科学は始まって1世紀
現在、私たちが評価しているような科学とは、19世紀の終わりから20世紀初頭ぐらいから本格的に稼働し始めた。例えば、ニュートンは確かに科学的な内容のことを発見してきたが、彼の実績が果たして私たちが今考えるような科学に当てはまるかというと、少なくとも私ははっきり「ノー」 だと言う。
それには様々な理由があるが、一つは現代の制度化された科学の外にあるからだ。社会制度として確立された科学というのは、おそらく19世紀の半ば過ぎあたりから、ヨーロッパやアメリカで始まった。日本もご多分に漏れず、それを受け入れている。しかし戦前の科学はまだ本格的な制度活動になっていたとは言えない。制度化が何かを非常にわかりやすいところを捕まえていえば「研究成果は必ず論文誌に論文という形で発表すること」だ。だから私は「科学者の定義は何ですか」と問われると「一番わかりやすいのは論文を書く人だ」と答える。科学の世界では一般に売れる本を書いても何の意味もない。科学者はその仲間つまり自分と同業の人に評価をされることが非常に重要な人々だ。しかも、その同業は日にち毎日狭くなり、どんどん「専門化」していっている。
20年ぐらい前にとある循環器系の医者に会って「先生は循環器の専門家でいらっしゃるそうで」と言ったら「違います」と言われた。では「血管系か、心臓の方ですか」と訊ねたらまた違いますと。では何の専門家なのかと問うと「心臓の僧帽弁だ」とおっしゃった。それくらい研究の現場は専門化している。
『ヘラクレイトスの火―自然科学者の回想的文明批判』という本を書いたE.シャルガフという科学者はノーベル賞を貰い損なった科学者のリストの筆頭にあがる人物だが、そのシャルガフが実に皮肉たっぷりに言っているのが「最近の科学者は、ムカデのX対目の足について研究している」と。私はムカデの足がいくつあるのかは知らないが、日本語では百足と書くから百本は足があるとすれば、その 内の一対だけの専門。シャルガフは現代の科学はそういう学問になってしまったと指摘している。
専門知を進歩させるSomething New-ism
そのような狭い狭い専門のなかで採択されるのが論文だ。さらに論文というのはレフェリーに採択されなければ価値をなさない。私は国際的なレフェリーを何度も務めたことがあるが、レフェリーは、普通はチェックリストを持ち、そこにはタイトルは適切か、使われている英語はわかりやすいかなどという、形式的項目が並び、それに照らし合わせて最初の判断をすることが要求される。その上で、内容に関して「あなたはこれをどう評価するか」が問われる。五つ星なのか四つ星なのか。つまり「全く問題なく、載せてよろしい」「多少の手直しが必要」から、「大規模に直す必要あり」「全く駄目」、大体そのくらいにカテゴライズして評価することになる。さらに、小幅な直しならどういうところをどう直すのか。大幅に直さなくてはならない場合はどこが問題で、削除をした方がいい箇所、就く加えるべき内容などもレフェリーは示さなくてはならない。「文句なく駄目」な場合には「ここが駄目だからどうしようもない」と書かなくてはならない。それがいわゆる「リジェクト」だ。
論文を掲載する際の最大の基準は何かというと、Something New-ismに照らし合わせる。これは私の発明でもなければ誰しもが用いる言葉でもないが、その専門の中で既に研究者のみんなが持っている知識にSomething Newを付け加えるものだったら、良い論文として採択されるということである。そういう考え方をSomething New-ismと呼ぶ。ある学問の塊にSomething Newが少しず つ足されていくことによって、その知識体は大きくなる。そういう意味で言えば、科学は一直線に進歩しているといえるだろう。現行の制度ではそういうことになっている。
既存の知識体からは理解できないSomething Brand-new
一方で、ときにはSomething Brand-newという非常に新しいことを述べるものが出現するが、それはほとんどの場合、文句なくリジェクトされる。実際のところSomething Brand-newには「およそ理解の外」という馬鹿げたものもあるし、本当にその世界をひっくり返すほどの画期的な論文であることもある。後者であることはそれほど多くはないが、ときおり出てくる。しかしこれは評価した人物のいる専門の知識体には繋がってない。だから非常に多くの場合にレフェリーは、リジェクトすることになる。アインシュタインのノーベル物理学賞授賞理由に、相対性理論が言及されていないのは、注目すべき現象だ。

もしもそのSomething Brand-newの論文を書いた人に影響力があれば、その人の周りにそのBrand-newにまつわることをする人が現れ、彼らは自分たちで新しいジャーナルを作り始める。そうするとそこでまた知識体が膨らんで……と同じことが始まる。そういう意味でいえば、科学の進歩は一直線とは必ずしも言えないところがでてくる。前の知識体と新しい知識体がつながっていないのだから。そこの繋がってないと言う点に着目したのが当時大きな影響力を持っていたトーマス・クーンだ。彼が著書『科学革命の構造』で使った「パラダイム」という言葉は、今では政治家もよく使うようになったが、クーンは、パラダイム変換という概念を通じて、科学は必ずしも一直線の進歩をしているわけではない、という説を建てた。
