仲俣暁生

仲俣暁生

1972年ごろ、ギリシャにて撮影。生活のあらゆる面でロバの力は欠かせない。

(写真:佐藤秀明

過去という「意味」を踏まえなければ、未来は訪れない

知性の人・橋本治の思索はあらゆるジャンルにおいて未来のヒントを与えてくれる。長年にわたり橋本治の書物を読み続けてきた文筆家の仲俣暁生氏が、作品や論考からその史跡をたどり新たな知へと結びつけていく企画、第3弾。

Updated by Akio Nakamata on March, 15, 2022, 8:50 am JST

江戸の「様式=哲学」

1980年代の東京は再開発ブームで、土地バブルの時代でもあった。その熱狂のなかで、今日でもしばしば参照される都市論、江戸=東京論の本が多く書かれた。当時はポストモダニズム思想が流行した時代でもあり、都市論や東京論の多くもポストモダンな視点で語られ、あるいは参照された(「東京は中心が空虚な都市である」としたロラン・バルトの『表徴の帝国』などが代表的)。そうしたなかで橋本治は、ポストモダン以前の「近代」が受け継ぐことのなかった近世、つまり江戸の「様式」を本書であらゆる角度から論じた。

ポストモダンとは、字義通りにとれば「近代の後」である。そして日本の近代とは、西洋に追いつき追い越すことを唯一の目標とした時代だった。1980年代に日本はそうした意味での「近代」を達成し、そして目標を見失った。近代は乗り越えられ、前近代とともに否定された。でも、そのあとにいったい何をしたらよいのか、当時の日本人は誰もわからなかった。こうした時代状況のもとで書かれたこの本の冒頭には、江戸歌舞伎の傑作『摂州合邦辻』を論じる次のような文章が置かれている。 

「勿論 ”過去” とは意味である。人は、意味のないものを求めたりしない。意味のないものに憧れたりはしないし、知りたがったりもしない。人はただ、己にとって意味のあるものを探ろうとするだけだ。
そして、過去とは ”制度” である。人を縛り付けようとする、呪縛にも等しい制度である。それならばこそ、人は過去という時間を文字通り ”過去のもの” として来たのだ。しかし、今や再び、もう一度 ”過去” である。人はもう一度、”過去” という名の制度を身に纏うのだ。そこから解き放たれる為に」(「呪縛の意匠――過去へ行く為に」)

ここで ”過去”、”制度” と呼ばれているのは、さしあたっては歌舞伎における着物という衣装/意匠のことだ。江戸時代の大衆娯楽を代表する歌舞伎という芸能のなかで、役者が身に纏う着物のもつ意味はきわめて大きい。しかし近代の「市民」は歌舞伎という娯楽を捨て、そこに込められていた意味までも捨ててしまった、と橋本は論じた。

『摂州合邦辻』の主人公、玉手御前は義理の息子・俊徳丸に毒を飲ませ、容貌を損なう不治の病にした上で邪な恋を仕掛けた。なぜ彼女はそんな回りくどいことをしたのか。江戸の町人はこの物語に込められた複雑な心理を、衣装や小道具、舞台装置も含め、大衆娯楽として楽しんだ。江戸歌舞伎がもつ「時代(過去)」と「世話(現代)」という二重構造=様式は、この時代の大衆文化がもちえた可能性と、その限界をともに示していた。

でも現代の私たちには、この物語に込められた複雑な心理を読み解くことさえ難しくなっている。橋本はそのように考え、停滞した当時の「現在」から「解き放たれる」ために、この文章を『江戸にフランス革命を!』の冒頭に置いたのだった。前回までに論じた『浮上せよと活字は言う』のなかでも、橋本治はこう書いていた。

「近代の登場とは、前近代の切り捨てである。それがなければ近代は達成されない――近代とは、そういう矛盾を含んだ時代である。前近代を切り捨てる形で近代というものは登場し、そしてその近代は、ある達成を見る。近代の先にある “現代” は、その達成を踏まえなければならない。切り捨てることによって達成されたもののその先は、切り捨てずに「踏まえる」という逆の方法を必要とする。そしてこの「踏まえる」という方法は、近代が切り捨ててしまった「前近代」の方法だった」(「出版を論ず」)

過去を「切り捨てる」だけでなく、もう一度身に纏い、踏まえた上で捨て去ること。橋本治が多くの著作のなかで繰り返し論じたのはそのことだった。