小二田誠二

小二田誠二

新潟県上越市にある中ノ俣。田植えに向けて土を慣らす代掻き(しろかき)をおこなう。昔の日本の景色がそこにあった。

(写真:佐藤秀明

郷土史とは、科学的な検証に耐えられない物も含めそこに生きる人たちのアイデンティティである

これまでのITによる発展は、中央集権的な性格を有するものが多かった。しかし、これからはより自律分散型の発展を遂げていくことが予測されている。「ローカル」が中央に都合よく利用されず、己のための価値判断をするにはどのような考え方が必要なのか。実世界で地方の教育を担い、またそれを研究している静岡大学教授の小二田誠二氏が現代の郷土教育を考える。

Updated by Seiji Konita on June, 7, 2022, 9:00 am JST

文化遺産を掘り起こしてきた地方大学

プロフィールにも書いた通り、私は静岡大学で、主に日本の江戸時代から明治初期にかけてのメディア状況と事実表現について研究してきた。授業では所謂江戸戯作を中心に、「近世文学」を材料にすることが多い。つまり所謂「日文」の中で、柔らかめの古典文学を専門にする教員なのだが、特に今世紀に入って以降、静岡に関する授業や市民向け講座が増えている。そういう意味では、私が提案した言葉ではないのだが、前稿の紹介文にある「地域文学文化の専門家」は、案外正しい。こうなったのには、私の個人的な事情もあるが、地方国立大学の置かれている状況も大きく影響している。

地方の国立大学は、その地域の教育水準を高め、人材育成を促す役割が重要だったにしても、最初から地域貢献・地域連携を目指していたわけではない。むしろ、地方で学びながら中央の官庁や大企業で通用する人材の育成を目指していたはずだ。私自身の経験でも、埼玉大学在学中、少なくとも文系では、周辺地域と連携するような授業が設置されていた記憶は無いし、静岡大学に就職した当初も、そのような科目は殆ど存在しなかった。

一方、着任早々から公民館等では駿府出身の戯作者十返舎一九をはじめ、古典文学作品を読む講座を担当することになった。実のところ、20世紀における文系学部の地域貢献の多くは、自治体史の編纂や生涯学習への講師派遣が大きな比重を占めていたと思う。それらは、必ずしも教員個人の研究テーマや大学の授業内容と直接に関わる物ではなかった。しかし、今世紀の初め頃に状況は変わった。言語文化学科で授業科目名に「静岡」が入ったのも、その頃私が担当した「静岡の文化」が最初だと思う。調べたわけではないが、だいたい同じ頃に各地方大学で似たようなことが起こり、授業は、必ずしもその地域の研究実績があるとは限らない日本史・日本文学の教員が担当したのではないかと想像する。

私が「静岡の文化」でやってきたことは、元々文化遺産の発掘と記録、発信が中心で、「利活用」という視点はなかったし、郷土愛の涵養や地域の活性化もそもそもの目的ではなかった。静岡に在る、或いは嘗てあった興味深いものを見つけて、調べ、関係する地元の人たちに解りやすく知らせ、記録することそのものが目的で、それがそのまますぐに「役に立つ」ものでもなかった。協力し合いながら楽しく取材も出来たし、参加された皆さんもとても喜んでくださった。継続的に交流するのは難しく、残念ながら多くは関係が途絶えてしまったけれど、一時的とはいえ、そういう場が生まれたこと、それ自体にも価値があったと思っている。しかし今は、そういうことは、少なくとも大学には求められていないらしい。学生はどうだろう。

地方創生は人口流出を抑えることばかり、文化は不要か

現在、政府は10兆円の基金を設け、運用益で「国際卓越研究大学」を支援するという計画を進めようとしている。それに認定される大学はわずかで、多くの地方大学は、「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」の中で、「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業(COC+)」のような地域指向の大学経営を目指すことにならざるを得ない。ここでは、産官学連携によって、地域の産業振興や課題解決に取り組むことになるのだが、その主要な「課題」は、人口流出の抑制であり、働く場所の確保である。つまり、80年代末に始まった「ふるさと創生」以来、名前を変えながら継続してきた地方創生事業の担い手としての地方大学という位置づけが、年々明確になってきたと言える。この過程で、地域の若者を地元の大学に進学させ、地元に就職させることも重要な目標として設定された。

飛び魚
長崎県の生月島はアゴ漁が有名。アゴとはトビウオのこと。出汁用のトビウオは広げて天日干しにする。1978年撮影。

ここでも、産業創成、AI、DX、先端技術、イノベーションといった「次世代」を意識した言葉が先行し、相変わらず歴史文化、文化遺産という問題は十分に組み込まれていない印象がある。しかし一方、文化政策では、文化財保護法博物館法の改定によって、文化資源の利活用に大きくシフトし、単体では活かし切れていなかった様々な文化財を、関連する複数の地域も含めて「ストーリー」で結びながら集客する日本遺産のような仕掛けも動き出している。それは、文化財所有者の保存維持負担軽減と地域活性化の両立のために有効かも知れないし、また、やや軽んじられてきた嫌いのある地域における歴史文化の再評価につながる機運として、期待できるのかも知れない。実際、富士山の世界遺産登録の時同様、「膝栗毛」関係の日本遺産登録で、仕事依頼が増えたのは、個人的にはありがたいことなのだけれど、個別の内容には吟味が必要な課題も多い。

郷土愛は健全か?

