田原総一朗

田原総一朗

ジャーナリスト・田原総一朗が戦争とメディアを語る。

(写真:竹田茂

プーチンの戦争と日米同盟、石原慎太郎との大げんか

あらゆるものがDX化していく社会において、メディアの役割もまた変革が求められている。日本のメディア界で長年活躍してきた田原総一朗は今、何を思うのか。メディアの激動の時代を振り返りながら語る。

Updated by Soichiro Tahara on April, 4, 2022, 8:50 am JST

石原慎太郎は意見が異なる人間を否定しなかった

だからなのか、最近よく思うことがある。石原慎太郎のことだ。
石原慎太郎さんは僕より学年で二つ上。今年の2月1日、89歳で亡くなった。
石原さんとは、ともかく長い付き合いだった。
最初は僕が一方的に「作家・石原慎太郎」を知った。僕は早稲田で文学部に通いながら、作家を目指していた。そしてある日、『太陽の季節』を読んだ、衝撃だった。すさまじいリアリティ、これまでの価値観を真っ向から粉砕する、強烈な迫力に圧倒された。「とてもかなわない」、僕は作家の道をあきらめた。石原慎太郎に挫折させられた、と言ってもいい。その後、石原さんは政治の世界に入り、僕はジャーナリストになった。

わに塚の桜
わに塚の桜。樹齢約330年のエドヒガンザクラは人々を惹きつけてやまない。(写真:佐藤秀明)

ある時、雑誌の依頼で、石原さんと対談をすることになった。
石原さんは「いまの日本は対米従属であり、自立した国家にならなければならない。そのためには憲法を改正し軍隊を持つべきだ」と主張した。僕は石原さんの持論に「リアリティがない」と反論し、大げんかになった。大げんかはそのまま記事となり、石原さんはさぞ怒っているだろう、と思っていた。ところが後日、石原さんの秘書から電話がかかってきた。その記事を「後援会の冊子に転載してもよいか」という許可の連絡だった。なんと「石原がとても面白がっている」というのだ、あの大げんか記事を、である。
僕は驚き、同時に石原さんの懐の深さ、人間の大きさを感じた。
意見が違う人間を否定しない、そしてその意見をきちんと聞く。石原さんと僕の考え方は違うが、その点は一致していたと思う。石原さんと僕は何度も意見を闘わせ、共著も出した。

冷戦によって保たれていた日本の安全保障

僕は日米同盟を保持すべきと思っている。
外務省に岡崎久彦さんという安全保障問題の論客がいた。
小泉純一郎内閣の時、この岡崎さんが「困ったことになった、東西冷戦が終わってしまった」と。「それは平和になってよかったじゃないか」「いや、困るんだ」。なぜか。日本は西側の極東部分。東西冷戦のときには、米国は西側の極東を守る責任があった。ソ連という敵がいなくなり、米国は西側の極東を守る責任がなくなった。これまでの安保条約は日本が攻められたら米国は日本を守る。米国が攻められても日本は何もしない、だった。冷戦終結後、それではもう日米同盟は持続できない。持続のためには片務から双務に変えよ。双務とは米国がやられた時は、日本は米国のために戦え。ところが、日本国内では双務への反対が強い。小泉は断固反対。安倍内閣になって、双務に変えようとした。これが集団的自衛権。ただこれは限定的双務。それでもこれをやらないと米国はこの日米同盟は持続できない。もしも日米同盟がなくなったら、日本でも核武装の問題が出てくる。

第二次世界大戦後、米国は世界で一番強い国だった。パックスアメリカーナ、世界の平和を守るのは米国が前提だった。21世紀となってオバマ大統領が登場し、米国は世界の警察官をやめると宣言、トランプ大統領はパックスアメリカーナを放棄すると言い出した。まさに、石原慎太郎の意見が正論になってきた。

岡崎久彦の歴史観はこうだ。日本は日露戦争を始める時に、日英同盟を結んだ。第一次世界大戦が終わった後、米国が日本に対し日英同盟を破棄しろと言って、日本は同盟を破棄してしまった。彼はこれが間違いだと言った。日英同盟を結んでいれば、満州事変も起こらなかった。日英同盟を破棄したために、日本は国際社会で自立しないといけない。自立するためには、強くならないといけない。欧米の国々がアジアを全部植民地にしている、アジアを解放しなければいけない。それで満州事変をやって失敗した。僕は米国がパックスアメリカーナをやめても、日米同盟はなんとか持続したほうがいいと、歴史を振り返り、あらためて思う。