松村秀一

松村秀一

長野県の小布施パーキングエリア近くの桜林。鞠のような桜の花房が風に揺れている。

(写真:佐藤秀明

自然とともに美しさを追求する
左官という職業

過去2回、松村秀一氏は日本文化の基層を支えていくことになるであろう女性大工にインタビューをおこなった。今回は、同じ建築系の職人でも、内部の施工を担う左官職人たちにフォーカスする。女性左官はなぜこの職を目指したのか。この職の醍醐味は何かを聞いた。

Updated by Shuichi Matsumura on May, 10, 2022, 8:00 am JST

子供たちの遊びと繋げてみると

日本の建築・都市の文化的な基層であるものづくり人の世界が急激にすり減ってきている。ものづくり自体は面白くて好きだという人が少なくないはずなのだから、もっと色々な人が気楽に出入りできる世界になれば、日本の建築・都市の文化的な基層は未来に繋げられるその厚みを保ち続けられるだろう。それが、本稿における筆者の基本的な考えだ。

前2回は、まだまだ珍しい女性大工の方々の話に耳を傾けた。今回は、伝統的な建築職人という点では大工と同じだが、全く異なる技能が求められる「左官職」を取り上げる。大工にせよ左官にせよ千年以上も前から成立しているものづくり人であり、当然のことのように自然素材を主たる相手としてきた。だから、子供の遊びの中に、そこに通ずるものを発見することも容易だ。大工は主に木を扱う。子供の遊びで言えば、積み木遊びや、その辺で拾ってきた草木を集めて秘密基地をつくる遊びの延長線上に大工技能を位置付けることができる。これに対して、左官は土を扱う。粘土をこねて好きなものをつくる遊びや、土や砂に水を混ぜて器らしきものをつくる遊びや、そもそも泥んこ遊びの延長線上に位置付けられると言って良いだろう。

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5月の新潟にて。いい風の中を子どもたちが楽しげに歩いてくれた。2005年ごろ撮影。

今回も、女性のものづくり人の話を伺うという点では前回前々回と同じなのだが、興味深いことに、木と土の違いがくっきりと浮かび上がるダイアローグとなった。

元外務省職員からアメリカ籍まで。個性豊かな5名の左官職人

今回は左官に詳しい編集者の多田君枝さんにお願いして、東京周辺と京都周辺で活動する経験年数5〜10年の女性左官職5名に、オンラインではあったが、一堂に会してもらった。先ず、5名の方の経歴を紹介しておこう。なお、今回のグループ・インタビューも前回、前々回と同様に、科学研究費基盤研究(B)「建築現場を担う人材の多様なあり方に関する研究」(課題番号20H02326)の一環として2021年に行った。また、本稿での彼女たちの名前は仮名である。

一人目はキミさん。左官としての経験年数は10年で、今は東京の左官店に属しているが、社員としてではなく一人親方として活躍している。農業系の大学を卒業したキミさんは、当時は造園に興味があり、富山職藝学院で日本庭園を学んだ。その在学中に能登半島沖地震が発生し、震災ボランティアとして石川県輪島市に赴き、土蔵の解体修復現場に配属されたことで、左官職の存在とその仕事を知ることになった。職藝学院卒業後は、輪島で出会った滋賀県の左官職の下で約10年間修業。その間に結婚し、妊娠を機に退職。二人目の出産後に半年間地元の左官店で働き、今は東京の左官店に外注職人(一人親方)として入っている。

輪島で突然左官の道に進むことにしたのは、そこでのワークショップで指導に当たった左官の親方の、皆で盛り上がって良いものをつくろうという指導法と、そのコミュニケーション能力、そして常により上を目指していくという気持ちに憧れを持ったのが理由だと言う。

