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Jheronimus Bosch (copy after)|The Temptation of Saint Anthony the Hermit|c.1530-c.1600

(写真:アムステルダム国立美術館 / Rijksmuseum Amsterdam

人にとって「言葉」とは何か

生成AIによって、文章作成をすることは格段に容易になりました。しかし、人は完成されたアウトプットを生み出すためだけに言葉を操っているわけではないはずです。人にとって「言葉」とは何か、改めて考えるきっかけになる論考を紹介します。

Updated by on May, 12, 2023, 5:00 am JST

生成系AIの論点は「見かけ倒しの真理」にある

chatGPTの使用にあたっては、権利問題や内容の真偽ばかりが取り沙汰されていますが、そもそも言語が何を表しているのかは状況に依存するということを多くの人が忘れています。生成系AIが吐き出すものがどのような種類の「言葉」なのかをいまいちど考えてみるべきでしょう。

人間にとって「書く」こととは

「手指を使って文字を「書く」という行為は、単に機械的な運動なのではなく、鈍麻した思考を活性化させ、表現の可能性を拡張する働きを持つ、と言っても大げさではない」。科学哲学者の村上陽一郎氏は「書く」行為そのものに一つの可能性があることを指摘しています。目指すアウトプットが得られればそれでいい、という考え方は改めた方がいいのかもしれません。

現代の「キャリバン」たちへ

2019年に逝去した作家の橋本治の著作を読み解き、その知性に学ぶシリーズから。橋本は若者の「活字離れ」が起きたのは、活字が権力化したからだと綴ります。

「私は、活字=言葉こそがあらゆる文化の中心のなるべきものだと思っている。何故ならば、人は言葉によって思考するからだ。思考を言葉によって整理するからだ。人の中心に言葉があると言ってもよいだろう。それ故にこそ、言葉は容易に権力となりうる。」『浮上せよと活字は言う』(平凡社 1994年)

権力となりうる言葉を私たちはやすやすと機械に明け渡してもいいものでしょうか。

無批判に誰かの「おいしい」を受け入れ続けることは、限定された感覚体験の再生産にしかならない

言葉は私たちの感覚を研ぎ澄ませるものでもあります。誰かが発した言葉をそのまま受け入れ続けることはオリジナルの感覚体験を失っていくことにはならないでしょうか。いまいちど、私たちは自分の言葉で体験を表現するべきなのかもしれません。

世界には無数の「言語」が隠されている

生成系AIが広まったことで、そもそも人が操る「言語」とは何なのかを改めてみつめなおした方も多いのではないでしょうか。言語に興味を持ったのならば、他の動物が操る言葉についても知ってみると、何か発見があるかもしれません。長年イルカの言葉を調査してきた研究者のレポートです。