井山弘幸

井山弘幸

Anatomie en fysiologie van het menselijk lichaam met details van het oog, oor en de buikholte bij zwangerschap, Lucas Kilian, 1613|1613

(写真:アムステルダム国立美術館 / Rijksmuseum Amsterdam

データは「ない」ことによって、大きな価値を生む

多種多様なデータの殆どは、何かの存在を書きとめたり、観察記録や測定から得られたものだ。しかしなかには、何かが存在しないこと、あるいは不足していること、不在を記録するデータも含まれている。「ないこと」には気づきにくいものだが、実は「不在のデータ」が大きな意味をもつことがある。

Updated by Hiroyuki Iyama on September, 25, 2023, 5:00 am JST

「どうして兵士は戦場では死なないのか?」

ナイチンゲールがクリミア戦争時、トルコのスクタリ病院で画期的な衛生改革をなしえたことは有名だ。多くの命を救いクリミアの天使と讃えられた。だが冷徹な統計学者でもある彼女の探求のきっかけは、戦争での死亡率が高いにもかかわらず、戦場での戦死者が少ないことにあった。「どうして兵士は戦場では死なないのか?」すなわち戦傷者を治癒する野戦病院の方に死者が多いのは何故か、という疑問だ。感染理論がまだ一般的ではなかった時代に、往時の病院環境に「何がないのか?」と考えたことが大きな契機となった。そしてスクタリ病院に上下水道の区別がないことに気がつく。細菌感染という仮説はなくとも、古代以来のミアスマ(汚染)が死亡原因に関係しているのではないか、と判断し、上水道を下水から分離することに着手した。

「不在のデータ」から生まれたワクチン

治療薬としての効能は別として、丸山ワクチンの開発も不在のデータがもとになっている。丸山千里は皮膚結核のワクチンを研究していたとき、皮膚結核やハンセン病にはガン患者が少ないという不在のデータに出会う。今でも結核に一度なった人はガンにならないという風聞を聞くことは多いし、そう語る医者だっている。後年の研究で結核の死亡率の高かった過去においては、ガンに罹患する以前に亡くなったり、あるいは死後の剖検が行われていなかったりしたことから、決してこの不在のデータは事実ではなかった可能性があるけれども、一時はガンの特効薬として注目を浴びたワクチンは、不在のデータから生まれたことは銘記すべきである。