二人目の左官職はミエさん。京都の左官店で働いているアメリカ人。左官を始めてからの年数はもう少し長いのだが、左官職として活動した通算年数は10年。アメリカで大学を卒業した後、「自然素材建築(Natural Building)」に関心を持ち、ニューメキシコで建築素材、特に壁をつくる自然素材としての土の魅力や神聖さに触れた。その後、小学生時代と高校生時代を過ごしたことのある日本に来て、英語教師をしていたが、周りの人に土壁に対する関心を話している内に、左官職の存在を教えられ、またその奥深い世界や土壁に関する様々な知識に接し、日本にしかないそれらを学びたいという気持ちになった。そして英語教師を辞め、京都左官技能専修学院に入学。卒業後に一旦帰国し、8年後再び来日、また学院に通いながら、京都の左官店で2年間修業。その後も別の左官店で修業中。今は併行して京都の大学の建築学専攻で博士課程に在籍している。

三人目の左官職は、東京の左官店で社員として修業中のルミさん。美術大学の油絵学科を卒業後、2016年に東京の左官店に入り、経験年数は5年を超えたところだ。美大では壁に焦点を当てて絵を描いていたが、途中から壁だけに集中するようになり、立体作品を土で制作したりしていた。そして卒業後の進路を考え始めた頃に、建築設計をしている知り合いから左官職の存在、そして土壁の存在を教えられて感動し、左官の道に飛び込んだ。土で壁をつくるのが普通だった時代から60年程しか経っていないが、この短い期間に、一般の方の認識から土壁もそれをつくる左官も姿を消していたということだ。還暦を超えた筆者にとっては驚きの事実だった。

四人目の左官職はエリさん。工業高校卒業後、外務省に入省し海外勤務を経る中で、ものづくり人の世界に関心を持ち、色を扱うことが好きで、そういう関係の仕事を探している時に、色土を扱う左官職のことを知るに至り、京都左官技能専修学院に入学。現在京都の左官店で働き、経験年数は8年になる。

五人目の左官職はカナさん。古いものが好きで、大学では文化財について学んでいたが、3年生の時に、古い民家の壁に左官がこてで描いた大黒さんの「こて絵」に出会い心底感激し、ネット検索で左官職の存在を知る。京都左官技能専修学院を探し出して、大学卒業後京都の左官店で修業しながらこの学校に通った。 経験年数はエリさんと同じく8年になる。

ググっても出てこないことの魅力

誰もがイメージしやすい大工の場合とは違って、上述の5名の紹介でもわかるように、入職の直前まで左官という職種の存在もその仕事の内容も、全く知らなかったという人ばかりである。この職との新鮮な出会いこそが、今回の左官職の方々の大きな特徴である。その新鮮さを、ルミさんは次のように語ってくれた。

ルミさん:「大学3年のお正月に、知り合いの建築家の人のお宅に遊びに行っていて。その人の家の壁が全部漆喰塗だったんです。そのお宅が本当に美しくて。『これが漆喰なんだ!』という出会いでした。その後、左官の世界を知りたいと思って検索しても、あまり深い内容は出てこない。そこにもすごい魅力を感じて。ググれば何でもわかると思っていた世代でしたので、ググってもそんなにわからないものがあるんだ、みたいな。そういう世界は追及し甲斐があるし、素材的にも魅力的だし、よし左官をやろうと思いました」

同様の新鮮な出会いを、アメリカ人のミエさんも経験している。

ミエさん:「富山で英語教師をしていた時に、県に寄付された豪邸に伺う機会がありました。その蔵等の壁を塗り直して以前の状態に戻すということで、60〜70歳代の左官のおじさんたちが、久しぶりに土を触る体験をしていました。その姿も素敵でしたし、人柄も素敵で、『ああ、この空間の中最高!』てすごく思えた瞬間がありました。そこからなかなか道が見つからなかったのですが、やっと辿り着いたのが京都左官技能専修学院だったのです」

壁の向こうにある美しさを感じたかった

今では左官の仕事はモルタル塗りやタイル貼りや土間仕上げ等々が主であり、土壁の仕事はそう多くない。しかし、こうした出会いが可能なのは、やはり壁というものの存在感があってのことなのだろう。美しい庭をつくる造園の仕事を目指していたところから左官という全く違う道を選んだキミさんの次の発言は、壁という存在の奥深さを示す代表的な発言だった。

