仲俣暁生

仲俣暁生

パキスタンのペシャワルにて、線路の上で開かれる市。列車が通る時はサッと店をたたむ。2006年撮影。

(写真:佐藤秀明

「反抗」から遠く離れて

文筆家・仲俣暁生氏が橋本治の著作から未来のヒントを読み解いていく企画第6弾。
今回は橋本治の「中期」の活動を取り上げ、90年代から現在にかけての若者をとりまく環境や思考の変化を見つめていく。

Updated by Akio Nakamata on June, 30, 2022, 9:00 am JST

前回は1995年に刊行された『宗教なんか怖くない!』を軸に、橋本治がこの年に発生した(そして他にも多くのことが発覚した)オウム真理教事件に際してどのように反応したのかを見た。橋本はこの事件を、日本の近代に通底する「孤独な青年たち」によるismへの帰依、つまり「自分の頭で考えること」の放棄として位置づけた。

本連載でこれまでにとりあげた『江戸にフランス革命を!』1990年)、『浮上せよと活字は言う』(1994年)、『宗教なんて怖くない!』(1995年)の3冊は、1990年代から2000年代初めにかけての──いわば「中期・橋本治」の──もっとも重要な著作である。中期と前期の境目をなすのは「昭和の終わり」が到来した1989年で、この年に起きた変化の意味を論じ尽くした大著『’89』によって、橋本の「初期」は終わった。

それに続く1990年代はバブル崩壊と長期化する不況、いわゆる「失われた◯十年」が始まった時代で、いまなおその終わりは見えない。この時期の橋本が格闘したのは、日本が陥ったこの停滞をどのように位置づけ、打破するかという難題だった。

「反抗」はもう古臭い

1990年代前半の橋本はこれら主要著作の執筆と並行して、青年マンガ誌「ヤングサンデー」で「17歳のための超絶社会主義讀本 貧乏は正しい!」という長期連載を行っている。この連載はのちに加筆・再構成のうえ『貧乏は正しい!』(全5巻、小学館)のシリーズとして単行本化された。連載の順序としては最後の時期にあたるが、1995年のオウム真理教事件を扱った『ぼくらの最終戦争(ハルマゲドン)』が、シリーズ全体では第2巻として位置づけられている。

ロサンゼルスの2階建て列車
ロサンゼルスから郊外へ向けて走る2階建て列車。次々と乗客が乗り込んでいく。

文庫化した際に、橋本は全5巻すべてに共通する「はじめに」を書き加え、この連載の意味を次のように述べている。

「自分はいたくないところにいる。だから自分は反抗する」──この若者の思考と行動パターンは、1960年代末、あるいは1950年代からエンエンとうんざりするほど続きました。それだけの期間、社会というものが、「豊かさ」を求めるという一方向に固定されたまま動かなかったからです。1989年に始まった大変動の正体はこれです。そのことは、1997年の現在にいたってますますはっきりしてきました。

「世の中はもう“豊かさ”を求めない、求められない」──前提がこのように変わってしまったら、「自分のいたい本来の状況はこんなもんじゃない!」という若者の反抗は、もう無意味なのです。反抗自体が「この状況は変わらない」という既成の原則にのっとったものだから、もう古いし役に立たないのです。(「文庫版のための[はじめに])」)

オウム真理教という新興宗教が破綻した理由もそこにある、と述べた上で橋本は、“「反抗」を前提とするかつての若者らしさ”は、“もう古臭い「既成現実に寄りかかっている文句の多い中年男のもの”に変わってしまった、いま必要なのは「反抗」ではなく、その逆の「建設」であると断じた。そしてこの「建設」を担うべきなのは、1990年代にはすでに青年になっていた世代(オウム真理教の信者の多くや、この連載の筆者自身も含まれる)ではなく、その下の世代だと指摘した。

ロスジェネ世代の「王子さま」

1990年代のはじめに17歳前後だった世代は、1970年代の前半から半ばにかけて生まれている。一般的な世代論でいえば、彼ら(橋本は基本的にこの連載を「若い男」に向けて書いている)は「団塊ジュニア」と呼ばれる世代であり、橋本自身の世代の「子」にあたる。彼ら(あるいは彼らと同世代の女たち)はやがて就職氷河期に行きあたり、日本版の「失われた世代」、すなわち「ロスジェネ世代」と呼ばれる者たちとも重なる。

「ヤングサンデー」誌上で連載が続いていた時期は、まだそうした「未来」がはっきりとは見えていない。しかし、すでに金融経済の規模は実体経済を上回り、インターネット(ことにWWW)の普及により、ヴァーチャルな世界が急速に若い世代をとりまくようになっていた。出版業界の市場規模はこの時期にピークを迎えるが、『浮上せよと活字は言う』という本にまとめられた「中央公論」誌上での連載で、橋本はすでに雑誌メディアの退廃を正確に指摘していた。

1980年代のバブル経済とその破綻によって、日本という国は世界史的にまったく前例のない時代に突入した、というのが当時の(そしておそらく終生変わることのない)橋本治の時代認識だった。ただし『貧乏は正しい!』における「若い男にとって貧乏であることは正しい」「男が若いということは、貧乏であることとイコールである」という橋本の主張は、たんなる「清貧の勧め」ではなかった。

