松浦晋也

松浦晋也

2002年ごろ撮影。北極にある電波受信機。

(写真:佐藤秀明

宇宙からしかみえない真実がある

宇宙からは、地球上では見えないものが見える、いや感じられるーー。宇宙空間に打ち上げられたスキャナーは未知の発見に大きな貢献を果たしてきた。宇宙からの視点が持つ力を科学ジャーナリストの松浦晋也氏が解説する。

Updated by Shinya Matsuura on February, 9, 2022, 0:00 am JST

新自由主義が差す影

EARTS計画は、当初EART-A、EARTS-Bという同型の衛星2機を運用する予定だった。EARTS-Bは「ランドサット2 」と改名され、1975年1月に打ち上げられた。衛星の有用性が実証されたことで、計画は継続になり、1978年には「ランドサット3 」が、1982年に「ランドサット4」、1984年には「ランドサット5」と、後継機が次々に開発され、軌道上に送り込まれた。1979年には、持続的・かつ継続的に比較可能な地球観測データを取得し続ける体制を整備するために、計画はNASAからアメリカ海洋大気局 (NOAA)に移管された。

衛星を継続的に打ち上げ、運用し、得られたデータを分析していく中で、アメリカは同型のセンサーを打ち上げ続けてデータを蓄積し続けることの重要性に気が付いた。同じセンサーで継続的に観測を続けることで、比較可能なデータが溜まっていく。それは文字通りの宝の山だ。新たなデータ解析手法が開発できれば、それを使って過去のデータを分析し直し、過去に何が起きていたかを知る事ができる。過去を知る事ができれば、未来への見通しも得られる——。

ここに、世界初の地球観測衛星となった「ランドサット1」の後継衛星を打ち上げ続け、観測を続けていく意義が生まれた。1972年からの継続的な観測データが存在するのは、世界でランドサットだけなのである。

ランドサット計画は続けることに意義がある——しかし、そうことは簡単に進まなかった。

1981年1月20日、共和党のロナルド・レーガンが第40代アメリカ合衆国大統領に就任したレーガン大統領は2期8年の在任期間中、新自由主義(ネオリベラリズム)に基づき、政府規制を廃し、市場参加者相互の自由競争を通じて経済を強化・成長させようとした。その流れは宇宙産業にも及んだ。

1980年代から90年代にかけてはランドサットにとって受難の季節となったのである。

参照
Landsat 1:https://landsat.gsfc.nasa.gov/satellites/landsat-1/
The Multispectral Scanner System:https://landsat.gsfc.nasa.gov/article/the-multispectral-scanner-system/
History of Remote Sensing: Landsat’s Multi-Spectral Scanner (MSS):https://gpsr.ars.usda.gov/short_remotesensing/Intro/Part2_16.html
Virginia T. Norwood: The Mother of Landsat:https://landsat.gsfc.nasa.gov/article/virginia-t-norwood-the-mother-of-landsat/
Landsat Galleries:https://landsat.gsfc.nasa.gov/gallery/