暮沢剛巳

暮沢剛巳

岡本太郎によってデザインされた大阪万博のシンボル、太陽の塔。今も万博記念公園に立ち、存在感を放つ。

(写真:Ilya D. Gridnev / shutterstock

反時代的なものこそが、
世代を超えて生き延びる

岡本太郎の思考からデザインの可能性を読み解く論考第3弾。今回はいよいよ「太陽の塔」に織り込まれた思想を分析する。

Updated by Takemi Kuresawa on March, 9, 2022, 8:50 am JST

塔の内部と外部に示されるもの

岡本がプロデューサーに就任した時点で、「お祭り広場」の構想は既に大詰めを迎えていた。当然その時点で可能なことは限られていたが、岡本は当初提案した屋根を突き破る塔の実現に強くこだわった。いくつかの記録で確認すると、6月の時点ではまだ角のような形状だが、7月になると顔と2本の腕が出現し、大屋根の穴の位置や会場の配置も意識したレイアウトが為されている。正面、上部、背後の3か所に顔のある最終案が決定したのは9月頃のことなので、7月〜9月にかけてカナダとメキシコを周遊した長期の海外旅行の最中に構想を固めたことがわかる。とりわけ、アステカの仮面を彷彿とさせる金色の顔には、メキシコ滞在の影響がはっきりと現れている。

「お祭り広場」は地下・地上・(大屋根の上の)空中の三層に分けられ、それぞれ人類の過去・現在・未来に対応し、根源・調和・進歩をテーマとした展示が予定されていた。これはもちろん大阪万博の開催テーマであった「人類の進歩と調和」に即したものであったが、このうち、地下の展示空間は既に埋められてしまったため、ここでは現在でも残されている「太陽の塔」の内部と外部に絞って検討してみよう。

まず内部である。「太陽の塔」の高さは約70メートルに達し、その内部は思いのほか広大であったが、その伽藍とした空間を占有するかのように立っていたのが、高さ41メートルの「生命の樹」である。「生命の樹」の形状はあたかも火焔式土器のようであり、基底部から先端部にかけて、総計292体もの生物模型が進化の段階に応じて取り付けられていて、さながら系統樹のようであった。「太陽の塔」はテーマ館の空中と地上を結ぶ役割を果たしていたので、観客はエレベーターで移動しながら「生命の樹」を見ることになるのだが、期間中その内部はサイケデリックな照明で彩られ、また黛敏郎作曲の「生命の賛歌」が流れていたという。

イースター島のモアイ像
イースター島にはあちこちにモアイ像が建っている。モアイ像がつくられた理由は諸説があるが、写真家はかつてイースター島には激しい勢力争いがあり、モアイ像は力を誇示するためにつくられたという話を聞いた。さらにまた、その争いによって破壊もされたのだという。現在は日本企業が協力し、モアイ像を復元している。

大阪万博終了後、「太陽の塔」の塔内は長らく非公開とされていたが、何度かの修理を経て2018年3月19日、48年ぶりに公開された。私が公開された塔内を見る機会を得たのはそれから約3カ月後のことだった。「生命の樹」は大きく補修されていたが、一部の展示物は当時のまま残されており、約半世紀という年月の風雪を感じさせた。

岡本はいかにして「生命の樹」を構想したのか。近年、そのルーツではないかと指摘されているのがルーマニア出身の宗教思想家、ミルチャ・エリアーデである(詳細は佐々木秀憲岡本太郎におけるミルチャ・エリアーデの影響」を参照)。川崎市の岡本太郎美術館には、生前の岡本が所蔵していたフランス語の書籍約400冊が保管されているが、その中に含まれているエリアーデの著書6冊にはいずれも詳細に読み込んだ形跡があり、なかでも、日本語にも訳されている主著『イメージとシンボル』の、「世界の樹として扱われるその柱は、今度は三つの宇宙界を結び直す軸となる。天上界と地上界の行き交いは、この支え柱を通じて可能となるのだ」等々と記載されている個所には、マーキングがなされているという。エリアーデのこの記述は、北アジアのシャーマニズムを象徴する「シャーマンの樹」を指しているが、これは空中・地上・地下を貫く「生命の樹」と多くのイメージを共有していると言ってもいいだろう。また「シャーマンの樹」には7ないしは9の刻み目があると書かれているが、それは「太陽の塔」の側面に描かれている赤色のジグザグによって再現されている。

私の知る限り、岡本がエリアーデからの影響を公言したことはない。岡本が滞仏時代にマルセル・モースの人類学の講義を聴講していたエピソードは有名だが、モースの講義にはエリアーデの著作を下敷きにした部分があるため、自説があたかも孫引きのように誤解されることを恐れたのではないかとも考えられる。

一方、「太陽の塔」の外側に注目してみると、やはり3つの顔が気にかかる、この3つの顔は日本神話を意識したもので、上の金色の顔が「天照大御神」、中心の顔が「太陽の顔」、そして背後の顔が「黒い太陽」である。(なお会期中は「地底の太陽」というもう1つの巨大な顔が地下に設置されていたが、現在はその行方が分からなくなっているという。もちろん私も、写真でしか見たことはない)。この3つの顔のなかでは、私はやはり「黒い太陽」が気にかかる。「太陽の塔」の背後に回り込んだ時、不意に視界に入ってくる、笑っているようでも怒っているようでもあるその不気味な表情は忘れがたい。

それにしても、明るく生命力溢れる太陽のイメージと黒の重苦しく陰鬱なイメージは何とも対照的だ。この二つの言葉を連結した「黒い太陽」という言葉はどこか呪術的でさえある。この言葉によって岡本は一体何を言い表そうとしたのだろうか。本人は明らかにしていないが、それは原子力に他ならないというのが私見である。岡本は万博より以前から原子力に強い関心を寄せ、多くの文章を書き残してきた。この「黒い太陽」にしても、大阪万博の会場電力が万博開幕と同じ日に営業運転を開始した美浜原発によって賄われていたこと、テーマ館で予定されていた原爆の展示が「表現が生々しすぎる」という理由で急遽変更されたこと、「太陽の塔」とほぼ同時進行で制作されていた「明日の神話」が第五福竜丸事件をテーマとしていたことなど、「黒い太陽」と原子力の関係を明らかにする状況証拠には事欠かない。大阪万博の開会式の写真を見ると、大屋根の下で「黒い太陽」を背に式典が挙行されている様子がうかがえる。開会式に列席した観客は、果たして何を感じ取ったのだろうか。