安岡宏和

安岡宏和

(写真:Media Lens King / shutterstock

実は膠着していない、人と生物の関係を「動的に把握する」

農耕や畜産などを通し、人は他の生物を支配しているように見えるかもしれない。しかし、人と生物の関係はただ一方的なものだけに限らないのだ。関係性を「動的」に把握することで、オルタナティブな生き方が見えてくるかもしれない。

Updated by Hirokazu Yasuoka on October, 20, 2023, 5:00 am JST

ドメスティケーションは動的である

前回は、ドメスティケーションをより広い視野のもとで記述するためのモデルとして、双主体モデルを提示した。それは、人間のみをドメスティケート主体と捉える単一主体モデルと、異なる生物種間にみられる相利共生としてドメスティケーションを捉える関係論モデルを統合したものであり、関係する生物の双方をドメスティケート主体として想定するモデルであった。しかし、コンゴ盆地の熱帯雨林にくらすバカ・ピグミーの〈生き方〉を理解するためには、もうひと工夫必要である。それはドメスティケート主体と対になる「野生化する主体」を、双主体モデルにアドインすることである。

その意図は、生物どうしの関係を「動的に把握する」ことにある。では動的な把握とは何か。アナロジーで説明しよう。空に浮かぶ月は、いつも地球から一定の距離にある。なぜだろうか。いかなる力も月に作用していないから、ではない。月には地球の重力が作用している。それでも月が地球に落下してこないのは、地球のまわりを円運動することによって生じる遠心力が地球の引力とつりあっているからだ、というのが一つの考え方である。この考え方は、力の均衡が崩れたとき二つの物体の距離が変化するであろうことを予期している。このように、たとえ定常状態の記述であっても、そこに潜在的な変化が折りこまれているならば、動的な把握をしているといってよい。

人間とある生物二者には、「ドメスティケーションへ向かう力」と「野生へ向かう力」が働く

これをドメスティケーションにあてはめてみよう。人間とある生物の関係が、野生と栽培のあいだにあるとする。その動的な把握とは、両者の本質ゆえに必然的にその地点にあるのだと考えるのではなく、現在の条件下において両者に作用している諸力がその地点で均衡している、と捉えることである。ここで「力」と表現しているものは、多種多様な生物や非生物との連関のなかで生じて、焦点化された二者の関係をその地点に位置づけている作用である。たとえば第三の生物が導入されることで人間と対象生物をとりまく連関が組みかえられると、諸力のバランスが変化し、力の均衡点は栽培ないし野生の方向に移動するだろう。

このとき焦点化された二者に作用する諸力は「ドメスティケーションへ向かう力」と「野生へ向かう力」という二つのベクトルに集約できる。ドメスティケーションへ向かう力の主たる要素は、ドメスティケート主体の行為である。それは前回トマトの栽培化を例にとってしめしたように、対象生物の生きる環境を構築しながら、みずからにたいする依存度が増大するように対象生物と第三の生物たちとの関係をコントロールする行為である。野生へ向かう力はその反対向きのベクトルであり、その主たる要素が「野生化する主体」の行為だということになる。具体的には、特定の生物への依存から逃れ、多種多様な生物と連関しようとする行為である。