久野愛

久野愛

ワイキキのロイヤルハワイアンホテル。1927年開業の古く格式高いホテルであり、太平洋のピンクパレスと呼ばれている。

(写真:佐藤秀明

ミニマリズムは所有の呪縛からの解放か?

昨年、イギリス出身のアーティストであるダミアン・ハーストが自身が作成した4851枚のペンディングを焼却した。焼却されたペンディングはすべて購入者がおり、その販売価格はおよそ11億円におよんだという。アートの購入者たちは実物のペンディングが焼却されるかわりに、それをNFTとして所有することになった。
まったく実態がないようにみえる「所有」にはどのような意味があるのだろうか。現代の人々にとって所有とはなにか。感覚史や消費についての研究を続けている久野愛氏に著してもらった。

Updated by Ai Hisano on March, 27, 2023, 5:00 am JST

物質的な何かを所有したいという欲望とは異なるかたちで、NFTアートは人々の欲望を駆り立てている

所有のあり方や意味が多様化し、今やバーチャルな世界でも「所有」が成立する現代から考えると、マルクスの議論は多少限定的にみえるかもしれない。だが、所有への欲望が自身の外部化だとし、人間の感覚・身体の解放を所有と結びつけた彼の考えは、モノを持つ、また持たない、という願望が単に物質的欲求だけに収まるものではないこと、さらには人々の感覚世界がいかに作り出されるのかを所有という観点から考える上で、興味深い示唆を与えてくれるように思う。所有することもしないことも、その欲望は自分の外に据えられている。つまり、所有したいという感覚も、所有しない・したくないという感覚も、人間の内と外を分つものである限り、真の意味での人間性や感性の獲得には繋がらないのかもしれない。

さて、マルクスにとって所有とは、物質的な何かを持つということであったが、デジタル化が進む今日、バーチャル世界における「所有」をどのように捉えるべきなのだろうか。例えば、この数年で世界的な話題となったNFTアート。NFT(ノンファンジブル・トークン)は、それまで無料で容易に複製可能であったデジタルアートに対して、それがコピーではなく「唯一無二」の作品であることを証明するもので、非常に高額な価格で取引がなされる場合もある。NFTを購入する理由は様々で、それまでデジタル社会の中で「搾取」されてきた、つまり従来ほぼ無料で作品を提供してきたデジタルアーティストたちを資金的に支えたいという人もいれば、純粋に投資として購入する人もいる。いずれにせよ、従来のように物質的な何かを所有したいという欲望とは異なるかたちで、NFTアートは人々の欲望を駆り立てている。

NFTアートで興味深いのは、複製可能(=デジタル)技術、真正性、所有という問題が複雑に絡み合っていることである。NFTを購入しても作品の著作権を購入することにはならないため、NFTを所有していることはその作品を所有していることを意味しない。つまり、あるアート作品を所有したいと思っても、NFTアートにおいて実質的に所有しているのは、作品ではなくその作品にタグづけされたNFT(トークン)に過ぎないのだ。いや、トークンに「過ぎない」のではなく、トークンだからこそNFTアートに価値が見出され、売買が成立するのかもしれない。

そもそも人が何かを手に入れたいと思う願望には「対象(オブジェクト)がない」

ヴァルター・ベンヤミンが述べているように、「オリジナルのもつ『いま、ここ』という特質が、オリジナルの真正性〔本物であること〕という概念をつくりあげる」のだとすれば、NFTは、改竄不可能なデジタル技術でもって、作品が制作された時間など、まさに「いま、ここ」を示すものであり、それこそが作品の真正性を作り出している。ベンヤミンによると、複製可能な写真が芸術作品として認識されるようになったことで、「真正性という基準が芸術の生産において役に立たないもの」となった。なぜなら、同じ写真が複数枚印刷された場合、どのプリントが真正であるかは問題にならないことが多いからだ。だが、複製可能となった「芸術」において真正性が全く無用になったわけではないだろう。例えば、複製された全く同じ写真が複数枚あったとしても、その中の一枚に写真家のサインが入っているなど、何かしらの価値付けがなされたとしたら、それは、ある種の(アート市場における)「真正性」をその一枚に付与するものとなる。NFTアートの場合、まさにその複製可能性ゆえに真正性が重要なのであり、NFTがその役割を担っている。そして、その真正性こそが、作品を市場的な意味で価値づけるのである。

NFTアートの所有は、物質的に手に取ることのできないもの、しかもアートそのものではなく、NFTというトークンの所有であるという意味で、マテリアルな世界とバーチャルな世界との境界を曖昧にするものだともいえる。ここで、ジャン・ボードリヤールの言葉を思い出してみると、そもそも人が何かを手に入れたいと思う願望には「対象(オブジェクト)がない」。彼のやや悲観的議論によれば、車や洋服のように、たとえ物質的な何かを持ちたいと思い、それを手に入れたとしても、究極的にはその欲望の先にあるのは、「欲望の隠喩」、つまりそれらのモノが体現する意味、すなわち「社会的コード」である。例えば高級車を所有することは、その車に付与された社会的意味(例えばステータスや嗜好など)を手に入れることに他ならない。ならばマテリアルなモノの所有もバーチャルな所有も、究極的には何かしらの「コード」を消費し、所有することなのかもしれない。

参考文献
ベンヤミン・アンソロジー』ヴァルター・ベンヤミン 山口裕之編訳(河出書房新社 2011年)
消費社会の神話と構造 新装版』ジャン・ボードリヤール 今村仁司・塚原史訳(紀伊国屋書店 2015年)
経済学・哲学草稿』カール・マルクス 長谷川宏訳(光文社 2010年)
新・片づけ術「断捨離」』やましたひでこ(マガジンハウス 2009年)
Charlesworth, J. J. “Why the Artworld Loves to Hate NFT Art.” March 17, 2021. ArtReview.
Chow, Andrew R. “NFTs Are Shaking Up the Art World—But They Could Change So Much More.” March 22, 2021. Time.