ところで、静岡大学地域創造学環には、志が高く行動力のある学生が多い。少なくとも、今まで親しく接してきた日文の学生と比較すると、「地域社会の役に立つ人になりたい」という意志がはっきりしている。郷土愛が強く、地元に就職してまち作りに貢献したいと明言する態度は、まさに「地域指向」を体現しているように見える。その割に歴史文化を学びたいという学生が少ないのは意外だったのだが、話を聞いてみると、文化資源に興味はあるが、地域活性化と結びつける発想を学ぶ機会が無かったということらしい。となれば、今後改めて、例えば日本遺産を絡めるなど、地域振興に資するようなかたちで、地域の歴史文化に関する授業を増やしていけば展望は開ける、ということになるだろうか。

郷土愛、地元愛。自分の生まれ育ったふるさとを住みやすく元気な町にしたい、という感情は勿論間違っていない。しかし、「我が町LOVE」が強すぎたり、私の地域文化の授業を単純に「静岡の魅力」を伝授するものと理解して受講しているらしい学生が少なくない現状には、漠然とした不安がある。この、よくわからない違和感について考えるためには、少し話がそれるが、自明の前提のように存在する教育現場における「郷土」という概念について、簡単に振り返っておく必要がある。どうやら、この100年間、「郷土」は絶えず問題であり続けたらしい。

成田龍一『「故郷」という物語 都市空間の歴史学』(吉川弘文館 1998年)、「郷土」研究会『郷土 表象と実践』(嵯峨野書院 2003年)等によれば、今、殆ど何の疑問もなく使われている「ふるさと」や「郷土」という言葉が、学術研究の場に現れたのは、明治中頃になってかららしい。新渡戸稲造柳田國男等の先導によって様々な研究会が組織され、やがて1930年代には教育現場にも持ち込まれた。

1930年に創刊された郷土教育連盟の雑誌『郷土』創刊号に掲載された「宣言」では、現代日本の行き詰まりという現状認識のもと、「我が国の現在と将来とを見通す可き革新的な自覚を振起する学問的並に教育的方法」として、今までおろそかにしてきた「日本の国土そのもの」を、「現実の社会生活」から学び、「郷土を中心とし単位として」様々な学問分野が協働し、そこから「地方精神」や「青年運動」にもつなげていこうと述べている。こうした主張は、日中戦争以降の皇民化教育のなかで、排他的な愛国教育と簡単に結びついてしまう。戦後、それらの反省に基づき、社会科という教科の中で組み替えられたが、身近な生活の場としての郷土を出発点として、様々な教科に発展させる郷土教育は試行錯誤を続けながら残り続けた。

「史実」は重要。しかし「正しい学問」の介入できない領域は存在する

一方、20世紀初頭には、「地方改良運動」という、現代の地方創生と似たような官制地域おこし運動が存在した。この運動を指導した前田正名は、日露戦争で疲弊した農村に対し、各地方の特色や歴史を調べ上げ、正確な統計に基づく改良計画、「郡是」「町村是」の策定を推奨した。これに連動して、大正初年には各地で村史を含む多くの自治体史が編纂される。また、同じ頃、現在の文化財保護法の前身となる史跡名勝天然紀念物保存法が審議され、それに伴って各地に埋もれていた様々な文化財の再発見事業が行われてもいる。

これらの地方における文化遺産の再発見は、日清・日露以来続く戦争による地方の衰退という現実を前に、地方が自力で復興するための精神的な支えとしての意味もあった。今、現代では殆ど知られていない地方の実例を一つだけ紹介しよう。

大正初年の国家的な史跡・文化財調査の通達によって、静岡県庵原郡小島村内、現在の静岡市清水区但沼町では、神社のある小山が『日本書紀』編纂者である舎人親王の御陵である、という伝説が俄に脚光を浴びた。通達に従って報告を提出すると、宮内省から調査が来るが、それらしい証拠は出ない。そこで、村は当時新聞紙上に連載を持っていた郷土史家、後藤粛堂に再調査を依頼する。粛堂は興味を持って調査を行うが、舎人親王と繋がる証拠を見いだすことはできず、むしろ江戸時代にここを舎人親王陵として祀って土地を追われたと伝えられる堀池秀次郎なる人物を、もう一人の蒲生君平として顕彰し、祭礼を行うことを、新聞社対策や招待すべき人のリスト、絵はがき案、予算のかけ方まで、事細かに練って提案した。これによって、1925年、舎人親王と堀池秀次郎を祀る祭礼が賑々しく開催され、当時の絵はがきも現存する。この祭礼が、今に到るまで100年近く続く「舎人親王祭典」の起源である。

