暮沢剛巳

暮沢剛巳

水車で有名なシリア・ハマ。のんびりとした時間を大切にする人が多く、公園ではよくピクニックをしている風景が見られる。ハマは2011年からの内戦で激戦地となった。手を挙げる男が今どうしているのかはわからない。

(写真:佐藤秀明

日々の生活こそ凡てのものの中心である

大量のデータを資産として生かすためには、それをある視点や仮説のもとに取りまとめて意味を持たせることが重要になる。ばらばらのコンセプトのもとに作られたワークスを一つの物語のなかにまとめあげていく技術は、キュレーションと呼ばれる。学芸員の仕事として認識されていたキュレーションは現代では幅広いビジネスに用いられるようになった。ここでは、美術・デザイン評論家の暮沢剛巳氏による芸術祭の考察から、キュレーションが担う役割について再考してみたい。

Updated by Takemi Kuresawa on January, 24, 2022, 0:00 pm JST

既存のものを大胆に取り入れた北アルプス、地域の記憶を引き出す房総

次に訪れたのが北アルプス国際芸術祭2021である。会場の長野県大町市は北アルプスの麓に位置する小都市で、その清澄な気候や豊かな自然を象徴するかのように、「水―源流」「木―樹木」「土―地殻」「空―蒼穹」の4つのテーマが設定されていた。
同芸術祭は市街地やダムなど5つのエリアによって構成されていた。市街地エリアは比較的コンパクトにまとまっていたためすべての作品を見ることができたが、大町に暮らす人々の記憶を封入した小さな箱を壁一面に展示していた渡邊のり子の「今日までの大町の話」がとりわけ興味深かった。
鹿島川の近くでは、かつて酒の博物館として使われていた施設を影絵や竹を活用したサウンドオブジェのインスタレーションとして転用した松本秋則の「アキノリウム in omachi」が面白かった(博物館の所蔵品である酒瓶や酒樽、醸造施設はそのまま残されており、その中には旭富士(獺祭の前身)の酒瓶も紛れていた)。また鷹狩山では、目の「信濃大町実景舎」と菊地良太の「尊景のための展望室」が、いずれも山頂からの大町の眺望を大胆に取り入れていて圧巻だった。

最後に取り上げたいのが房総里山芸術祭いちはらアートミックス2020+である。タイトルの通り、同芸術祭は千葉県市原市を舞台としているが、会場間を移動するバスの車窓から見える景観は素晴らしく、東京にほど近い房総半島の内陸部にこれほど豊かな里山が残っていたこと自体がまず驚きであった。
起点の五井駅では、まずアレクサンドル・ポノマリョフの「Question of Evolution――進化の問題」が目を引いた。同作は3台の蒸気機関車をアウストラロピテクスからクロマニョン人に至る人類の進化と対比して技術の進化を視覚化しようとした展示だが、ここに小湊鉄道というローカル線の歴史が重層化されることによって、地域の記憶を引き出そうとする意図が感じられた。
牛久エリアでは、多くの名画の模写が空き家の室内に所狭しとばかりに展示された豊福亮の「牛久名画座」が目を引いた。豊福は「大地の芸術祭」で金をふんだんに用いたインスタレーションによって注目された作家で、今回の作品にもその絢爛豪華たる雰囲気の片鱗はうかがえるが、アートディレクターを務めた今回は、生業である美術予備校の校長としての教育者的な側面が前面に出ていたようだ。
平三エリアでは、秋廣誠の「時間鉄道」が強く印象に残った。車輪が非常にゆっくりと滑落する様子はカタツムリを彷彿とさせるが、フォン・ユクスキュルの『動物から見た世界』を引き合いに出すまでもなく、実は環世界の中ではこの車輪も猛スピードで滑落しているのかもしれない。
他にも、レオニート・チシコフの「7つの月を探す旅」や藤本壮介の「里山トイレ」、西野達の「上総久保駅ホテル」など、駅舎を活用した作品が目立った。この地域における小湊鉄道の存在の大きさが実感される。
この芸術祭では企画者主催のバスツアーに参加して各エリアを巡ったので移動面の不自由は特に感じなかったが、東京への帰路の混雑には少しばかり閉口した。実は市原市は日本屈指のゴルフ場密集地帯であり、この混雑も多くはゴルフ客に起因するという。こうした意外な地域の実情も、芸術祭に足を運ばなければ知らぬままだっただろう。

ここで取り上げた3つの芸術祭は、いずれも2020年中の開催が予定されていたのだが、コロナ禍による1年間の延期を余儀なくされた。一時期は中止も検討されたはずだが、検温や人数制限をはじめとする感染対策の末どうにか開催にこぎ着けたという。関係者の労を多としたい。