暮沢剛巳

暮沢剛巳

1980年代に南アフリカで撮影。アパルトヘイト最中の白人専用ビーチ。唯一の黒人として物売りの少年が写っている。

(写真:佐藤秀明

生命感のあふれる遊びがない。それが現代の空虚さだ

新たな価値を創造する手段として近年ではよくアート思考やデザイン思考が用いられている。一般的にアートとデザインは異なるものだと認識されているが、日本を代表する芸術家・岡本太郎は実は数々のデザインワークを手掛けてきた。岡本はデザインをどのように捉えていたのだろうか。岡本の思考を探ることで、デザインとは何かを今一度考えてみよう。

Updated by Takemi Kuresawa on February, 22, 2022, 0:08 am JST

クライアントワークも手掛けてきた岡本太郎

縄文」「東北」「太陽の塔」等々、人々が岡本太郎と聞いて連想するものは様々だ。なかでも本稿では、岡本太郎とデザインの関係に焦点を合わせていく。

とはいえ、この方針に違和感を覚える読者は少なくないだろう。一般論だが、同じ造形活動とは言え、美術があくまでも内発的な自己表現を追求するものであるのに対し、デザインはクライアントの意向に従った表現を行うという違いがある。この両者の違いを念頭に置いた時、岡本の代名詞でもある「芸術は爆発だ!」は極めて内発的な表現の欲望に他ならず、明らかに美術の側に位置する人間とみなされるからだ。もちろん、私も岡本のエネルギッシュな創作意欲を否定する気は全くない。

だが岡本のキャリアを見渡してみると、鉄道車両のマーク、プロ野球球団のマーク、映画のタイトルロゴ、卓上ライター、ウイスキーのグラス、テレホンカード、腕時計、オリンピックの参加メダル等々、実に多くのデザインを手掛けていることがわかる。「太陽の塔」にしても、クライアントの依頼によって製作されたという点ではデザインということができる。もちろん、かつてであれば宮廷画家がパトロンであった王侯貴族の注文によって肖像画を描いたり、現代であれば現代美術家が自治体からの依頼でコミッションワークを制作したり、アーティストが注文に応じて作品を制作すること自体はそれほど珍しいことではない。だが岡本の一連の雑多な活動は、単に来た球を打ち返していたというより、戦後日本の資本主義社会の中で明らかにデザインの仕事を自覚的に行っていたことを示している。

アトリエに閉じこもるわけにはいかない

第2次世界大戦中に約10年に及ぶ滞仏生活から帰国し、数年間従軍していた岡本は、戦後になって精力的な創作活動を再開する一方、前衛芸術運動である「夜の会」にも深く関わり、また東京国立博物館で見た古代の陶器に衝撃を受け「縄文」を発見し、それから何年か後に日本の伝統文化を縄文と弥生の対比で考えようとする「伝統論争」が沸き起こったときにも、縄文の側に立って論陣を張った。今日、広く流布している「前衛」や「縄文」と強く結びついた岡本太郎像は、これらの活動を通じて形成されたものと言っていい。

だが当時の岡本は、そうした「前衛的な」活動の傍らでデザインとの接点も有していた。
まず挙げておきたいのが、1953年に設立されたアートクラブである。これはローマに本部のある同名の国際組織の日本支部として誕生した前衛芸術家の団体だが、その構成メンバーは画家や彫刻家といったファインアートの作家ばかりでなく、建築家や評論家なども含まれていたのが特徴で、岡本もそのメンバーの1人であった。他に、このアートクラブには丹下健三もメンバーとして名を連ねており、後に旧東京都庁舎や大阪万博で協働する両者の接点をここに認めることができる。

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1920年代、金を掘りにカナダのドーソンへ向かう人々。一攫千金を目指す人々は自らの生活物資を背負って現地へ赴いた。画像は有名な写真をさらに撮影したものである。

次に挙げられるのが現代芸術研究所である。これは、1954年に東京・青山に竣工した岡本の自宅兼アトリエを拠点として、「芸術を大衆の手に」をモットーに活動した総合芸術運土のための組織だが、同所にて開催された「現代芸術講座」の内容は充実していた。その講座の講師陣は、安部公房や花田清輝など岡本と「夜の会」で協働していたメンバーが中心であったが、彼らに交じって丹下、勝見勝(デザイン評論)、亀倉雄策(グラフィックデザイン)、柳宗理、剣持勇(プロダクトデザイン)といったデザイン畑の人間も名を連ねていた。より正確を期せば、研究所に関与していた美術家は岡本一人で、デザイナーの方が多かったのが実情であった。岡本と彼らの間にどのような親交があったのか詳しいことはわからないが、一緒に映っている写真を見る限りはいたって親しげだし、岡本が自分と同世代の彼らの仕事から強い刺激を受けていたことは確かだろう。無署名だが、恐らく岡本の手によるものと思われる研究所の設立趣旨の冒頭には「現代の芸術家は、もはやアトリエにとじこもり、あるいは、展覧会の作品に専心しているわけにはいかなくなって来ました。どしどし社会のなかに出ていって、民衆とともに仕事をし、公共のために奉仕しなければならない時代です」と書かれており、岡本の芸術観がデザインとも大いに近接していることがわかる。

