久野愛

久野愛

ワイキキのロイヤルハワイアンホテル。1927年開業の古く格式高いホテルであり、太平洋のピンクパレスと呼ばれている。

(写真:佐藤秀明

ミニマリズムは所有の呪縛からの解放か?

昨年、イギリス出身のアーティストであるダミアン・ハーストが自身が作成した4851枚のペンディングを焼却した。焼却されたペンディングはすべて購入者がおり、その販売価格はおよそ11億円におよんだという。アートの購入者たちは実物のペンディングが焼却されるかわりに、それをNFTとして所有することになった。
まったく実態がないようにみえる「所有」にはどのような意味があるのだろうか。現代の人々にとって所有とはなにか。感覚史や消費についての研究を続けている久野愛氏に著してもらった。

Updated by Ai Hisano on March, 27, 2023, 5:00 am JST

所有とは、社会そして時代を映し出す鏡である

消費行動の中心が「モノの消費」から「コトの消費」へと移行しつつあると言われて久しい。車や時計、ブランド物のバッグなどモノを購入するよりも、例えば高級レストランでおいしい食事を楽しんだり、海外旅行などレジャーにお金をかけることに価値を見出す人が増えているという。さらに、サブスクリプションサービスの拡大により、今や、洋服や本、家電さえも、所有することなく、必要な時に必要なものを(一時的に)手に入れ、不要になれば簡単に手放すことができるようになった。このように、モノを介さないサービスの利用や体験を求める傾向が強まる中で、モノを所有することは何を意味するようになったのだろうか。

所有とは、社会そして時代を映し出す鏡である。それは、その時々の流行に応じて人々に所有される車、時計、洋服などの「所有物」が社会を反映するということだけではない。そもそも所有するという行動、そしてその概念自体が時代性を伴うものである。古代より「財産」や「所有」という概念は存在するものの、時代や文化によってそれらの意味や役割は様々である。例えば、数百年前の貴族・支配層による権力保持のための土地所有は、現代の私たちが車や時計を所有するという感覚とは大きく異なる。以下では、近代以降の産業資本主義の発展にも触れつつ、主に現代の大量消費主義社会における所有の意味を、その変遷を追いながら考えてみたい。

所有しないことへの欲望が顕になった2010年代

日本が高度経済成長を抜けてバブル期にさしかかった頃、高級車や高級時計、一軒家など、モノを所有することは人々の憧れでもあり、ステータスの象徴でもあった。そしてそれは、決して手の届かない夢ではなく、多くの人々にとって、少し背伸びをすれば達成可能な欲望となったのである。だが、バブル崩壊以降、経済成長の低迷や社会変化に伴い、モノの価値、所有することの意味が大きく変化した。その一つが、モノを持たないことに価値が見出されるようになったことである。

代々木駅近くのガード下
代々木駅近くのガード下。電車の轟音の下を人が行き交う。

2010年には「断捨離」が、その5年後には「ミニマリスト」が新語・流行語大賞にノミネートされた。こうしたある種のマテリアリズムへの反発、言い換えれば所有しない(・・・)ことへの欲望は、20世紀半ばの大量生産・大量消費時代に象徴されるような、画一化された物質世界で生み出される流行を追うことがステータスとして認められることへの挑戦であるといえるかもしれない。そしてそれは、前回触れた「クラフト」のようなものが流行する理由とも繋がっているように思う。
「断捨離」は、作家やましたひでこによる2009年の著書によって知られるようになった。これは、もともとヨガの思想に基づいたもので、モノへの執着を捨てるとともに、身の回りの不要なモノを減らし、生活に調和をもたらそうとする思想のことを指す。「断捨離ブーム」と呼ばれるほど話題になるにつれて、言葉だけが独り歩きし、その根底にある思想を深く理解した上で断捨離を実践した人たちがどのくらいいたのかは分からない。とはいえ、多くの物質に囲まれた生活や、所有がライフスタイルを体現する価値観からの解放に賛同する人々が一定数いたことは、モノの所有の社会的・文化的意味の変化を示していたといえる。