キミさん:「私は元々日本庭園を目指していたのですが、皆が共通して持っている美しいものを美しいと認める感覚が大事だと思っています。そういう観点からすれば、輪島で参加した土蔵改修のワークショップでは、正直なところ左官自体に魅力は感じませんでした。ただ、壁の向こうにある美しいものについて、親方がずっと語るんですよ。それを聞いて、そういうものを私も同じように美しいと思いたいなと感じました。それが左官になった理由です。10年を経た今では、あの時親方が語っていた『美しさ』について私なりの理解ができています。こういうものが美しいとか、こういうものを目指していきたいという形があります」

自然を相手にする仕事の奥深さ

もう一つ、左官の大きな特徴には自然が相手だということがある。もちろん大工も木材を扱うという意味では自然が相手だが、現場で水を含んだ材料を扱うということでも、また性格の異なる様々な土を扱うという意味でも、左官の方が自然が相手という表現がしっくりくる。5名の左官職も、異口同音にそのことの難しさと奥深さを語ってくれた。日本にしかない左官の技を習得しようと励んでいるアメリカ人のミエさんは、自然を相手にすることの大切さに言及した後、左官の難しさを語ってくれた。

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長野県の小布施パーキングエリア近くの桜林。鞠のような桜の花房が風に揺れている。

ミエさん:「土がどれほど優れた建築素材なのかを、私たちの祖先は皆知っていました。そして使ってきました。それが高々100年位でころっと変わってしまって。忘れているものが多すぎます。便利だからといって、本当は便利ではない材料に置き換えて、結局シックハウスを起こしたり、汚染の原因になったり。もう一度建築素材としての土を蘇らせること。それができるのが左官だと思うんです。そういう意味で日本の左官に出会えて本当に良かったです」

─ でも仕事は難しいでしょ?

ミエさん:「簡単なことは一つもないくらい、全部難しいです。スピードを上げないといけないのだけれど、精度とスピードをどうやってうまく合わせるか。もし死ぬまで左官をやっているなら、死ぬまでずっと問題であり続けるでしょう。今幸いなことに職歴60年位の左官職と仕事をしているんですが、何か質問すると『わしわからんわ』と言うんです。だから、ずっと学んでいくという心構えで仕事をしていかないとミスをしてしまう。逆に、これはつかんだと思ったら、実は違っているというのが、左官の仕事の奥深さ。永遠の仕事です。そこが面白いと思います」

コンテンポラリーアートの世界からこの世界に入ってきたルミさんも次のように言う。

ルミさん:「私も自然を相手にするところが左官独特だなと思っています。左官の材料選択やその配合は、土に限らずモルタルの場合でも、すべてに天候や季節の影響が出てきます。しかも、もろに仕上げに影響が出ます。それこそググって出ない正解っていうか、職人が育てる勘が大事になります。ベテランの人と一緒にやっていると、本当に空を見て言うんですよね。もうすぐ雨が降るから、こっちの雲がこっちに流れていってるから、そろそろやばいぞとか、空を見ながら話しているんですよね。それを見ると、職人ってやっぱりすごいと思うし、長年自然と仕事をしてきたんだなって思います。5年の経験しかない自分は、その勘はまだ全然持っていません。でも、当たる確率が低いからこそ、当たった時にすごくやり甲斐を感じます。例えば、中塗りの水引き具合で上塗りの糊の量とかを調整していくのですが、それがぴったり当たった時などは本当に嬉しいですし、こういう時はこうですよという公式がないものを身に着けていく感覚がとても嬉しいです、自分のできることがすごく広がっていく感じがして」

