森本 裕子

森本 裕子

(写真:Martyshova Maria / shutterstock

長時間、一人で、偶発的に。高く評価されるアートの作り方

ときに不合理な働きをする人の心を蓄積された研究結果から読み解きます。今回は、専門家の目をも眩ませる、高く評価されるアートの作り方を紹介します。

Updated by Yuko Morimoto on October, 3, 2023, 5:00 am JST

高評価を得るためには、みんなでよりも一人で

ちなみに、時間がかかっていたらいつでもとにかくいい作品だと思われるかというとそうでもないようで、同じ時間かけられたアートであっても、一人で作ったと聞いた場合の方が、複数人で協力して作ったと聞いた場合よりも高く評価されるという研究結果が報告されています※2。

このとき使われたアートの一つは、タラ・ドノヴァンの「無題(Untitled; Plastic Cups)」です。膨大なプラスチックコップを積み重ねたこの作品は、1人で作ったとされた場合に比べ、複数人で作ったとされた場合には、2人、3人、5人と人数が増えるにつれ、そのクオリティが低いと評価されるようになっていきました。

この研究で面白いのは、実際に複数人でアート(詩)を作らせてみているところです。一人で作った詩と複数人で作った詩の間には、特にそのクオリティに差はありませんでした。つまり、実際には複数人で作ったアートの質が低いわけではないのに、なぜかみんな、多くの人間が関わったと知っただけで、評価を下げてしまうのですね。

偶然できた作品は価値が高い

「努力=価値」現象とはむしろ反対に「そうするつもりはなかったんだけど偶然できた」という作品も評価が高くなることが示されています。同じ詩を読んだ場合でも、「自分の考えを書き留めていた言葉の羅列が偶然詩になっていたんです」と聞いた人は、「詩を書こうと思って書き溜めていた言葉から詩ができたんです」と聞いた人よりも、詩のクオリティが高いと評価するというのです※3。

なお、この効果はアートに限らず、「エンジニアが娘の宿題を手伝っていたら偶然ものすごく座り心地のいい椅子ができた」という場合にも「いい椅子を作ろうと思って娘の宿題を手伝っていた」という場合に比べ、その椅子に対して高い値段を払ってもよいと考える傾向が示されています。となると、なにか商品を売るときには偶然性を強調した方がいいのかもしれません。

作品は、大変な労力のかかったものであってほしい。しかも大勢ではなく一人の労力によって作られていてほしい。さらにできれば偶然性もあってほしい。アートは、作品の持つ芸術性だけではなく「どのように制作されたのか」によっても評価されているのがわかります。