村上陽一郎

村上陽一郎

1970年代の初め、秋葉原にて。テープレコーダー専門店の軒先に人々が集まる。

進んで止まる事を知らない科学は、
かつて我々に止まることを許してくれた事がない

昨今ではメディアも人々も、「時代に取り残されないよう思考や知識をアップデートせよ」としきりに煽る。しかし進歩とはそのような一直線上にあるものと考えていいのだろうか。進化の系統樹などを見ているとなかなかそれは考えにくい。そもそも人類の進歩とは何か。社会は今も進歩し続けているのだろうか。進歩とは科学技術の発展に伴うものであることは間違いない。そこで科学哲学者の村上陽一郎氏に進歩とは何か、それはどのようにあるものなのかを聞いた。

Updated by Yoichiro Murakami on November, 29, 2021, 9:00 am JST

個人主義への移行は進歩か?

世の中の進歩自体をもう少し広い見地で述べてみよう。社会が今のように「技術も知識も進歩するものだ」ということを本気で信じ始めたのはやはり19世紀以降のはずだ。加藤尚武さんの『進歩の思想・成熟の思想』という本のなかでは、社会が進歩することとはまず市民が存在感を持つことに始まったと述べられている。そのような状況はヨーロッパの18世紀ぐらいに起こり始めた。そこで起きた最大の市民革命はフランス革命なわけだが、ここでは貴族社会をぶち壊して、それまで存在した王室、貴族、平民、農民といった構造を均すことがよしとされた。ところが農民は、別段貴族になろうなんて夢にも思わなかった。貴族の中には王様になりたがった人物はいたかもしれないが、職人や商人も別段貴族なることを望んだわけではない。その階級社会はそれはそれで安定していたからだ。おそらく階級社会とは分断社会ではない。むしろ人々がひとかたまりになって安定していた。これはアレクシ・ド・トクヴィルが1800年代の初頭に出版した『アメリカのデモクラシー』にも書かれている。トクヴィルにいわせてみれば、「貴族制の社会時代に人々は絆で繋がれていた」のだそうだ。

ところが階級社会が壊れて平等な一般市民が現れたときに、一人ひとりは、個人主義になった。皆さんは「日本は個人主義がいきわたっていないから悪い社会なんだ」と評されているのを聞いたことがないだろうか。覚えがあると思う。とくに我々世代は戦後そのようなことを散々言われてきた。私は終戦を小学校4年生のときに迎えており、その後の小中学校の教育では「お前たちは個人主義というものを確立しとらんから封建的なんだ。全体主義はいかん」と繰り返されてきた。

ニューヨーク、セントラルパークの夏
ニューヨーク、セントラルパークの夏。1990年代に撮影。たくさんの人が日光浴に興じている。

しかし個人主義すなわち英語ではindividualismは、OED(Oxford English Dictionary)で引いてみると、19世紀の初めに負の価値を載せて使われ始めたことが判る。そして19世紀の半ば過ぎから、これを良い意味でも使われ始めたことを教えてくれる。やや話がそれるがOEDという辞書は誠にありがたい辞書で、言葉の使われ始めの文章を能う限り遡って紹介してくれる。それを見てみると、19世紀の60年代ぐらいになるとindividualismが我々が説教されたように良い意味で使われ始める。つまり一人ひとりが個人としての自立した考え方をもって、他の人からの思惑に右往左往されないといった意味合いを持つようになる。しかしindividualismの出発点は、一人ひとりがみんなバラバラであることを示す言葉だった。

トクヴィルは、まさに個人主義の市民社会はみんながバラバラで絆がない社会。血縁と地域社会との繋がりがない社会と批判している。実際、個人主義が主流の都心では、マンションの隣の部屋の住民がどんな人物なのかもわからないようになっている。しかし、繋がりが大事にされる地域では、病気になったら助け合ったり、不足した食材があったらやりとりをしたりと硬く結ばれた絆がある。個人主義した社会では失われた絆が今も残っているのだ。