この、小さな「偽史事件」は、国家的な事業を端緒とし、尊皇活動家でもあった粛堂の助力はあったにしても、その当事者たちにとっては、集客を伴う地域の活性化や、愛国心の涵養といった解りやすい目的意識よりも、損得を抜きにした生真面目で、晴れやかな郷土再発見の実践の一例として記憶されるべき出来事だったように思う。今、それを研究者の立場から、史実に反するからやめましょう、というのは全く見当違いな話だ。郷土史というのは、そういう、科学的な検証に耐えられない物も含めて、そこに生きる人たちのアイデンティティそのものの表出だと言える。今は蜜柑の選果場を使う一大芸能祭になっている祭典そのものも、それによって地域外から多くの来場者を引き入れて活性化をしようと言うものではない。こういう文化を継承することそれ自体が、地域社会を持続可能にしているのだろうと実感させられる場でもある。「史実」の検証は大事だけれど、そこに「正しい学問」の介入できない領域が存在することは認めておく必要がある。

中央寄りの情報を相対化し、生活実感に基づいて学問を再構築する

話がそれてしまった。かつて盛んに行われた郷土研究、例えば高等学校の郷土研究会は、年々数を減らし、あるいは「探求」活動の中に吸収されつつある。各地の公民館等で定番であった郷土史サークルも、高齢化による衰退は避けがたい。「歴史好き」の若者たちが、史料操作の基本を身につけないまま入手しやすい情報を信じて危うい偽史言説や陰謀史観にはまり、解りやすいが不正確な「ストーリー」の日本遺産を無批判に受容して消費する一方で、足もとの生活に根ざした地域の人々の具体的な歴史文化には目を向けないという現状は、今に始まったことではないが、やはり残念なことだと思う。

大阪城
黄金色の空に浮かび上がる大阪城。

こう書いてくると、私はやはり、今こそ「郷土」学習を! と主張したくて仕方ないように思えてくる。おそらく、出発点として、それは間違っていない。しかし、目立ちやすい人口の移動策は「パイの奪い合い」になりかねないし、お国自慢的愛郷心は比較の視点を持ち込むことで、排他的になりやすいだろう。地方大学の学生たちにも、中央で、さらに世界を視野に活躍する人になって旅立つ夢を持ち続けてほしい。

中央が「ふるさと」「地方」などと声高に言い出すときには、何かしら中央の思惑があって、必ずしも地域で暮らす人たちを幸福にする事ばかりでないのは、残念ながら歴史をたどれば明らかだ。しかし、生まれ育った土地に愛着を持ち、生活実感や具体的な体験、交流を通して広い世界を学んでいく術を身につけていく事そのものは「正しい」。郷土教育の歴史は、その両価的な存在をどう扱うのか考え続けてきた歴史でもある。純朴で本質的な「地元」に対する思いを相対化し、世界に目を向けさせるのは、教育の大事な役割だろう。

ふるさと、郷土、地方、地域、local、area、region……。地域研究・教育は、その言葉にまとわりつくイメージとも戦いながら変容してきた。今、改めて、地域指向を目指せと言われている地方大学は、何をするべきなのか、もう一度考える必要がある。それは、競い合って特定の地域を活性化させることではない。そこで生まれ育った若者たちを、土地に縛り付けるような愛情を教え込む場でもない。足もとを材料として学びつつ、広い視野を持ち、どのような場所でも通用する学生が育って欲しい。それは、特定の職業のための即戦力に特化するより、汎用性のある基礎学をしっかり学ぶことの方が重要なのとも通じる。

地方の大学で学ぶことは、生まれ故郷かどうかに関わらず、教科教育の中で標準化された中央寄りの情報を相対化し、生活実感に基づいて学問を再構築する視点を獲得できる点で案外重要なのだと思う。そういう意味で、学生たちには、「研究しよう」「問題を解決しよう」などと考える前に、そこで暮らす人たちの中で、気持ちよく共に生きると言うことを考えて欲しい、と伝えている。

参照リンク
日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅 ~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~:http://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story094/index.html 
群是・町村是:https://rcisss.ier.hit-u.ac.jp/Japanese/guide/collections/gunze.html 

参考文献
「故郷」という物語 都市空間の歴史学』成田龍一(吉川弘文館 1998年)
郷土 表象と実践』「郷土」研究会 編(嵯峨野書院 2003年)