パラダイムとは、技術の世界で言えば「イノベーション」のようなものだ。今までの科学との延長上にあるのではなく、何か根底から少し違ったものの考え方と方法論を使って新しいものを生み出している。今はイノベーションにも複数の定義が出てきているのかもしれないが、元々イノベーションとはそのような意味合いを持っていた。
いずれにしても今の研究の精度から言えば、とにかくその専門の中では知識は確かに増えている。今までわからなかったことがわかるようになってきているということはいえるだろう。
歴史の一直線上にはないCOVID-19のワクチン
Something Brand-new が受け入れられないという話は、実は技術の世界も似たようなところがある。例えば、COVID-19のワクチン。ファイザーやモデルナが開発したワクチンは、今までのワクチン開発技術の延長上に載ってないものだ。だから一部ではあるが「今度のワクチンは怪しげだ」と言い立てる人もあらわれた。
これまでのワクチンは、西欧ではジェンナーの牛痘の接種に始まった。実は牛痘の前からも日本では、秋月藩(現在の福岡県朝倉市あたり)という小さな藩の医者がワクチン接種とよく似たようなことを実践していた。天然痘に罹った人の膿を乾かしてそれを鼻から吸い込ませ、軽い天然痘に罹らせていたのだ。そうすると二度と重い症状が出ないということをこの医者は中国の医学書から学んでいた。このような例は中国にもインドにもある。だから予防接種の技術は厳密にはジェンナーが世界で最初というわけではない。しかしジェンナーは、牛痘という牛の罹る天然痘によく似た病原体を用いた点が新しかった。人が罹るものに近い牛痘の病原体を弱毒化した病毒を接種したのだ。それは結果的には後に生ワクチンと呼ばれるものに近かった。その後、アメリカやソ連が小児麻痺やポリオの生ワクチンを作ることにも成功し、ポリオほとんどなくなった。そして天然痘はWHOが1980年に、その根絶を宣言するに至った。だからワクチンの歴史自体は200年以上もある。コッホの影響を受けた北里柴三郎が患者の血清を使う方法を考案してからでも約150年が経つ。
ところが今度のワクチンはウイルスを入れるのではなくそのごく一部を利用する。遺伝子技術を用いてRNAの一部を改変して使っている。つまりこ れまでのワクチン開発の直線上には乗っかっておらず、厳密にいえばワクチンの定義からは少しずれている。だからなのか「あのワクチンを打つとその人の遺伝子が変わってしまうから」などと流言をしている人もいるわけだが、そう簡単に人間の遺伝子は変わらない。もしそんなに早く変わることがありうるのならば、とっくの昔にホモサピエンスは変化していなくなってしまっているだろう。やや話が逸れたが、COVID -19のために開発された薬剤はその働きとしてはワクチンだが、準備の仕方から作り方に至るまでは、今までの一直線上には乗っていないわけだ。でもそんなことを面倒なことを言わなければ外から見れば、そのワクチン技術はイノベーションで進歩したといえよう。実際に本当に短い時間に大量に生産ができて、しかも効果が少なくとも重症化率を下げる力があることが立証されているのは驚くべきことだ。意外と今回の例を「驚くべきこと」と評価する人は少ないが、私はそうだと思う。ワクチンにイノベーションが働いていると言えるはずだ。
個人主義への移行は進歩か?
世の中の進歩自体をもう少し広い見地で述べてみよう。社会が今のように「技術も知識も進歩するものだ」ということを本気で信じ始めたのはやはり19世紀以降のはずだ。加藤尚武さんの『進歩の思想・成熟の思想』という本のなかでは、社会が進歩することとはまず市民が存在感を持つことに始まったと述べられている。そのような状況はヨーロッパの18世紀ぐらいに起こり始めた。そこで起きた最大の市民革命はフランス革命なわけだが、ここでは貴族社会をぶち壊して、それまで存在した王室 、貴族、平民、農民といった構造を均すことがよしとされた。ところが農民は、別段貴族になろうなんて夢にも思わなかった。貴族の中には王様になりたがった人物はいたかもしれないが、職人や商人も別段貴族なることを望んだわけではない。その階級社会はそれはそれで安定していたからだ。おそらく階級社会とは分断社会ではない。むしろ人々がひとかたまりになって安定していた。これはアレクシ・ド・トクヴィルが1800年代の初頭に出版した『アメリカのデモクラシー』にも書かれている。トクヴィルにいわせてみれば、「貴族制の社会時代に人々は絆で繋がれていた」のだそうだ。
ところが階級社会が壊れて平等な一般市民が現れたときに、一人ひとりは、個人主義になった。皆さんは「日本は個人主義がいきわたっていないから悪い社会なんだ」と評されているのを聞いたことがないだろうか。覚えがあると思う。とくに我々世代は戦後そのようなことを散々言われてきた。私は終戦を小学校4年生のときに迎えており、その後の小中学校の教育では「お前たちは個人主義というものを確立しとらんから封建的なんだ。全体主義はいかん」と繰り返されてきた。

