仲俣暁生

仲俣暁生

1972年ごろ、ギリシャにて撮影。生活のあらゆる面でロバの力は欠かせない。

(写真:佐藤秀明

過去という「意味」を踏まえなければ、未来は訪れない

知性の人・橋本治の思索はあらゆるジャンルにおいて未来のヒントを与えてくれる。長年にわたり橋本治の書物を読み続けてきた文筆家の仲俣暁生氏が、作品や論考からその史跡をたどり新たな知へと結びつけていく企画、第3弾。

Updated by Akio Nakamata on March, 15, 2022, 8:50 am JST

東京にも「フランス革命」を!

江戸の大衆文化を論じたこの本のなかで、「フランス革命」という言葉が出てくるのは、じつは次の一箇所だけである。

「制度の中にいるものが、その制度を成り立たせている権力に対し文句を言って、そしてその結果権力を倒してしまったら、一体どうなるのか? 文句を言った自分達の存在が危うくなるという、ただそれだけの話である。危うくなった自分を立て直す為には、もう一遍その自分をしっかりと立て直してくれる ”制度” というものが必要で、その為には再び ”権力者” というものが必要でという、悪循環が続くばかりだ。そのくどいばかりの連続は、フランス革命以後の ”混乱” というものを見れば一目瞭然である。
だからというか、つまりというか――要するに、権力によって成立させられた制度の中にいる人間達は、結局のところその制度が壊れないような、安全な文句ばっかり言っている。自己嫌悪で口がきけなくなるまで――。ここら辺は、親の悪口ばっかり言っている子供、夫の悪口ばっかり言っている専業主婦と同じである」(「その後の江戸――または、石川淳のいる制度」)

ロシアとウクライナの間で戦争が起きているいま、このくだりを引用することは微妙な意味をもつかもしれない。自国への軍事侵攻に抵抗するウクライナの人々は、この種の批判にはあたらないだろう。2014年にこの国で起きたことが真の「市民革命」ならば、その成果を守るために「大衆=市民」がみずから戦うのは当然だからだ。

むしろ不思議なのは、20世紀の初めにすでに「革命」を成し遂げたはずのロシアや中国が、100年後の現在も強権国家のままであることだ。これらの国の「大衆」にとって、過去の「革命」とは何だったのか。過去を「切り捨てる」だけの「革命」は結局のところ過去を延命させ、あるいは復活させてしまうということの実例ではないか。

横断歩道
横断歩道のボーダーに導かれ、人が道を渡っていく。横浜にて2019年ごろ撮影。

ながらく「改革」の必要が叫ばれながらも、じりじりと衰退を続けるばかりの日本の大衆、つまり私たちにも橋本治の30年前のこの言葉は鋭く突き刺さる。いずれにしても私たちはあまりにも、自分達の過去を知らない。過去を「纏う」ことも「踏まえる」ことも忘れたままの私たちは、そのことによって自分たちにふさわしい哲学=様式をも失った。橋本治が平成の初めに出した『江戸にフランス革命を!』は、そんなことをいまなお私たちに突きつける本なのである。

今回は目前で急速に展開する「現在」の状況に目を奪われ、「過去」についての同書の論点を十分に展開できなかった。次回はさらにディテールに踏み込むことにしよう。

参考文献
江戸にフランス革命を!』橋本治(青土社 2019年)
’89』橋本治(河出書房新社 1994年)
表徴の帝国』ロラン・バルト 著 、宗左近 訳(筑摩書房 1996年)
増補 浮上せよと活字は言う』橋本治(平凡社ライブラリー 2002年) 

『江戸にフランス革命を!』書影
『江戸にフランス革命を!』橋本治(青土社 1990年)