岡村 毅

岡村 毅

Petrus Marius Molijn|Zieke man krijgt te drinken|1829-1849

(写真:アムステルダム国立美術館 / Rijksmuseum Amsterdam

大変なのは入浴の介助ではない。介護者を苦しめる「名もなき介護」

データ駆動型社会は「家族」の問題も解決できるだろうか。超高齢化社会において、高齢者を抱える家族の問題は見過ごせない。精神科医が高齢者の家族の問題を調査してみると、そこにはまだ表面化していない課題が山積していた。

Updated by Tsuyoshi Okamura on June, 5, 2023, 5:00 am JST

徐々に弱っていった場合、介護者はそれが介護だと気づかない

涌井:また実際には介護をしていても、本人がそれを介護だと思っていないという問題もあります。

岡村:どういうことですか。

涌井:例えば、奥さんが徐々に弱ってきて、夫が徐々に身の回りの世話をしています。「これまで世話になったしな、これくらいはしないと」というわけです。「人が家に入ってくるのも気を使うし」ということで介護保険の申請などもしていません。ところが、奥さんの衰弱は進み、世話も徐々に大変になってきます。ある日突然始まる介護もありますが、特に高齢夫婦の場合など、徐々に支援が増えていって、さらにはそれが過去のお二人の生活の延長上にある場合、それが介護だとは思っていないケースがあるのです。調査中に出会ったあるご夫婦は外に助けを求める機会を逸してしまい、かなり大変な状況になっていました。我々が『これは大変な介護ですよ』と伝えたことで、地域包括支援センターと一緒に翌日行って介護保険が始まりました。

人類は家族から自由になれるか

岡村:家族の介護というのは大変ですね。私は常々人類は家族とか、宗教とか、そういった所与のものから自由になるという大きな物語をもっているのではと思っていました。西洋社会では家族はかなり解体され、性別までもが自由になりつつあるように思います。自由を愛する精神科医としてはそれは人類の進化なのだと思うのです。家族はいずれなくなってしまうのでしょうか?

涌井:それは違いますね。家族は絶対なくならないと思います。家族が弱くなれば、コミュニティ、ひいては国も弱体化します。

岡村:先生は米国で学ばれて、リベラルな研究者と思っていたのですが、意外ですね。

涌井:まず米国では家族の価値は絶大です。社会保障が弱いということもありますが。また移民の方や、在米の外国にルーツを持つ人々も、家族どころか同じ出身地だということで、助け合っています。中国系の人の家族意識もとても強いですね。家族どころか血縁者はどこまでも助け合います。
日本は家族の結びつきが強いというイメージはありますが、実際にはそれほどでもない。これは、いいとか悪いとかいう話ではなく事実としてそうなっているということです。

岡村:精神科医としては、問題行動の多い親の元に生まれたことが原因となって苦労をし続ける患者さんをたくさん診てきました。そうなると家族は「縛り」のようにも感じます。

涌井:家族やファミリーと言っても、もう少し掘り下げてもいいかもしれません。現代日本では、比較的血のつながりが重視されます。一方で米国の「ファミリー」はもっと風通しが良い。いやならやめればいい、一緒に過ごしたから仲間だ、みたいな。

岡村:確かに。それは文芸やエンタメにも現れている気がします。『鬼滅の刃』は家族の価値が反復して語られる物語です。その中に、敵の鬼が「鬼同士のニセ家族」を形成しており、主人公が「ヒトと鬼だが本物の兄妹」で、もちろん主人公が勝つというエピソードがありました。血の濃さが強調されているように感じます。鬼の側も、実はラスボスの悪の血でつながっているという倒錯があります。太古の昔から繋がっている本物の血の継承である聖家族対、欲でつながった悪の血の繋がりであるニセ家族という対比ですね。一方でアメコミのバットマンとロビンは血縁がない。ここだけ取り上げるのも公平ではないかもしれませんが。

あと是枝監督の「万引き家族」や「ベイビーブローカー」は、日本や韓国が舞台ですが、血縁関係がないが繋がっている「ファミリー」の話です。日本は、血縁家族からファミリーへと価値観が揺れているのかもしれない、などと考えてしまいます。

涌井:そういえば今回の調査でも、家族ではない人が、高齢者のケアをしていた事例がありましたよね。昔かわいがってもらったとか、大変世話になった人の配偶者だ、とかそういう「信頼」の物語が語られました。

岡村:カラマーゾフの兄弟も、ゴッドファーザーも、エヴァンゲリオンも、すべて家族の物語ですから、家族に関することは人類の最大の課題なのかもしれませんね。

うかがった話はここまでである。
まず高齢家族への介護に関する問題は、問題が問題として認識されていないことにある。これはどうにかして表面化させなければならない。課題であることが多くの人に伝われば、解決策が見えてくる。例えば、勝手にエアコンを切ってしまう問題などはすでにあるテクノロジーを組み合わせれば解決するだろう。迷子にならないようにする施策もすぐに出てくるはずだ。こうして「名もなき介護」を一つずつ減らしていけばいい。

一方で、家族に関する問題は「解決」が難しい。現代のように様々な側面で「個」が重視される社会においては、「家族とはよいもの。助け合うのが当たり前」という前提(=縛り)を捨てて、家族の在り方をもっとオープンに議論し考えていくことが重要だ。家族とは「形成されるもの」という前提に立つことができれば、家族間の課題が明確になるため、解決策を見出すことができるかもしれない。人としての根本を問う問題への解決策は簡単には出せないが、負担となる事象が明らかになっていけば、それに対するアプローチは可能になっていくだろう。

取材協力:涌井智子

地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター(東京都健康長寿医療センター研究所)研究員。
公衆衛生学・老年社会科学を専門とし、要介護高齢者とその家族が、介護を担う生活の中で抱える様々な課題を研究テーマにしている。特に、介護を担う家族の負担感やソーシャルサポートといった研究をベースに、近年は介護者支援を目的とした介護生活マネジメントプログラムを開発中。