久野愛

久野愛

フィンランドのクリスマス。ショーウィンドウを見上げる子ども。この近くにはサンタクロースオフィスがあり、世界中の子どもたちに手紙の返信がある。1980年ごろ撮影。

(写真:佐藤秀明

オンラインショッピングは、近代の豊かな消費生活を壊すものだといえるのか

オンラインショッピングの発展により、物の売買はより簡素に行えるようになったといえる。Amazonなどが巨額な利益をあげる一方で、百貨店が苦戦を強いられている図を見れば、それは明らかなものと感じられるだろう。しかし、そこで行われる消費の質に違いはないのだろうか。感覚史を研究する久野愛氏が考察する。

Updated by Ai Hisano on July, 26, 2022, 5:00 am JST

消費に関わる人を増やした、デパートの誕生

「百貨店の創立とともに、歴史上はじめて消費者が自分を群衆と感じ始める。」
   ヴァルター・ベンヤミン

前回、大正時代の東京を例に、「エスティックスケープ」という概念を用いながら、五感と空間の関係やその歴史性について論じた。その議論をもとに今回は、大衆消費時代幕開けの一端を読み解くとともに、バーチャル空間にまで広がる今日の消費体験についても考えてみたい。

日本における近代消費社会の勃興を考える上で無視できないのがデパート(百貨店)である。三越や白木屋、高島屋、大丸など、今日の大手デパートの多くは、江戸時代に呉服店として創業した(ただし白木屋は現在閉店。その本店跡地には2004年「コレド日本橋」が開店)。これら老舗呉服店は、1900年代から1910年代にかけて経営方針を大幅に変更し、欧米のデパートに倣って、呉服のみならず輸入品も含めた多種多様の商品を取り扱うようになった。後に店名から呉服店という称号も外し、名実ともに「デパート」として生まれ変わったのである。当時、デパートのほとんどは、高級官僚や財界人、華族など主に上流階級の顧客を対象としていた。このことが、階級化、そしてジェンダー化された空間を作り出し、誰がどのように消費活動を行うかを劇的に変化させた。デパートの誕生以前、上流家庭の多くでは買い物は主に使用人が行うものだった。もしくは店の御用聞きが客の家を訪れ注文を聞き、商品を届けることも多かった。だがデパートには、それまで消費(買い物)に関わってこなかった、家の主人や女性たちも、自らの足で訪れるようになったのだ。さらに、デパートが陳列販売を開始したことも大きな変化だった。呉服店をはじめ従来の多くの小売店では、客の注文に応じて店員が店奥の棚から商品を取り出し、提供していた。これに対しデパートでは、陳列棚に並んだ商品を眺めながら買い物ができるようになり、さらにそれらを実際に購入することなく、いわゆる「ウインドーショッピング」のような、ただ商品を眺め楽しむことも可能になったのである。

関東大震災を機に、デパートは大衆化した

消費のあり方を一変させたデパートの誕生は、冒頭のヴァルター・ベンヤミンの言葉にあるように、大衆消費社会到来の契機の一つとなった。ベンヤミンは、デパートの特徴をこうも論じている。客は「陳列された商品の山と対峙」する。そして「商売のもっている妖婦めいた、人目をそばだたせる要素が途方もなく拡大する」のだと。店・企業は個々の消費者ではなく「大衆消費者」という一つの(仮想的)対象に向けた商売を行い、消費者の方も、世界各地から届く大量生産された数々の商品を前に、群衆(mass)の一人として買い物をするようになったのだ。工業化と国際流通網拡大の賜物であるデパートは、群衆としての消費者を魅了し、喜ばせるために作り出された消費空間だったともいえる。

浅草の風景。花やしきにシンボルタワーがあった頃。

ベンヤミンの考察は、19世紀パリのデパートについてのものだが、後の日本のデパートにも当てはまる。日本では1920年代以降、デパートが本格的に「群衆(大衆)」を顧客として取り込むようになった。その門戸がエリート層だけでなく、当時拡大しつつあった都市の中産階級層(公務員、銀行員、会社員など)に向けて開かれ始めたのだ。その理由の一つは、1923年の関東大震災で打撃を受けたデパートの財政立て直しにあった。例えば高級品のみならず、日用品の取り扱いや、バーゲンを始める店舗が増加し、デパートの「大衆化」が進んだ。