「俺はバッドデザイン主義だ」

またデザインという観点から忘れてはならないのが日本デザインコミッティーである。現在も存続し活動しているこの組織は、1954年の第10回ミラノ・トリエンナーレの参加準備のために結成された国際デザインコミッティーを前身とし、「建築家とデザイナーと美術家は、汎地球的な規模における自人類文明のため、協力を重ねなければならない」というスケールの大きい理念の下、1955年に結成された親睦団体である。この団体の設立に当たって中心的な役割を果たした勝見と剣持は、亀倉、渡辺力(プロダクトデザイン)、浜口隆一(建築評論)、丹下、坂倉準三、清家清、吉阪隆正(建築。なお坂倉は岡本邸の設計者でもあった)、石元泰博(写真)、瀧口修造(詩)など各分野のクリエーターを糾合したが、その中に当然のように岡本の姿もあった。岡本に声がかかったのは、長い在仏経験を有し、フランス語に堪能であった彼の国際感覚が、「汎地球的」を標榜するコミッティーの理念にふさわしいと判断されたからであろう。デザインコミッティーは結成のきっかけとなった第10回のトリエンナーレへの参加は見送ったものの、1957年の第11回トリエンナーレに参加を果たし、また銀座松屋にグッドデザインというコーナーを開設し、これがGマーク(現在のグッドデザイン賞)制定のきっかけともなる。岡本自身、トリエンナーレに陶板レリーフを出品し、またこのコミッティーを現代芸術研究所のプログラムと関連づけて精力的に活動するのだが、「この運動のおかげで、いわゆるグッドデザイン調という、1つのムード、形式が出来ていることは否めない。すっきりと、シャレていて、機能的だという――ところで私はもう久しい間、このモダニズムにかっがりしているのだ。そしてしばしば、俺はバッドデザイン主義だ、などと憎まれ口をきいている。もっと強烈な表現が欲しいからだ」(「グッドデザインとバッドデザイン」)と、機能的なデザインには与しない心情を吐露しているところもまた岡本らしいというべきか。

宇宙人のデザインで原子力への見解を示す

ではこうした団体での活動を通じて、岡本はいかなるデザインの仕事を手掛けたのか。いくつか作品を挙げてみよう。

1956年1月29日、大映製作の映画「宇宙人東京に現る」が封切られた。日本初のカラーSF映画として知られる作品だが、実は岡本はこの映画に登場するパイラ人という宇宙人のデザインを手掛けている。

ごく手短に映画の概要を期しておこう。20世紀の地球は原水爆の開発競争で危機に瀕していたが、パイラ人はそのことに警告を鳴らすために地球人の美人女性に変身して日本の科学者への接触を図る。パイラ人は地球に新天体Rが迫っていることを知らせるも、なかなか相手にされなかったが、天変地異が怒り始めたことでようやく超大国が危機を認識し、最後はパイラ人の助けを借りて危機を脱出する。このように、パイラ人は宇宙人と言っても侵略者とは全く異質な、いたって友好的な存在である。これは、1951年のアメリカ映画「地球の静止する日」をモデルにしたものとされている。封切りから60年以上たった現在でも配信で視聴可能なので、興味のある読者には一見をお勧めしておく。

ところで肝心のパイラ人だが、頭と両腕両足が延びたヒトデ型で、中央の胴体の部分に大きな瞳のある形状である。ポスターでは赤く描かれているが、映画の中に登場するパイラ人はみな黒い皮膚に青い瞳である。同時期の絵画作品ほどの迫力が感じられるわけではないが、それでもデフォルメされたヒトデの形態はいかにも岡本らしいと思われるデザインだ。

私の知る限り、この作品についての岡本の著述は存在しないので、彼がどのような経緯でこの作品に参加したのかはわからないが、友好的な宇宙人像や核廃絶という理想に興味を惹かれたことは確かだろう。

2年前の1954年には、南太平洋上で第五福竜丸事件が発生し(岡本は後年「明日の神話」でこの事件に取り組むことになる)、その惨劇は同年に公開された「ゴジラ」を触発し、また同時期のアメリカでも「原子怪獣現る」「放射能X」「水爆と深海の怪物」といった原水爆の恐怖をテーマとした映画が製作されていた。その一方で翌55年から56年にかけて全国各地を巡回した「原子力利用平和博覧会」は、原子力の平和利用を推進する目的で、もっぱらその「夢のエネルギー」としてのプラス面を強調していた。この作品に登場したパイラ人は、当時の原子力をめぐる様々な見解に対する岡本の1つの回答であったに違いない。なお、あのスタンリー・キューブリックは、この作品を見た後に「2001年宇宙の旅」の構想を思いついたとのことで、意外なところに影響が波及していることがわかる。