技術的な難しさについて、元外務省のエリさんがより具体的に説明してくれた。

エリさん:「技術で言えば、ルミさんが言うように、水の引きのタイミングが難しいんですね、左官では一番。それを見誤ると、きれいな壁は絶対できない。後は、真直ぐ塗るというか、こてを100%使い切ってきれいな壁を塗るという技術を、学校でも職場でもずっと言われ続けます。できるだけ定規等を使わずにこてだけでバッチリ行った時は、本当に気持ち良いです」

そう、左官と言えばこてだ。ただ、ものづくり人の世界が擦り減る中で、その道具をつくるものづくり人の世界も痩せ細ってきている。5名の方々に聞くと、自分の手と塗りたい仕事に合わせて、幅、大きさ、首の深さ、柄の太さ等はオーダーメイドしてくれるところがまだあるとのことで、少々安心した。一人一人が揃えているこての数は色々だが、今回聞いた中ではキミさんが約60本、エリさんが約30本ということだった。

アメリカ人であることよりも女性であることで驚かれる

左官の世界も大工等と同様に、長い間女性が入職することの殆どない世界だった。今回の5名も、入職にあたって或いは働き始めた後も、それなりの壁があったようだ。
5年ほど前に美大を卒業して、左官の道を志したルミさんが口火を切ってくれた。

ルミさん:「私が今の左官店に入った時には、既に女性の左官職人さんが2人いました。その2人は、最初すごく頑張って入ったみたいです。最初は社長も『女性はだめ』と言っていたらしいです。そこへその2人が長い手紙を書いて説得して、入職することができました。そして、その2人がまじめに頑張っているのを見て、社長の考えも『女性もありだ』というふうに変わったらしいです。ですから、私の後にも女性がたくさん入ってきています。そして見ていると、女性の方が割合長く続きますね」

長らく女性がいなかった業界だけに、トイレの環境や福利厚生面での待遇の改善が必要という具体的な要望は色々と出たが、男女の別なく新しいものづくり人の世界を目指す上で変えていかねばならないことは、男社会のものの考え方だという意見も出た。先ずは、既に10年の経験を持つキミさんが次のように語ってくれた。

キミさん:「まだまだ上の方で仕組みを変えられるのは、残念ながら女性ではなく男性なので、例えば、現場にいる女性が自分の母親や奥さんや娘さんだったらどう思うだろうかという目線を持ってもらえると、色々な環境はもっと良い方向に変わると思います。」

アメリカから来たミエさんが続く。

ミエさん:「この男女の問題はワールドワイドに語られていることですね。ただ、アメリカでは土を使って家を建てようというのは、主に女性が活動している分野なんです。ところが、日本に来てみると、私がこんな白い顔をしているのに、現場でお施主さんや他の職人さんに会うと、私の姿を見て必ず『あっ、女性だ』と言うんです。『あっ、外国人』じゃなくて、『あっ、女性』というのが先に来ることに驚かされます。それも毎回ですから。まさか現場に女性がいるなどとは思ってもいないということの表れですね。必ずしも建設業界だけでなく、お施主さんの反応もそうでしたから、社会的な認識のあり様だと思います。直近の国勢調査だと、1500人も日本人女性の左官がいるという。でも、いるのに見えない。それも同じ原因だと思います。確かに、女性らしさを現場で表すのも、あまり好ましくないというところはあります。でも完全に女性ですし、女性じゃなかったら何?っていうことですので。女性としても、自分の姿勢とか、色々面倒臭いことも気にしなければいけない。なかなか自由にできず、普通には楽しめないところもあるわけなんです。男性の世界だと思っているから、遠慮してしまって。だから、文化的には、男女双方に責任があると思います」

美大卒、経験5年のルミさんは女性としての心構えを語ってくれた。

ルミさん:「日本の建築業の長い歴史の中で、ずっと男性の仕事だったということがある。私たちは自らそこに乗り込んでいるんだから、女性は120%努力して、やっと土俵に立つんだと思っています。女性が働きやすくして頂くことは大変有難いなとは思うんですが、女性側もそれ位の覚悟で一緒にいかないと。女性が80%の力としてカウントされちゃうのはとても嫌です。だから、女性はやはり120%、150%の力を出すくらいの意気込みでいきたいなと思っています」

