「権力」化した言葉を若者は見捨てた
問題は「権力」となった言葉が、そのことに気づかないことだ。この時代すでに、若い世代が本を読まないと嘆かれていた。「活字離れ」という、なにも説明していないに等しい言葉が無批判に用いられ、「若者が本を読まない」原因とされた。完全にトートロジーである。ではなぜ若者は「活字」から離れたのか。橋本はむしろ「活字」の側にその責任を帰する。「権力」と化した言葉を扱う者たちが、新しい時代に生まれつつあった新しい表現のもつ意味を受け止めそこねたこと。そこに、人と活字=言葉との乖離の原因があったのではないか。だからこそ、本来ならば言葉を必要とする若い人々が、言葉から離れて行ったのではないか、と。
1979年に小説「桃尻娘」でデビュー後、『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』や『熱血シュークリーム』といったマンガ評論集を相次いで刊行した橋本は、当時の言葉でいう「サブカルチャー」の理解者だとみなされ た。橋本は1968年の東大駒場祭で用いられた「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへいく」のポスターで早くから注目されていたし、作家デビュー以前はイラストレーターとして活躍していたように、ビジュアル表現の理解と表現に長けた人である。
しかしビジュアルな表現がもつ意味は、言葉によって表現されることではじめて、個の体験としてではなく、他者と共有できるものになる。「活字離れ」とは、若い世代が活字の本ではなくマンガを読むようになった時代以後の趨勢を指す言葉だ。しかし橋本はそのような行為さえ、活字と無縁だとは考えなかった。だからこそ橋本は『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』で、それまで本格的に論じられたことのなかった少女マンガという表現形態のもつ新しい「意味」を言語化したのだし、榊原玲奈という女子高生のモノローグを「桃尻娘」という小説にしたのである。
しかし当時のすでに「権力」化した言葉は、それらのもつ「意味」を拾い上げようとしなかった。拾い上げられることのない新しい「意味」を、感覚的にだけ受け止めた若い世代も、それを言葉によってあらためて表現するすべをもたなかった。若者は「権力」化した言葉を見捨て、それだけでなく、やがてすべての言葉が見捨てられた。その結果が1993年現在の無残な出版の――そしてこの社会の有り様だ、と橋本は指摘したのである。