岡村 毅

岡村 毅

(写真:AnnGaysorn / shutterstock

運命の分かれ道――医療の現場では家族がいるかどうかで運命が異なる

DXによってこれからも社会はあらゆることがスマートになっていくだろう。しかし、精神医療の現場では簡単には割り切れない事象であふれている。現代のシステムはその結論を「家族」に委ねることが多いようだ。では身寄りがない人々はどうしているのだろうか――。現場の声を紹介する。

Updated by Tsuyoshi Okamura on April, 7, 2023, 5:00 am JST

家族からも自由になりつつある現代人。ただし弱ってくるとそうとも言っていられない

人類や社会の進歩とは何だろう。それは所与のもの、例えば人種、家柄や階級、家族、性別といった生まれた時点で決められているものから、自由になる過程といえるかもしれない。逆に、人間が自由だというのは思い上がりで、所与のものを受け入れて生きていくべきだという意見もあるだろう。

では次の発言はどう思われるだろうか?
① (バスで)「この椅子は白人用です。あなたは黄色人種だから座ってはいけません」
② 「あなたは卑しい家の出身だからうちの娘と結婚はさせられません」
③ 「息子が不祥事を起こしたら、たとえ成人していても親が出てきて謝るべきです」
④ 「心が女性だなんていっても男なんだから男らしくしなさい」
現代に生きる日本人は①②は悪しき因習と思うが、③④の意見は割れるのではないか。

本稿は、精神科医が臨床経験から「人間は自由」という建前が現場では実現されていないのではないかと感じたことを「家族」という切り口で述べるものである。

まず家族の形が大きく変貌していることを押さえておこう。世帯の形を見てみると、かつては3世代同居(サザエさんの家のイメージだ)が主流であったのが核家族化している。統計によれば、高齢者のいる世帯の6割が、高齢者一人暮らしか高齢夫婦二人暮らしなのである。赤ちゃんを祖父母がみるとか、老親を在宅介護するというのがもはやファンタジーになりつつある(良いとか悪いとか言っているのではなく、現実を淡々と述べている)。

我々は家族からも自由になりつつあるように思える。持ちたければ持てばよいし、一人で生きていくこともできる。ところが、平時は良いが、緊急時は、あるいは弱ってくると家族が重大になり、いるかどうかで運命が変わる。

では、どんな時に運命が変わるのかを挙げていこう。