デパートの食堂にみる、子どもを巻き込んだ消費形態

顧客層が拡大した日本のデパートで、多くの人々を惹きつけたものの一つが食堂である。1903年、店舗を建て替え新装開業した白木屋が、蕎麦屋や寿司店などの飲食スペースを設けたことがデパート食堂の始まりとされる。そして1920年代以降、デパートの多くは店の目玉ともなるいわゆる「大食堂」を設置し、中には200人以上収容できるものもあった。食堂は大きな反響を呼び、あるデパートの食堂では、一日あたりの客が約2万5千人にものぼった。買い物の用事がなくとも、ただ食事をするためにデパートを訪れる人も相当数いたという。デパート食堂が人気を集めた理由の一つに、日本食の他、当時はまだ珍しかった洋食を比較的安価に提供したことが挙げられる。カレーライス、とんかつ、コロッケは「大正の三大洋食」と呼ばれ、当時のデパート食堂のメニュー表にはほぼ必ず掲載されていた。東京や大阪など都市に住む中産階級層の消費者は、モダンな内装が施された食堂でハイカラな食事を手軽に堪能するという、新しいライフスタイルを享受するようになったのだ。

日本のデパートは、欧米とは異なり、家族で行楽のために訪れる場所でもあった。当時の新聞記事をみると、デパートの食堂は「いつも大入満員の盛況だが、そのお客の過半数は婦人と子供である」と書かれており、その混雑具合、そして子連れ客が目立っていたことがわかる。子供客の多さを反映して誕生したのがお子様ランチである。1930年、日本橋三越が日本で初めてお子様ランチ(当時は「御子様定食」や「御子様洋食」と呼ばれた)の提供を開始し、翌1931年には上野松坂屋が「お子さまランチ」という名を使うようになった。内容は店によって多少異なるが、スパゲティやコロッケ、オムレツ、サンドイッチなどをのせたものだった。こうした洋食を中心としたメニューの意図は、大人たちによる子供の感性の近代化(=西洋化)なのか、「モダン」な料理に対する子供たちの期待や羨望に多少なりとも答えた結果なのか定かではないが、子供にアピールすることで親子の来店を促す効果が少なからずあったのではないだろうか。おねだりをするなど、子が親(購入者)の購入判断に影響を与えることを「ペスターパワー」という。お子様ランチにも、子供を意識して商品を提供し、親に消費をさせる効果を狙ったことが伺える。

買い物の娯楽化で空間の消費が始まった

デパートはただ単にモノを買うためだけの場所ではなく、そこを訪れるという行為、言い換えればデパートという空間を消費することが、消費者にとって重要であった。店に一歩足を踏み入れると、国内外から集められた洋服や化粧品、家具から絵画にいたるまで、あらゆる商品を一つ屋根の下に収めた世界が広がっていたのみならず、荘厳な西洋建築の外観に加え、当時まだ珍しかったエレベーターやエスカレーター、空調を備えていたこともデパートの魅力の一つだった。

浅草の地下道
浅草の地下道。昔は値段は安いが雑多であった横丁も綺麗になった。2019年撮影。

これらは、長谷川一が「テクノロジーの遊戯」と呼んだ、テクノロジーと身体との「接合・同期・協調」を通して生まれる既存の認識・知覚の揺らぎやずれ、逸脱を呼び起こす「アトラクション」として機能していたともいえるだろう。長谷川が論じるように、こうした日常の実践の中の「ずれ」は、時に違和感を伴うが、それ故に「愉しさ」を人々に感じさせる。つまり、買い物が娯楽化していく中で必要不可欠なデパートの演出でもあったのだ。グローバル資本主義のもとで作り出されたこの消費空間は、近代化を体現した商品や最新鋭の設備、食堂で提供する料理などを通して、エンターテインメント的な機能をも果たすようになった。それは五感を通した消費体験でもあったといえる。

