久野愛

久野愛

浮氷の上で釣りをするイヌイットの少年。北極にて。

(写真:佐藤秀明

無批判に誰かの「おいしい」を受け入れ続けることは、限定された感覚体験の再生産にしかならない

センサー等の技術の発展により、香りや味などかつては定量化が難しかったものも私たちは数値で理解ができるようになってきている。しかしそれらが市場に送り出すものは、必ずしも人々を豊かにするとは限らない。感覚マーケティングとの付き合い方を知っておこう。

Updated by Ai Hisano on October, 28, 2022, 5:00 am JST

アリストテレスが忌諱した感覚のごった煮は、今や当たり前に行われている

「スープを煮込むときに香油を振りかけるな」

これは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、喜劇詩人ストラッティスの言葉を引用した一節である。 古代ギリシャでは、料理の味付けにハーブなどの植物から抽出された香水を加えることは珍しくなかったのだが、アリストテレスは、匂いと味という二つの感覚刺激を混合することは「強制的(=不自然)な仕方によって、慣れで快楽を作り」出すに過ぎないと考えた。

しかし、アリストテレスにとって忌諱すべきだった、複数の感覚刺激を混ぜたり組み合わせたりすることは、現代社会においては当たり前、もしくは不可欠で、むしろ歓迎すべきことにさえなっている。例えば、食品や化粧品、日用品、さらにはレストランやデパートなど、様々な商品や生活空間において、消費者の五感を恣意的に刺激し、商品の使用感を向上させたり購買意欲をかき立てたりすることは常套手段となっている。つまり現代の商品開発やマーケティングにおいて、感覚刺激は重要な要素となっているのだ。

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オアフ島にて。サンセットビーチのビッグウェーブに挑むサーファー。

五感に訴え、個々の商品の差別化を図るマーケティング戦略の黎明期は、少なくとも19世紀末まで遡ることができる。特に20世紀転換期に産業化が進み、大量生産時代を迎えた欧米諸国では、人工着色料や人工香料の開発や、五感の生理学的研究が進み、食品をはじめ様々な産業で感覚的要素の重要性が広く認められるようになった。そうしたマーケティングや商品開発を目的に発展したのが、「感覚科学(sensory science)」と呼ばれる研究分野である。これは、五感を客観的かつ科学的に解明しようとするもので、視覚や味覚を計測したり、匂いの成分を分析したりすることで、個々の五感刺激の数値化や分子レベルでの分析などを可能にした。

データ化された感覚刺激は、例えば食品の新しい味やフレーバー、美容産業ではスキンクリームの香りや肌触りの開発などに活用された。五感にアピールする商品開発や販売手法は、その歴史は長いものの、この10年ほどでようやくマーケティング研究者らの注目を集め始め、総称して「感覚マーケティング」と呼ばれるようになった。感覚マーケティング研究の第一人者でもあるミシガン大学ビジネススクール教授のアラドナ・クリシュナは、「製品の感覚的側面は……私たちの感情、記憶、知覚、好み、選択、さらにその商品の消費に影響を与える」として、五感を刺激することが製品・サービスの魅力の増大に繋がるものだと主張する。

マーケットでは、感覚刺激を「一般化」しなければならない

マーケターや一部のマーケティング研究者らにとって感覚マーケティングとは、一般的にはコントロールできない感覚をなんとかして(「客観的」なものとして扱い)マーケティングに活かそうという取り組みだといえる。例えば、商品や商業スペースなどに独特の香りや色を使用し、そのブランドの特徴を感覚的に表現することで消費者の記憶に残りやすくするなど、五感をマーケティング戦略に活用する有効性はある程度認められるだろう。だが、そこには解消し難い矛盾を孕んでもいる。すなわち、19世紀末以降発展してきた感覚科学やマーケティング戦略は、五感の働き、ひいては人の心身にかかる問題の追求、つまり人間の内面に迫ろうとするものであるものの、商品化やマーケティングに応用する際には、個々人の感覚体験に応じるのではなく、その感覚刺激を一般化しなければならない。

