暮沢剛巳

暮沢剛巳

(写真:Oleg GawriloFF / shutterstock

「博物館浴」に「博物館処方箋」。健康や福祉にも活用される博物館

博物館が様変わりしてきている。従来の収集・展示という役割を担うだけでなく、人々が身体的、精神的、社会的に良好な状態となるようなサービスを始めているのだ。このような取り組みについて背景とともに紹介する。

Updated by Takemi Kuresawa on July, 10, 2023, 5:00 am JST

博物館と医療機関が連携して提供される「博物館処方箋」

(写真:Sophy Ru / shutterstock

隣国である台湾の事例にも目を向けてみたい。現在の台湾では「文化平権」という理念が提唱されているが、これは1980年代以降の民主化の流れの中で、多くの人々から文化的な格差の解消を求める意見が台頭してきたことを反映したもので、その流れを受けて2019年には文化基本法が成立した。博物館の活動はもちろんその一環をなしており、先住民族やLGBTQなどを対象とした様々な施策が実施されているという。例えば台湾で最も歴史のある博物館として知られる国立台湾博物館では、博物館と医療機関が連携し、 認知症患者とその介護者を対象に、博物館での作品鑑賞やワークショップなどの社会参加の機会を提供する「博物館処方箋」という試みが実施されているが、東京都美術館ではこの活動を紹介したパンフレットを実践ガイドブックとして日本語訳し*2、それを参考に2021年春にシニア世代を対象としたアートコムにケーション事業「Creative Ageing ずっとび」を開始し、また同年11月には認知症の患者を対象に「おうちでゴッホ」展を実施した。また故宮博物院の「翠玉白菜」といえば日本でも傑作として名高い工芸品だが、同館のオンラインでは、この目玉作品をキャラクター化した児童向けのアニメーションが配信されている*3。一見コミカルなキャラクターの映像も、ウェルビーイングという観点からは多くの示唆に富んでいることに着目しておきたい。

私はICOMの定義変更には以前から強い関心があり、2019年夏には京都まで出向き(この時のICOM総会では、定義変更は結局見送りとなった)、いくつかの議論に参加した。また2022年夏のプラハ総会にもオンラインで出席し、遠く離れた日本から定義変更が承認される場面を見届けた。また昨年出版した拙著*4でもこの話題をとりあげ、そこでは主に多様性という観点から、2020年に北海道白老町に開館した国立アイヌ博物館の展示について検討した。もちろん、今回のシンポジウムにも足を運び多くの議論に耳を傾けた。私自身ミュージアムはまずそれぞれの対象領域の作品や資料を収集し展示することが何より重要であると考える一人であり、それゆえ当初は無暗に役割を拡張するかのような定義変更に懐疑的であったのだが、これらの機会を通じて少しずつその必然性を認識することになった。

収集や展示だけではない。提言も行う博物館へ

ミュージアムの第一のミッションが作品や資料の収集や展示であることはこれからも変わることはないだろう。だが今後の活動に当たっては、その収集や展示の方針は多様性や持続可能性に配慮したものでなければならない。本校で紹介した各館の「ウェルビーイング」の取り組みがSDGsの到達目標である「すべての人に健康と福祉を」に対応していることはすでに述べたとおりだが、それ以外にも例えば、脱炭素や開発の歴史、エネルギー政策等をテーマとした収集や展示によって「気候変動に具体的な対策を」への提言を行ったり、あるいは森林資源や地域環境をテーマとした収集や展示(本稿で紹介した博物館浴も、その観点からの応用が可能であろう)を行うなどの様々な展開の可能性が考えられる。繰り返すが、これらの展開の可能性はSDGsに端を発している。SDGsはあくまで到達目標、努力目標であって、万事を解決に導く魔法の杖ではもちろんない。その意味では最近の濫用ぶりはやや気がかりだが、それでも今後のミュージアムの行方を大きく左右する試金石なのは確かなようである。

参照リンク等
*1. 変更前の定義はhttps://icomjapan.org/journal/2020/09/03/p-1315/ を、変更後の定義はhttps://icomjapan.org/journal/2023/01/16/p-3188/ を参照した。いずれも原文は英語、日本語訳はICOM日本委員会による。
*2. 博物館処方箋実践ガイドブック
*3. 兒藝藏寶閣
また、残念ながら同館のホームページ上には存在しないが、私は「翆玉白菜」の着ぐるみによる体操の動画も見たことがある。
*4. 『ミュージアムの教科書――深化する博物館と美術館』暮沢剛巳(青弓社 2022年)