村上陽一郎

村上陽一郎

1970年代の初め、秋葉原にて。テープレコーダー専門店の軒先に人々が集まる。

進んで止まる事を知らない科学は、
かつて我々に止まることを許してくれた事がない

昨今ではメディアも人々も、「時代に取り残されないよう思考や知識をアップデートせよ」としきりに煽る。しかし進歩とはそのような一直線上にあるものと考えていいのだろうか。進化の系統樹などを見ているとなかなかそれは考えにくい。そもそも人類の進歩とは何か。社会は今も進歩し続けているのだろうか。進歩とは科学技術の発展に伴うものであることは間違いない。そこで科学哲学者の村上陽一郎氏に進歩とは何か、それはどのようにあるものなのかを聞いた。

Updated by Yoichiro Murakami on November, 29, 2021, 9:00 am JST

既存の知識体からは理解できないSomething Brand-new

一方で、ときにはSomething Brand-newという非常に新しいことを述べるものが出現するが、それはほとんどの場合、文句なくリジェクトされる。実際のところSomething Brand-newには「およそ理解の外」という馬鹿げたものもあるし、本当にその世界をひっくり返すほどの画期的な論文であることもある。後者であることはそれほど多くはないが、ときおり出てくる。しかしこれは評価した人物のいる専門の知識体には繋がってない。だから非常に多くの場合にレフェリーは、リジェクトすることになる。アインシュタインのノーベル物理学賞授賞理由に、相対性理論が言及されていないのは、注目すべき現象だ。

発射前日のアポロ11号
発射前日のアポロ11号。写真家の佐藤秀明氏は、はじめてカラーの伝送写真を日本に送った。打ち上がる瞬間はどかんと地響きがありフォトグラファーはみんな三脚を抱えた。ロケットの後部が切り離されるところまで肉眼で見えたという。

もしもそのSomething Brand-newの論文を書いた人に影響力があれば、その人の周りにそのBrand-newにまつわることをする人が現れ、彼らは自分たちで新しいジャーナルを作り始める。そうするとそこでまた知識体が膨らんで……と同じことが始まる。そういう意味でいえば、科学の進歩は一直線とは必ずしも言えないところがでてくる。前の知識体と新しい知識体がつながっていないのだから。そこの繋がってないと言う点に着目したのが当時大きな影響力を持っていたトーマス・クーンだ。彼が著書『科学革命の構造』で使った「パラダイム」という言葉は、今では政治家もよく使うようになったが、クーンは、パラダイム変換という概念を通じて、科学は必ずしも一直線の進歩をしているわけではない、という説を建てた。

パラダイムとは、技術の世界で言えば「イノベーション」のようなものだ。今までの科学との延長上にあるのではなく、何か根底から少し違ったものの考え方と方法論を使って新しいものを生み出している。今はイノベーションにも複数の定義が出てきているのかもしれないが、元々イノベーションとはそのような意味合いを持っていた。

いずれにしても今の研究の精度から言えば、とにかくその専門の中では知識は確かに増えている。今までわからなかったことがわかるようになってきているということはいえるだろう。

歴史の一直線上にはないCOVID-19のワクチン

Something Brand-newが受け入れられないという話は、実は技術の世界も似たようなところがある。例えば、COVID-19のワクチン。ファイザーやモデルナが開発したワクチンは、今までのワクチン開発技術の延長上に載ってないものだ。だから一部ではあるが「今度のワクチンは怪しげだ」と言い立てる人もあらわれた。

これまでのワクチンは、西欧ではジェンナーの牛痘の接種に始まった。実は牛痘の前からも日本では、秋月藩(現在の福岡県朝倉市あたり)という小さな藩の医者がワクチン接種とよく似たようなことを実践していた。天然痘に罹った人の膿を乾かしてそれを鼻から吸い込ませ、軽い天然痘に罹らせていたのだ。そうすると二度と重い症状が出ないということをこの医者は中国の医学書から学んでいた。このような例は中国にもインドにもある。だから予防接種の技術は厳密にはジェンナーが世界で最初というわけではない。しかしジェンナーは、牛痘という牛の罹る天然痘によく似た病原体を用いた点が新しかった。人が罹るものに近い牛痘の病原体を弱毒化した病毒を接種したのだ。それは結果的には後に生ワクチンと呼ばれるものに近かった。その後、アメリカやソ連が小児麻痺やポリオの生ワクチンを作ることにも成功し、ポリオほとんどなくなった。そして天然痘はWHOが1980年に、その根絶を宣言するに至った。だからワクチンの歴史自体は200年以上もある。コッホの影響を受けた北里柴三郎が患者の血清を使う方法を考案してからでも約150年が経つ。

ところが今度のワクチンはウイルスを入れるのではなくそのごく一部を利用する。遺伝子技術を用いてRNAの一部を改変して使っている。つまりこれまでのワクチン開発の直線上には乗っかっておらず、厳密にいえばワクチンの定義からは少しずれている。だからなのか「あのワクチンを打つとその人の遺伝子が変わってしまうから」などと流言をしている人もいるわけだが、そう簡単に人間の遺伝子は変わらない。もしそんなに早く変わることがありうるのならば、とっくの昔にホモサピエンスは変化していなくなってしまっているだろう。やや話が逸れたが、COVID -19のために開発された薬剤はその働きとしてはワクチンだが、準備の仕方から作り方に至るまでは、今までの一直線上には乗っていないわけだ。でもそんなことを面倒なことを言わなければ外から見れば、そのワクチン技術はイノベーションで進歩したといえよう。実際に本当に短い時間に大量に生産ができて、しかも効果が少なくとも重症化率を下げる力があることが立証されているのは驚くべきことだ。意外と今回の例を「驚くべきこと」と評価する人は少ないが、私はそうだと思う。ワクチンにイノベーションが働いていると言えるはずだ。