井山弘幸

井山弘幸

Anatomie en fysiologie van het menselijk lichaam met details van het oog, oor en de buikholte bij zwangerschap, Lucas Kilian, 1613|1613

(写真:アムステルダム国立美術館 / Rijksmuseum Amsterdam

データは「ない」ことによって、大きな価値を生む

多種多様なデータの殆どは、何かの存在を書きとめたり、観察記録や測定から得られたものだ。しかしなかには、何かが存在しないこと、あるいは不足していること、不在を記録するデータも含まれている。「ないこと」には気づきにくいものだが、実は「不在のデータ」が大きな意味をもつことがある。

Updated by Hiroyuki Iyama on September, 25, 2023, 5:00 am JST

モノのインターネットを生み出したデータとは?

IoTも「不在のデータ」から始まった。
IoTの提唱者であるケヴィン・アシュトン(Kevin Ashton)は、1995年から98年にかけて後年OLAYと改称される化粧品ブランドの新ライン開発の仕事に就いていた。ケヴィンが近所のスーパーに行くと、人気商品の口紅が品切れになっていることに気がつく。販売流通の担当者はたまたまのことだとして真剣に取り合ってくれない。他の店舗はどうかと調べてみると、常に40%の売場で品切れが認められた。工場での生産量に不足はなく、行き場のない商品はたくさん在庫にあった。つまり販売店と倉庫の間の情報交換がスムーズにいっていないということだ。バーコード入力なので販売実績は機械的に把握されているけれど、盗難や紛失あるいは入力ミスも考えられる。何よりも商品の補充を倉庫に連絡するのは人間なので、タイムラグや単純に忘れることもある。ならば在庫管理から商品の輸送までを人間の手を介さずに直接こなす通信システムを作れないか。レジから倉庫までモノが情報発信して、それをモノが受信して配送まで行なうことはできないか。こうして日常の機械や道具にコンピューターとセンサーを組み込み、インターネット上でつなぐユビキタス・コンピューティングの研究分野が生まれた。振り返ってみれば、ことの発端は口紅の品切れというありふれた現象だ。あるべきはずのモノがない、という不在データは多くの人間にとっては意味のない偶然の範疇で理解されていたのである。

データから知識を得ることを阻む伝統が「欠乏症」を見過ごさせた

見慣れたものの不在。今度は、見過ごされていたデータが活かされた事例を医学史のなかに探ってみよう。

壊血病の報告が目立つようになるのは大航海時代である。15世紀末のコロンブスとヴァスコ・ダ・ガマの航海ではいずれも半数以上の船員がこの病気で死亡したと言われる。出血と消耗が顕著な疾患だが、長期にわたる大航海が始まる以前はほとんど記録がない。実は記録のないこと、つまり不在のデータこそ、この病気の原因の究明に必要であったのだ。

長期間にわたる航海でも壊血病が認められないケースもあった。たとえば、同じ世紀初めの中国明代の大事業「鄭和の南海遠征」においても、東アフリカにまで至る大遠征であったにもかかわらず、壊血病らしき疾病の報告はない。自社ブランドの口紅が品切れだった時のように、そんな時もあるだろうと、不在のデータは誰にも注目されずに見逃されてしまう。結果を知っているわれわれは、中国人は船乗りも飲茶の習慣があり、茶葉に含まれるビタミンCが彼らを守ったのだとその不在のデータの意味を理解できるけれど、それはすべて後知恵であって、口紅や病人の不在のデータは、そのままでは注目し辛いものであり、後に「欠乏症」という仮説が生まれるまでは何も語らずに眠っていたのである。

やがて航路にあっても、寄港の頻度が高く上陸して新鮮な野菜や果物を運び入れることのできる環境では、滅多にこの疾病を生じないことは、船乗りのあいだで知られるようになる。そして病因よりも治療法が先に見いだされる。その時も不在のデータが重要な役割を果たしたのである。エディンバラの医師ジェームズ・リンド(James Lind)は1747年にはじめて対照群(即ち不在データ)を取り入れた臨床試験を行い、壊血病の治療に柑橘類が有効であることを証明した。リンドは船長から許可を得て、壊血病の重症患者12人を選び6組に分けてそれぞれに当時有効とされた食品や薬剤(リンゴ酒・硫酸アルコール溶液・酢・海水・オレンジとレモン・芥子大蒜入り下剤)を摂取させ、経過を見ながら酒石酸塩などを服用させる以外は普通の食事を摂らせた結果、「オレンジとレモン」組が顕著な回復を見せることをつきとめた。この組以外はお目当てでない「不在データ」である。もっともリンドは柑橘類を摂取することが有効だとしつつも、共通の成分である酸による治療効果と誤解していた。酢を飲ませた患者には改善が見られなかったにもかかわらず、であるが、これは致し方ない。「何かを食べないことによる疾患」という認識を得たことが重要なのだ。

壊血病がアスコルビン酸(ビタミンC)の欠乏症と判明するのが1933年、約2世紀も経過してからであった。その理由は、データから知識を得ることを阻む伝統があったからであり、欠乏症仮説とは異なる(仮説であることに変わりはないが何世紀も正統とされてきた)体液病理学説が幅を利かせていたからである。医学史においてはヒポクラテス以来の伝統、テキスト至上主義こそデータから学ぶ行為を禁じてきたのである。