しかし個人主義すなわち英語ではindividualismは、OED(Oxford English Dictionary)で引いてみると、19世紀の初めに負の価値を載せて使われ始めたことが判る。そして19世紀の半ば過ぎから、これを良い意味でも使われ始めたことを教えてくれる。やや話がそれるがOEDという辞書は誠にありがたい辞書で、言葉の使われ始めの文章を能う限り遡って紹介してくれる。それを見てみると、19世紀の60年代ぐらいになるとindividualismが我々が説教されたように良い意味で使われ始める。つまり一人ひとりが個人としての自立した考え方をもって、他の人からの思惑に右往左往されないといった意味合いを持つようになる。しかしindividualismの出発点は、一人ひとりがみんなバラバラであることを示す言葉だった。
トクヴィルは、まさに個人主義の市民社会はみんながバラバラで絆がない社会。血縁と地域社会との繋がりがない社会と批判している。実際、個人主義が主流の都心では、マンションの隣の部屋の住民がどんな人物なのかもわからないようになっている。しかし、繋がりが大事にされる地域では、病気になったら助け合ったり、不足した食材があったらやりとりをしたりと硬く結ばれた絆がある。個人主義した社会では失われた絆が今も残っているのだ。
資本主義の競争によって加速した進歩
個人主義が進み 市民社会の一人ひとりが同じ出発点に立つようになると、そこから近代的な資本主義の競争という概念が出てくるようになる。その競争によって進歩は加速した。それが19世紀の後半から、20世紀のことである。当時は勝ったものはそれなりに良い価値を実現しているとある意味で信じ込めた時代。しかしその先にあったものを我々はもう嫌というほど知っている。
バブルの時代などは日にち毎日株価が上がり、自分の懐に入ってくるお金がどんどん増えた。所得倍増という夢みたいな話もあった。お金だけでなく、20世紀半ば過ぎぐらいまでは社会全体のどこのセクションを取り上げてみても何もかもがよくなっているように見える事象が世界的に起きていた。
カウンターカルチャーは勃興したが、進歩への信仰は根強い
ある意味でそれが崩れていったのがポストモダンだ。60年代の終わりから70年代初めにかけて、日本でいえば全共闘運動を代表に、つまり近代的な進歩の価値感に対して正面からノーをぶつけていこうとする人たちが現れた。アメリカでいえば西海岸のカウンターカルチャーとして出現したヒッピーたちがその例だ。ある意味で進歩の高みに達した社会において、地位が上がるとか、お金が増えるとか、今までその助からなかった病気が助かるようになるなどといった物事からは進歩が感じにくくなった。
これは私の非常に衝撃的な体験なのだが、五十年近く前に国連大学で「ジャパニーズエクスペリエンス」というタイトルで国際会議が行われた。つまり日本の経験を語る会議だ。参加した日本のスピーカーたちはみな良心的で、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害病の経験のほか、もっと身近な例の無茶苦茶に汚れた隅田川についてのレポートなどを話した。多くがリベラルで進歩を謳歌するのにやや批判的な人だったからだ。しかし話を聞きに来た新興国の人々は「我々はそんな御託を聞きに来たんじゃない」と怒ってしまった。「お前さんたちが、ミラクルと言われるような進歩やり遂げたその秘密を聞きに来たんだ。そんな反進歩的なくだらん話はやめてくれ」と。その構図はCOP26の様子などを見てみるとまだある程度は残っている。先進国がたどり着いたその進歩の頂点に新興国はまだ向かっている途中で、そこまで達しないと問題の解決に着手はできないという状況がある。
一世紀近く続いた進歩に対する信仰は根強く残っている。それがいろいろな場面で現れているため、科学も医学も経済そして我々の生活環境や態度も進歩している。「新資本主義」を掲げる岸田首相にしても、やはり政権党の人たちの頭の中には「停滞は負けだ。安定状態は敗北だ」という認識はあると思う。そしてこれはおそらく立憲民主党にだってあるのではないか。日本共産党はまた全然別の意味での社会の進歩というもの考えているだろう。日本社会はどこかでそういう考えを持っている。
一部には、イギリスのようにある種の落日の栄光のようなものを誇りにしようとしている人たちもいる。つまり一旦進歩の極地に達した後、そこから緩やかに下がっていくことをよく考えてみようとする人たちだ。私も実は日本はそれでいいのではないかと思っている節があるが、進歩の極なるものに達したその先進圏でもそのような意見を持つのは難しいようだ。
本文中に登場した書籍一覧
『ヘラクレイトスの火―自然科学者の回想的文明批判』 著 E.シャルガフ 訳 村上陽一郎(岩波書店 1995年)
『科学革命の構造』 著 トーマス・クーン 訳 中山茂(みすず書房 1971年)
『アメリカのデモクラシー』 著 トクヴィル