合目的性から逸脱し、イマジネーションを生み出す

次に取り上げたいのが「坐る事を拒否する椅子」(1963)である。これは、赤、青、黄、緑などにカラフルに着彩された信楽焼のスツールで、座面には岡本らしいデザインのデフォルメされた目や口が象られ、タイトルの通り、人が腰かけるのを拒むようなたたずまいである。もっとも、この作品は座ることができる。岡本太郎美術館には自由に触れられるレプリカが設置されているので機会があればぜひ試してみてほしい。硬い上に座面が湾曲していて凹凸があるのでお世辞にも座り心地がいいとは言えないが、少なくとも「坐ることを拒否」されることはない。「坐ることを拒否する」といいつつ、ギリギリのところで坐るという本来の機能や目的を果たしているこの椅子は、岡本いうところのバッドデザインを具現化した作品と言えそうだ。そもそもこの椅子は岡本の生前にはマルティプルとしてある程度の数が生産されたので、現在でも各地で椅子として利用している人がいるだろうし、また岡本の没後に椅子本体が製造中止になった現在でも、海洋堂がライセンスを取得してソフビトイが生産・発売されている。実際に座れないまでも、そのカラフルなデザインを見て楽しむ人も多いだろう。

なぜこのような椅子を制作したのか、当の岡本は以下のように述べている。

生活のなかに生命感のあふれる遊びがない。それが現代の空虚さだ。私は素朴な合理主義や機能主義をのり超えて、いちだんと激しい生活感、イマジネーションをうち出したかったのだ。そこで、椅子でありながら、精神的にも、肉体的にも、人間と「対等づら」する、こいつらを作った。生活の中の創造的な笑いである(『原色の呪文 現代の芸術精神』講談社文芸文庫 2016年)。

繰り返すが、椅子は本来人が座るという目的のために存在する。であればこそ、椅子はその目的に即した形態へとデザインされる必要がある。少なくとも、そう考えるのが常識というものだ。だが岡本はそうしたデザインを「生命感のあふれる遊び」がないものとして否定し、敢えて合目的性から逸脱した形態を生み出すことによって激しい生活感、イマジネーションを生み出そうとした。この「強烈な表現」を志向する岡本のデザイン観に「芸術は爆発だ」というセリフの残響を聞き取ることは決して難しくはないのではないか。

多くの著作を遺した岡本だが、デザインに関する言及は非常に少ない。岡本の関心はあくまでも「前衛芸術」にあり、「シャレていて、機能的」なモダンデザインにはほとんど興味がなかったためだろう。だが岡本が決してデザインを無視していたわけではないことは、以下のチャートによって確かめることができる。

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左は1936年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された「キュビスムと抽象芸術」展の
図録に掲載されたアルフレッド・バー・Jr作成の美術史チャート、
右はそれを岡本太郎が独自に翻案したものである(『岡本太郎の宇宙Ⅰ 対極と爆発』(ちくま学芸文庫 2011年)所収)。

「印象派よりモダンアート」へと題されたこのチャートは、1936年にニューヨーク近代美術館で開催された「キュビスムと抽象芸術」展のカタログに掲載されたものを岡本が独自に翻案したもので、オリジナルからは一部省略が見られるものの、多くの美術の動向に交じって、「バオハウス」(バウハウス)や「近代建築」といったデザインの動向(しかもどちらも、岡本の嫌っていた典型的なモダンデザインではないか)が然るべき位置づけを与えられていることがわかる。

「芸術は爆発だ!」が典型的だが、岡本は「美術」よりも「芸術」という言葉を好んだ。「美術」と「芸術」では、もちろん後者の方が対象範囲が広いわけだが、加えてここで強調しておくべきなのが、前者からは排除されているデザインが後者には含まれていることだろう。恐らくフランス語のartを念頭に「芸術」の問題を考えていたであろう岡本にとって、果たしてデザインとは何だったのかを、さらに考えていきたい。

参考文献
『戦後デザイン運動の原点』展カタログ(岡本太郎美術館 2021年)
『オリンピックと万博』暮沢剛巳(ちくま新書 2018年)
『夢の原子力』吉見俊哉(ちくま新書 2012年)
『原色の呪文 現代の芸術精神』岡本太郎(講談社文芸文庫 2016年)
『岡本太郎の宇宙Ⅰ 対極と爆発』岡本太郎 (ちくま学芸文庫 2011年)
宇宙人東京に現る
“Flow chart” diagram of art movements, from the jacket of the catalogue for the 1936 exhibition at The Museum of Modern Art, Cubism and Abstract Art.(Alfred H. Barr, Jr.)