オンラインショッピングは消費を変えるか

近年、デパートに加えて、大型ショッピングモールやアウトレット、オンラインストアなど、数々の消費空間が誕生し、消費体験も多様化している。デパートのような消費空間に身を委ね、実際に商品を手にしたり、ふと香ってくる化粧品の匂いを感じながら通路を歩き商品を物色するような体験だけではなく、例えばオンラインショッピングでは、家や職場など普段の生活空間の中で、パソコンやスマートフォンの画面を通して買い物ができるようになった。文字通り世界を繋ぐ物理的およびバーチャルなネットワークを通して、地球の裏側からでもクリック一つでありとあらゆる商品を注文できるようになったのだ。商品をモニター上で選び、購入手続きを済ませ、配達を待つという一連の行動は、買い物の合理化といえるかもしれない。時間や交通費をかけて店舗に出向く必要がなく、店員の接客からは「解放」され、自分が欲しいものを複数のサイトで比較し最安値のものを買うこともできる。画面上に質問を書き込むとチャットボットが答えてくれ、「置き配」を利用すれば、配達員を含め誰とも関わることなく商品を購入することさえできる。そこには、自分とモノだけがリアルなものとして存在する。実際には、その商品を作る人、巨大な配送センターで仕分けをする人、運ぶ人の手が介在しているのだが、自分の手元にあるのはそれらの労働が疎外された商品のみだ。

今日スタンダードなものにさえなりつつある、こうした新しい消費体験は、一見これまでの(例えば大正時代のデパートにおける)それとは全く違うようにみえる。だが、本当に根本的に異なっているのだろうか。消費者と生産者や商品との関係について考えてみると、商品の生産・流通プロセスやそこに関わる労働力が見えづらくなり、カール・マルクスが「商品の物神崇拝(コモディティ・フェティシズム)」と呼んだ人と物の関係が誕生したのは、必ずしも近年のことではない。大正・昭和初期のデパートにおいて、陳列された商品の生産者や流通業者に思いを馳せた客がどれほどいただろうか。むしろ生産現場や流通の実態を煌びやかなイメージで覆い隠していたのがデパートだったといえるかもしれない。舶来品が並んだ「夢の世界」を演出していたデパートと、無限に広がる仮想の物質世界を展開するオンラインストアは、リアルにせよバーチャルにせよ、ある種の虚像が作り出す消費空間であるともいえる。ベンヤミンのいう「ファンタスマゴリア(魔術幻灯)」が、形を変えていまだ私たちの消費体験を作り出しているということなのかもしれない。

ただ、本当に個々の消費者は群衆の中に埋没したのだろうか。また、彼ら・彼女らがデパートに投影した近代化や豊かさのイメージ、そして私たちが体験する現実・仮想世界は、幻影に過ぎないのだろうか。次回以降で考えていきたい。

参考文献
欧米百貨店事情』石渡泰三郎(白木屋呉服店書籍部 1925年)
『大東京うまいもの食べある記』白木正光編(丸ノ内出版社 1933年)
ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか—テクノロジーと身体の遊戯』長谷川一(慶應義塾大学出版会 2014年)
ベンヤミンとパサージュ論—見ることの弁証法』スーザン・バック=モース 高井宏子訳(勁草書房 2014年)
百貨店の誕生』初田亨(筑摩書房 1999年)
福田育弘「外食の大衆化と飲食空間のジェンダー化—関東大震災後の飲食場の再編成」早稲田大学教育・総合科学学術院『学術研究(人文科学・社会科学編)』第62号(2014年3月)
パサージュ論』(全五冊)ヴァルター・ベンヤミン 今村仁司 他訳(岩波書店 2020年)
百貨店経営と小売業』山田忍三(千倉書房 1930年)
ルイーズ・ヤング 岡本公一訳「『近代』を売り出す—戦間期の百貨店、消費文化そして中間層」『日常生活の誕生—戦間期日本の文化変容』バーバラ・佐藤編(柏書房 2007年)
視覚都市の地政学—まなざしとしての近代』吉見俊哉(岩波書店 2016年)
「近代空間としての百貨店」吉見俊哉『都市の空間 都市の身体』吉見俊哉編(勁草書房 1996年)
Miller, Daniel. “Could the Internet De-Festishise the Commodity? Environment and Planning D Society and Space. 21(3) (2003): 359-372.
Tamari, Tomoko. “The Department Store in Early Twentieth-century Japan: Luxury, Aestheticization and Modern Life.Luxury 3(1–2) (2016): 83–103.
Tamari, Tomoko. “Rise of the Department Store and the Aestheticization of Everyday Life in Early 20th Century Japan.International Journal of Japanese Sociology 15(1) (November 2006): 99–118.
「御婦人方の人気もの!デパートで召上る食の御馳走を解剖」『朝日新聞』1932年10月22日

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