つまり、私たちの眼前に広がる大量消費社会においては、一定の規模で商品を生産し販売するため、企業が消費者一人ひとりにユニークな体験を提供するのではなく、大衆市場向けに標準化され、人工的に作り出された感覚を提供することが必要となる。つまり、個々の消費者の嗜好や感覚を考慮したマーケティングや商品開発は、現実的には不可能なのである。ここでは、感覚科学とそれを利用する産業のあり方に注目し、感覚を「科学」すること、そしてそれを商品開発やマーケティングに活用することの意味について考えてみたい。

定量化には有効な感覚科学。しかし消費者の実際の体験を理解するものではない

感覚科学を利用した商品を大量に生産し販売するためにまず必要だったのが、感覚の標準化である。標準化とは、例えば食品企業が新商品を開発する際、材料の配合や作り方・手順を細かに決め、それに則って商品を生産することが挙げられる。ほとんどの商品にブランド名や商品名が付けられ、消費者もその名称で商品を選ぶようになると、いつ・どこで購入してもそのブランドの商品は品質(食品であれば、味・見た目・風味など)が常に同じであることが求められる。この時、どの味やフレーバーにするかを決めるためには、感覚科学や官能検査技術を用いて味覚などの感覚刺激を測定したり、数値化したりすることが重要となる。不特定多数の消費者に販売し「売れる」商品を作るためには、なるべく多くの人が「おいしい」と考える商品を作ることが不可欠なのだ。ここでは、標準的な消費者の嗜好というものが存在すること(またはそれを作り出すこと)が前提となっており、必ずしも一人ひとりの消費者の好みに合わせるために「おいしい」商品を作っている訳ではない。つまり、感覚(およびその好み)を脱パーソナル化することで商品が作られていることになる。

また感覚科学は、消費者が商品を購入・使用する環境から切り離してその味や香り、触感など感覚的要素の評価をすることが可能だ、という前提のもとに成り立っている。つまり、消費体験が脱文脈化されるのだ。確かに、正しく感覚刺激を測定したり調べたりする際には、観測者や研究者間で感覚データの測定にばらつきがなるべく出ないようにするために、温度や湿度、照明、検査器具など検査環境が標準化され、一定に管理された実験室で官能検査を行う必要がある。だが、こうした実験・検査環境というのは、実際の消費環境とは全く異なるものである。

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ラオスで結婚式に遭遇。新婚旅行に使う車が花と写真で彩られていた。

私たちの普段の生活を振り返ってみれば、消費環境が感覚や感情のあり方を左右することは経験的にも分かるだろう。例えば同じものを食べても、一人で食べるのと、親しい友人と一緒に食べるのとでは、味の感じ方が違うことがある。感覚科学や官能検査、さらにそれらの研究結果をもとに作られてきた感覚マーケティングは、実際の消費者の身体から感覚刺激を切り離し、商品の物理的特徴として感覚を捉えデータ化してきたといえる。感覚科学は、感覚刺激の定量化や分類には有効かもしれないが、様々な文脈に左右される実際の消費者体験を理解し、それに合わせた感覚刺激を探したり作ったりすることに役立つわけではない。

誰かにとっての「おいしい」は、自分にとっても「おいしい」なのだろうか

人類学者でもあるフォーダム大学ビジネススクール教授ティモシー・デ・ワール・マレフィットは、マーケターと人類学者とでは、感覚体験や主体の捉え方に根本的な違いがあると述べる。前者は、人(消費者)よりも物質(商品)に主体を見出しており、ある商品が何かしらの感覚刺激を消費者に与えること、そのあり方に最大の関心がある。従って、感覚マーケティングでは、実際の消費者の感覚体験ではなく、消費者から「(マーケターが考える)望ましい」反応を引き出すために、自社製品やサービスを「演じさせる」方法に主眼が置かれているのだ。一方、人類学者(さらに社会学者や歴史学者)にとっては、主体はモノではなく(感じとる)人の方にある。そして、視覚や味覚、嗅覚のように各感覚を個々に捉えるのではなく、感覚体験を総合的に理解すること、またその体験は文脈に大きく左右されることを重視する。

