が経った。『POPEYE』はその後、幾度もの方向転換ののち、「若者」というよりもずっと薹が立った「活字」好きな青年向けコラムマガジンとして存続している。他方、『JJ』はインターネットとSNSの時代が本格化するなかで急激に部数を落とし、2021年2月号をもって不定期刊行化とウェブ媒体への移行が発表された。紙媒体としては事実上の休刊である。

そのように『JJ』休刊が報じられた後、1990年代に同誌の熱心な読者だったという作家の鈴木涼美による『JJとその時代 女のコは雑誌に何を夢見たのか』(光文社新書)が刊行された。本書は実感的・体験的なすぐれた『JJ』論であるのみならず、『JJ』とその同時代の女性ファッション誌論、普遍的な雑誌論である。橋本が「そのまんまどこかへ行ってしまった」と嘆じて以後、「どこかへ行ってしまった」もの、つまり若い女性たちにとっての「現実」を語る言葉は長いこと不在だった。ようやく「活字」によってその現実が捉えられたのだとしたら、新たな知性もまたそこから「浮上」しうるのかもしれない。

本文中に登場した書籍一覧
POPEYE物語――若者を変えた伝説の雑誌』著 椎根和(新潮文庫 2010年)
証言構成『ポパイ』の時代―ある雑誌の奇妙な航海』著 赤田祐一(太田出版 2016年)
増補 浮上せよと活字は言う』著 橋本治(平凡社ライブラリー 2002年) 
JJとその時代 女のコは雑誌に何を夢見たのか』著 鈴木涼美(光文社新書 2021年)