頼もしい限りである。この後、左官から見て駄目な大工の話、そこから派生して現場の整理整頓や段取りの重要性、そして狭いところ、低いところ、高いところと、色々な場所、色々な姿勢で作業をしなければならない左官独特の体幹トレーニング等について話が弾んだ。

美しいものを、つくりたい

最後に、将来こうなれたら良いなという希望について話を伺った。5名全員が明確な希望を持っていることには少々驚いた。「やりたいからやっている」という女性左官職らしさの表れだと思う。全員の希望に耳を傾けてみよう。

キミさん:「私は美しいものが好きです。美しいものの中に、すべての真実があると思っているんです。左官というのは、私が美しいと思うものを表現する手段です。そして、左官を通じて人の心を豊かにしたい。今できなくても必ずそうしたいと思っています。今できていなくても、何年かすると私はもっとうまく、私が思う美しい壁に近づいていって、人の心に影響を与えると信じています。具体的には、数寄屋の仕事がしたいですね。あとは、炉壇の仕事がしたいです。体力的にかなり男女差があって、ピークも違うので。技術を生かしつつ、すごく希少性があり、自分の趣味に一致するということで、茶道の仕事、特に炉壇の仕事が良いなと思っています」

ミエさん:「私はそもそも目指しているのが自然素材建築です。それに、今まで日本で学んできた左官技術を組み合わせたらどんなものができるだろうか、それにチャレンジしてみたいです。後は、自分たちで手を入れて直していける古民家を探しています」

ルミさん:「私は、職人としてスタートして、職人として一人前になりたいんですが、職人として得た技術をもってして、もう一度美術に立ち返って、建築や壁っていう形式にとらわれずに美しい左官を目指したいと思っています。つくるものが壁でなくなるかもしれないのですが、左官というベースをきちんと持った上で、美術との間で良いものをつくりたいと思っています」

エリさん:「土を使う部門では、水ごねと、聚楽の上塗り水ごねと、磨きをマスターしたいというのと、あとよくある洋館。町家の一部に洋館があるので、そこの洗い出しによる細かい細工とか、あとは部屋の装飾とか、レトロな感じの洋館をつくれるように、少し昔の技法をマスターしたいです。後は、もう一つあって、アメリカに行ったときに、マーブルの技術を持ってる女性がいたんです、左官屋さんで。それがすごくきれいだったので、いつかそれをアメリカにマスターしに行きたいです」

カナさん:「私は、蔵の戸前の細かい細工をやってみたいですね。戸前に漆喰でこて絵を描くのをやってみたいです」

歓迎はするけれど、勧誘はしない

今回お話を伺った5名の女性左官職の皆さん、これからの女性の入職についての態度は共通していた。やりたいと言って来る人は歓迎するけれど、「あなた、左官なんかどう?面白いわよ」というような勧誘はしないと言う。好きで来ないと続かないからだとのこと。

翻って彼女たちがどうして左官の世界に飛び込んだのかを思い出すと、そこには知らなかった左官の世界との感動的な出会いがあった。左官は、こてによる造形という感動を呼ぶ成果を見せやすいという側面が強かった。しかし、ものづくり人の世界に共通することだが、そういう感動を呼ぶ作品を生み出せる機会は、いずれの職種においても減っている。能率のみを重視した並みの仕事が増えているからだ。

これは、ものづくり人の世界単独では乗り越えられない現代の壁のようなものだ。ものづくり人の力を感動できる形に集結させる。それは建築主や建築設計者にしかできないことだろう。日本の建築・都市の文化の基層が危ういのは、その文化自体が貧弱なものになってきていることにも原因がある。だから、本稿がそうしようとしているように、ものづくり人ではない方々も含めてこの問題を認識し、自分たちにできることは何かを考える機会がとても重要なのだ。

次回からは、新しい建築・都市の文化としてのDIYについて考えてみたいと思う。