藤田盟児

藤田盟児

雨の降る、京王百草園。四季の趣を楽しめる日本庭園だ。

(写真:佐藤秀明

人間関係は座敷で再構築される

テレワークが普及し、直接会わずに対話をすることは容易になった。しかし、画面を見ながらの会議は本当に言いたいことを伝えられているだろうか、参加者の本音に触れることができているだろうか。私たちは空間が持つ力を過小評価しているかもしれない。実空間は独特の意味や効用を持っている。

和室がどのように生まれてきたのかを研究し続けてきた藤田盟児氏に、その成り立ちから座敷という空間が持つ「平等性」を築き上げる力について解説してもらう。
(このテキストは、新教養主義宣言「新・和室学 世界で日本にしかない空間文化」から内容の一部を編集してお届けしている)

Updated by Meiji Fujita on February, 21, 2022, 0:08 am JST

シャネルにみる「様式」とは何か

和室の作りについて述べる前に、まず「様式」や「スタイル」と呼ばれるものについて私の考え方を説明しておく。その典型的な例がご存じのシャネルがした仕事である。シャネルは第一次世界大戦中に働かなければならなくなった女性のために、それまでのウェストを締めつけるドレスではなく、男性のスポーツウェアや下着などに使われていたジャージー生地を用いて「ジャージー・ドレス」を生み出した。それがさらに進み、コートやスーツを女性の体型に合わせて仕立直したいわゆるシャネル・スーツが誕生したのだ。これらは全て外で働く女性のために作りだされたスタイルで、これが現代までの女性の服装のもとになっている。

「様式」および「スタイル」というのはこのように、あるときに誰かが新しい未来をイメージしたときに生み出される。シャネルはエドワード朝の時代に女性がさっそうと働く社会をイメージしたのだ。
シャネルのこのイメージは新しいファッションスタイルを生み出し、それがその後100年以上にわたり女性のファッションスタイルとして広がっていった。様式とはこのようなものである。

スタイルというのは集団で一定の形式・品質をもって、ある一定期間に継続的に行われるものを指し、フォルムやオーダーとは異なる概念である。一般にスタイルというのは、まずそれをつくっている要素がある。例えば、ジャージー生地あるいは男性と同じようなカッティングなどだ。それらの「要素」をどう組み合わせるかは「形式関係」という。それらは目に見えるものではあるが、そこには「颯爽と働きつつもかわいらしくあってほしい」というシャネルの思いのようなものが「品質」として宿り、それが見る人に伝わる。その「品質」が共有化されないとスタイルというものは発生しえない。これはヨーロッパの美術史の中で長い時間をかけてつくられてきたスタイルというものの捉え方である。
私はこれを日本の和室のなかにも見出すことができると考えている。

桟橋に立つ女性
1980年ごろ撮影。千葉県の海で。

南宋の時代のハイパーインフレで「個人」が力を持ち始めた

シャネル・スーツが生まれた発端が第一次世界大戦だったように、和室が生まれたのにも理由がある。
11世紀から12世紀の中国の宋では、貨幣の大量鋳造と “会子”という名前の紙幣が生み出されたことにより、南宋の時代にはハイパーインフレが起きた。資本主義の原型のようなものだが、これは東アジア一帯にいろいろなものの価格差を引き起こした。その価格差を利用し、貿易で儲けようとした人たちの一団の中に武士がいる。例えば平清盛は日宋貿易で巨万の富を得て、それを自分の政治的・武力的背景にしている。宋が大量につくり出した貨幣を輸入して、それを日本の基準貨幣にし、利潤を得たのだ。

このような時代には、能力のある個人は非常に大きな力や富を手に入れることができた。実はこれが、鎌倉時代を生み出したのである。これが芸術に表現されると、運慶・快慶の慶派のリアリズムといったスタイルが出てくる。
資本主義が伝わるのに時間がかかったヨーロッパでは、後にメディチ家のような銀行資本家が生まれ、ルネッサンスが始まる。そこで発見されたものは共通していて、人間個人の能力の発見である。