田原総一朗

田原総一朗

ジャーナリスト・田原総一朗が戦争とメディアを語る。

(写真:竹田茂

日本の戦争、大島渚の反骨

あらゆるものがDX化していく社会において、メディアの役割もまた変革が求められている。日本のメディア界で長年活躍してきた田原総一朗は今、何を思うのか。メディアの激動の時代を振り返りながら語るシリーズ第2回。

Updated by Soichiro Tahara on April, 5, 2022, 8:50 am JST

切腹の練習をさせられた大島渚が許せないもの

父・大島渚さんは、僕より二つ上、学年は三つ上になる。
僕は大島渚監督の映画をずっと観ている。
『青春残酷物語』『日本の夜と霧』『愛のコリーダ』、そして『戦場のメリークリスマス』。大島監督は京大を卒業し、松竹に入った。しかし、60年安保を描いた『日本の夜と霧』が公開後すぐ上映中止となり、松竹を去る。その後、フリーとなり数々の話題作を撮り続けた。僕が「朝生(朝まで生テレビ!)」を始めようとした時、大島さんはフリーで活躍をし始めた頃だった。朝生は開始早々からタブーに次々と挑戦した。「昭和天皇論」や「被差別部落論」「原発論」「暴力団論」など、激論を展開した。そして、そのほとんどは大島さんが言いだしたものだった。大島さんは、司会の私がいささかでもひるみ、はぐらかすような姿勢を見せると、「バカヤロー」「逃げるな」と怒鳴った。その迫力、その覚悟が桁違いだった。

国際通り
沖縄返還直後の那覇市国際通り(写真:佐藤秀明)

大島さんは終戦が中学1年。僕は、学制が6・3・3制になった「新制中学(現在の中学校)」の第1期生で僕たちの世代以降は、国家権力の矛盾を突くとき、論理的に説明をしようとするが、大島さんたち「旧制」世代は憤りをそのまま表現する。だから迫力がぜんぜん違う。
終戦の年、沖縄が占領され、いよいよ米軍が本土に上陸すると言われていた。大島さんたちは学校で切腹の練習をさせられた。降伏などもってのほか、全員切腹しろと。僕にも強烈な終戦直後の印象がある。その年、2学期になり占領軍が入ってきて10月になると学校の先生や大人たちの言うことが180度変わった。じつはあの戦争はやってはならない、全く間違いの戦争だった。正しいのは米英。もう絶対に戦争をしない、平和のために頑張る。1学期までは国民の英雄として熱狂的に支持されていた人が、2学期になったら逮捕される。ラジオも新聞も、こういう人間は逮捕されて当然である。いかに悪いかと。その典型が東條英機だった。大島さんたちの世代にとって国やマスメディアは、憎しみの対象でしかない。切腹しろと言った同じ人間が米英に追従、ひれ伏している。もう偉い人を疑うだけじゃ済まない。マスメディアや国は糾弾しなきゃいけない、国家なんて認めるわけにいかない。だから大島さんの映画を見ると、日の丸が黒、完全に国家否定である。国民の強い抑止力がなければ、国家権力はいくらでもエスカレートする。そのことを大島さんは体験として知っていた。