岡村 毅

岡村 毅

(写真:AnnGaysorn / shutterstock

運命の分かれ道――医療の現場では家族がいるかどうかで運命が異なる

DXによってこれからも社会はあらゆることがスマートになっていくだろう。しかし、精神医療の現場では簡単には割り切れない事象であふれている。現代のシステムはその結論を「家族」に委ねることが多いようだ。では身寄りがない人々はどうしているのだろうか――。現場の声を紹介する。

Updated by Tsuyoshi Okamura on April, 7, 2023, 5:00 am JST

家族がいない人はどうしているのか?

最後に希望を語ろう。筆者が関わるホームレス支援団体には、事情があって家族・故郷と縁が切れている方が多い。無縁・孤立・独居の高齢者が生活破たんし、路上を経るなどして団体にたどり着く。あるいは刑務所から出たが行き場のない人もいる。

聞き取りをすると、暴力に支配され、父から子へ血は継承されず、家系図は複雑怪奇で、さまざまな課題を持つ人が多い家族のもとで生を受けた方も多い。彼らにとって家族とは恐ろしいものかもしれない。団体の運営する共同居住の中では多くのトラブルがあるが、そこでは「トラブルミーティング」として関係者を集め、問題を生活歴まで掘り下げて語り合うのだ。お互いの過去を涙ながらに語ることで仲間となり、役割を見出し、互助関係を作る。家族はいないが、彼らは人生の最終段階でつながりを回復する。居住・生活支援については、団体が包括的に行う。医療における支払いや処遇に関しては、生活保護のケースワーカーが行う。末期がんの人の終末期には、往診医の支援を得て共同居住の仲間でお世話をしてお看取りをすることもある。そして死後には無宗教の偲ぶ会を行っている。

家族は素晴らしいものだが、事情があって家族がいない人もいることに想像力を働かせたい。家族のもとで苦しみ続け、家族から逃れた先の路上の果てで、希望を見出す人もいるのだ。

考えてみれば「カラマーゾフの兄弟」も「ゴッドファーザー」も、そして「新世紀エヴァンゲリオン」も壮大な家族の物語ではないか。イエスキリストは普通の家族とは違う形で生まれているし(処女懐胎)、仏陀は出家する前に家族を捨てている。家族は素晴らしいものだが頭痛の種でもある。

精神科の外来でも、人間関係の悩みは大体が家族の悩みに収斂する。ものすごく病的な家族の中で苦しんでいる人もいるし、はたから見ると普通の家族の中でやはり苦しんでいる人もいる。古くて新しい問題だが、ヒトがヒトから生まれてくる以上、「しばらくは」この問題は続くだろう。ヒトがヒトから生まれない時代が来たら、この問題は解決するのだろうか?あるいは形を変えて連綿と続くのだろうか?

我々の研究室では家族介護者の研究をしている。家族介護とは、長い長い関係性の果てに、旅立つ、弱っていく人を、支えるということであり、心理的葛藤がとても大きい。家族とは何だろうか、という疑問を持ちながら年末年始に研究インタビューのためにフィールドを彷徨いながら考えたことを書いた。興味深い研究成果が得られたが、それはまたどこかで書ければ幸いだ。