マレフィットが示唆するように、人の感覚体験、ひいては人の生をトータルに捉え直すことは、商品開発やマーケティング戦略のあり方だけでなく、自分自身の存在を見つめ直すことでもある。官能検査や感覚科学に関する知識や技術が発展したことで、感覚を数値化し、ある意味で「客観的」なものとして扱えるようになった。また、多くの色や香り、質感、音、味など感覚刺激のバリエーションが増加したと同時に、「おいしい」ものを作ることへの探究により、これまでにないほど甘いイチゴやサシの入った牛肉、苦味やエグ味を抑えた野菜などが市場に出回るようにもなった。これにより、例えば、甘いことがおいしい果物の基準となり、柔らかいことが良い肉の基準にさえなりつつある。だがこうした「おいしい」は、万人が同じようにおいしいと感じるもの、また感じるべきものなのだろうか。無批判に誰かの「おいしい」を受け入れたり、それを企業が商品開発やマーケティングに援用するのでは、限定された感覚体験が再生産されるばかりである。そしてそこで生まれるのは、束の間の物質的満足と標準化された体験、さらに思考・嗜好の硬直だといえる。感覚を科学し、操作できるようになったからこそ、生身の身体が感じとるものとして感覚を捉え直す必要があるのではないだろうか。

香油が加えられた理由や経緯を考えることで、世界はより開かれていく

アリストテレスの言葉を借りれば、香油をスープの味付けに使うことは、もはや現代社会においては当たり前となっており、香油なしではスープを味わうことはできなくなっているのかもしれない。だがここで重要なのは、単に香油を混ぜなければよいということではなく、香油を混ぜたスープがあった時に、スープに加えられた香油の種類を特定したり、加えられた理由や経緯、そのコンテクストを丹念に掬い出し読み解くことであろう。そうすることで、私たち一人ひとりがコンフォートゾーンから抜け出し、何か新しいモノ・コトにチャレンジする手立てやヒントを得ることができるかもしれない。さらには、個々人の主体の構築にもつながるのではないだろうか。なぜなら主体とは、環境・モノ・ヒトのダイアレクティカルな関係の中で、身体的・精神的体験を通して生まれるものだからだ。みんなが同調する感覚を「よい」ものとして再生産するのではなく、その「よい」が生まれた背景を歴史化し相対化すること。そこには、今よりも少し開かれた世界が待っているように思う。

参考文献
アリストテレス全集7—魂について 自然学小論集』内山勝利・神崎繁・中畑正志編(岩波書店 2014年)
感覚マーケティング—顧客の五感が買い物に影響を与えるのか』アラドナ・クリシュナ 平木いくみ・石井裕明、外川拓訳(有斐閣 2016年)
アローマ―匂いの文化史』コンスタンス・クラッセン、デイヴィッド・ハウズ、アンソニー・シノット 時田正博訳(筑摩書房 1997年)
Howes, David. “How Capitalism Came to Its Sense—and Yours: The Invention of Sensory Marketing.” June 29, 2017. Center for Sensory Studies (online article).
Hultén, Bertil. Sensory Marketing: Theoretical and Empirical Grounds. Routledge, 2017.
Krishna, Aradhna, ed. Sensory Marketing: Research on the Sensuality of Products. Routledge, 2010)
Lindstrom, Martin. Brand Sense: Sensory Secrets behind the Stuff We Buy. Free Press, 2010.
Malefyt, Timothy de Waal. “An Anthropology of the Senses: Tracing the Future of Sensory Marketing in Brand Rituals.” In Rita Denny and Patricia Sunderland (Ed.), Handbook of Anthropology in Business (pp.704–721). Routledge, 2014.

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