橋本の考えでは、バブル経済が破綻した1990年代初めに10代後半を迎えた世代は、それに先立つ時代のなかで、十分な豊かさを手にした世代でもある。スタートラインの段階ですべてを手にしている若者、すなわち「王子さま」だ。親世代との「断絶」に象徴される団塊世代や、「自分は誰からも理解されないミュータントだ」という意識に象徴される新人類世代とは異なり、この世代はあらかじめ(性的あるいは物質的な)飢餓を免れている「王子さま」のような存在だと橋本は考えた。

きみは王子さまで、自分自身には王子さまという自覚がなくて、バブル以前の生活習慣をひきずっている世間の人間達にもそんな認識はない。だから、きみ達の頭の中はかなり歪んでしまっていて、その結果、きみ達は“とんでもなくヘンテコリンな王子さまの群れ”になってしまっている。それがいけないと言うんじゃない。「それが“事実”なんだから、それを自分達の前提にするしかないだろう」と言っているんだ。(第5章「王子さまからはじめよう」)

日本の歴史上でもっとも恵まれたスタートラインから人生を始めたこの世代に、橋本は次代の建設を託した。だからこそ、この連載は「ヤングサンデー」という雑誌で行われ、「17歳のための超絶社会主義讀本」と題されたのである。

「おそるべき新時代」の到来

「ヤングサンデー」での連載開始から30年以上、そして『貧乏は正しい!』文庫版の完結から数えても25年を経た現在からみて、橋本の見通しは正しかったといえるだろうか。じつはこの連載には、なんとも苦い後日談がある。同じ「ヤングサンデー」誌上でこの連載の直後に開始された、「101匹あんちゃん大行進」という人生相談企画の中途打ち切りである。

カルフォルニアの三輪バイク
カルフォルニアを三輪バイクで走る。ライダーの向こうに海が見える。1990年頃撮影。

批評家のさやわかが、『世界を物語として生きるために』(青土社)の序文(「八匹目の終わりと始まり」)でこの事件についてくわしく論じている。「101匹あんちゃん大行進」の連載が始まって8回目に、ある読者から橋本への痛烈な「罵倒文」が届く。それはいじめに悩む質問者に対する前回の橋本の回答に不満を抱き、暴言を吐いた上で「反論がねえならワビを入れろ」という無体な要求を行ったものだった。橋本はこれに対し「僕は、もう二度と『ヤングサンデー』には出ないだろう。若者雑誌にも出ないだろう」と応え、事実、この連載はここで終わった。

さやわかによれば、このときの橋本の判断は「若者なんてうんざりだ、もう撤退する」ということではなかった。それよりもさらに深い絶望である。なぜならそれは橋本が前半生において貫いてきた、「愚かな若者とは絶対に一緒にならない」という誓いを侵犯するものであり、だからこそ、橋本は「もう二度と」彼らの前には出ないと告げたのだ。

このとき橋本に投げかけられた罵倒のなかに、さやわかはこのあとの時代を予兆させる危険な要素を見出す。そもそもの原因となった質問者の「問い」のなかにあった暴力を肯定する論理に、橋本は気づいたのだと言う。

ここに書かれていることは、あと数年もたつと、テロの時代とか、新自由主義による競争とか、高見広春『バトル・ロワイアル』(太田出版、一九九九)とか、決断主義とか、酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社、二〇〇三)とか、アラブの春とか、ISとか、トランプ政権とか、ポピュリズムとかなんとかの形で、限りなく問題視されていくもの──今日の僕たちが直面しているあらゆる危険な闘争状態を先取りしている。(同前)

1990年代後半という時代をこのようにみたさやわかは、まさに『貧乏は正しい!』が連載開始された1991年に「17歳」だった「王子さま」世代の一人である。いわば当事者の一人であるからこそ、彼の次の言葉は痛切に響く。

次の時代を抉り出して、それを拒絶してしまえば、この連載でやることはもうない。だからこの連載はここで終わったのだ。その終わりは、おそるべき新時代を告げる鬨の声だった。(同前)

そしてこのとき橋本治の「中期」も終わった。橋本が次世代に受け渡そうとした言葉は、このようにして途絶えた。

では橋本治は若い世代への期待を、完全に放棄したのだろうか。たしかに橋本は、その後二度と「若者向け」メディアには登場しなかった。『中央公論』のような論壇誌、あるいは『新潮』のような文芸誌、さらには書き下ろしの新書といった場が橋本の主要な掲載媒体になっていくのも、この「中期」が終わって以後である。

しかし同時に橋本は、団塊ジュニア世代を主人公とする長大な小説を書き続けていた。没後に未完のまま刊行された『人工島戦記 あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』(集英社)である。架空の地方都市を舞台とするこの小説は、まさに「既成現実に寄りかかっている文句の多い中年男のもの」に変わってしまった「反抗」ではなく、若い世代があらためて一から「建設」を行うために、試行錯誤を繰り広げるという物語だ。

執筆された部分だけでも3000枚を超える超大作となったこの小説に、橋本は最後まで手を入れ続けた。そこに賭けられていた「未来」は、その後の日本にはまだ訪れていないとしても。

参考文献
宗教なんか怖くない!』橋本治(筑摩書房 1999年)
江戸にフランス革命を!』橋本治(青土社 2019年)
貧乏は正しい!』橋本治(小学館 1997年)
世界を物語として生きるために』さやわか(青土社 2021年)
人工島戦記 あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科橋本治(集英社 2021年)