新田浩之

新田浩之

モスクワ・シェレメチェボ空港で撮った少女(1972年撮影)

50年前の旅行エッセイから読み解く 高度経済成長後の日本人の心境の変化

技術や社会のめまぐるしい発展は感性にも影響を及ぼす。どのような人がどのようなことを感じていたのか、半世紀も前のことともなると、もう検討もつかなくなっているかもしれない。
日本は1964年に海外渡航が自由化した。当時の日本人は、初めて開かれた外の世界をどのように見つめていたのか。当時の日記から読み解いていく。

Updated by Hiroshi Nitta on July, 7, 2022, 9:00 am JST

前回紹介した祖父の旅行記だが、最後の章は旅中に思ったことを書き連ねたエッセイになっている。エッセイは13項目あり、旅後の祖父の思いが率直に書かれており実に興味深い。50年前とはいえ、現在の日本にも通ずる鋭い指摘もある。同時に当時の日本社会を窺い知れる箇所もあり、資料としても貴重だ。
私が記憶している祖父は冗談を言うことが多く、私が未成年だったせいもあると思うが、あまり社会や政治を語りたがらない人だった。それだけに、これだけ率直に所見が述べられていることに驚いた。同時に親族として祖父の新たな一面が見られたことに喜びを感じた。
ここでは13項目のうち、特に興味深いと思われる3項目を抜粋してみた。ぜひ紅茶を片手に読んでもらいたい。

世界を見始めた日本人の視点

思いつき
最低3ヶ月はその地に滞在しないと、その国の事情はわからないと言われる。一か国も会話すら満足にできずに駆け足で巡ってきて来た国々で私なりに感じた事柄がある。
出発を前にして図書館から雑多な本(旅行記、随筆、写真集、歴史書)を借り出し、また仕事上の文献などを読んで、いくばくかの予備知識は得ていたものの、やはり現地を見るに越したことはない。見ると聞くとではずいぶん違っていた。
風俗、習慣、気候、風土、物の見方など、それぞれ大きな差があるのはいかんともしがたく、我が国と比較すること自体無理もある。あるいは事象一つとらえても、そうなるだけの深く長い背景があってのことで、早計に判断すべきではないと感じた。

自由
第二次世界大戦後、我が国の得た最大のものは自由だと言われ、それなりに会得もしたが、各国間でずいぶん差がある。時には奇異と思うことすらあった。政治、経済上はもちろん、性の自由、役人の自由裁量、交通ルールの自由などなど、興味深いことに出くわした。
我が国が自由に恵まれているとはいえ、島国的な閉鎖された中の自由で、一朝一夕にはまだ埋められないものがまだまだ残されている。
フランクフルトのホテルの向かいのイスラエル航空事務所の玄関に実弾装備の自動小銃を肩にした警備兵を見、また平和そのもののチューリッヒの街でバズーカ砲、機関銃まで売っている大きな店に驚かされた。スイスで帰休中の市民が銃を持っていた。
平和と自由について講演も聞いたが、陸続きの国境を接し、数度にわたる過去の敵国進入で先祖から受け継がれた血の濃さは戦争に対する考えが全く違っていることに驚かされた。

ゆとり
終戦後、私たちがガツガツして生きていた時代から思うと、今はずいぶん心のゆとりを取り戻したものである。
モスクワの空港、ホテル、大学などで体験した。無頓着とも思われるおおらかさ、国が広ければ国民性もゆったりするものなのか。コペンハーゲンの福祉の行き過ぎを思わせる自由な解放感、伝統を思わせるロンドン子のゆとりと自尊心の強さ。かつての栄光にあぐらをかき南国の陽光に酔うローマ人の気楽さなどなど。バス、レストラン、居酒屋、商店、街頭で見た大陸人のゆとり。同じ玉遊びでも、我が国のパチンコ屋の喧騒の中でせわしくするのと、パリーにある兵院の前の木陰でのんきにペタンクをやっている連中との差はどうだろう。もっと、のんびりとは思うものの、我が周辺はそれを許容してくれない。

外遊で比較の概念を学ぶ

「思いつき」は激動の旅行を終えて、ひと息つき、あれこれ考え直しながら執筆したエッセイだ。なぜなら、各国別に書かれた旅行日記では西欧諸国と日本を比較し、容赦なく日本を批判していたからだ。批判の項目は街の景観から人となりまで、多岐に渡る。
日本はご承知の通り第二次世界大戦後に高度経済成長をとげ、1970年代には「経済大国」になった。しかし祖父の目には経済だけでなく、文化や道徳といった面で、西欧諸国と日本との如何ともしがたい「差」を感じたことだろう。もしかしたら、少し打ちのめされたのかもしれない。「見ると聞くとではずいぶん違っていた」という文章に滲み出ているような気がする。

デンマーク・コペンハーゲンにあるクリスチャンスボー城(1972年撮影)

一方、後半は「簡単に国と国との比較はできない」と説く。旅行記からは少し意外な、ややもすれば矛盾する記述だ。想像するに帰国し、改めて日本の良さを感じると同時に、冷静になった上で国と国との比較は容易ではないと気づいたのではないか。
私もついついヨーロッパから帰国すると、日本に対して毒づきたくなる。まさしく「隣の芝は青く見える」という感じだ。だが冷静に考えると日本とヨーロッパ、まったく環境が異なる地域を表面的に比較することは、土台無理のある話だ。

話は少々脱線するが、英語は比較級において比べる対象物A・Bは原型、すなわち同じ形である。しかし大学院では、全く異なる2つの事象を比較することはできない、ということを学んだ。意識的なのかどうかわからないが、英語は比較の概念を目に見える形で示す。一方、日本語ではなかなか比較の概念を実感することは難しい。そのためか日常生活において、ついつい「比較」の取り扱いを間違えてしまう。「思いつき」では祖父は旅を通じて比較の概念をおぼろげながら学んだ、そのように私は感じ取った。

日本的な「平和」の感覚は世界に共通するものではない

「自由」も短い記述だが、何回も読むと意外なことに気づかされる。祖父は大正生まれであり、日中戦争は獣医として参加した。また生前は多くは語らなかったが、第二次世界大戦の時もつらい思いをしたようだ。戦争の悲惨さはもちろん、自由な言論が許されなかった重苦しい時代を身をもって体験したに違いない。
「自由」への尊さは最初の一文の前半部分「第二次世界大戦後、我が国の得た最大のものは自由だと言われ」で身をもって感じられる。ところが最近では、戦後の自由はアメリカから「与えられたもの」という記述をよく見かける。この「得た」というのは前後文脈から「獲得した」に近いように思われ、少なくとも無条件に与えられたものではないという祖父のプライドがあったのかもしれない。

話が少々脱線したが、前半は自由の度合いについて語っている。祖父は日本を「自由に恵まれた国」としているが、西欧諸国の自由にはいくぶん驚いたようだ。ここで私が注目したのは「自由への追求」である。「島国的な閉鎖された中の自由で、一朝一夕にはまだ埋められないものがまだまだ残されている」という箇所に注目したい。間接的とはいえ日本の自由の度合いに課題を感じ、少しずつでも「埋めたい」という気持ちが伝わってきた。各国別の旅行記では「立入禁止」の立札がない西欧を評価し、何かと立札がある日本を強く批判する記述が見られる。祖父の政治姿勢はあくまでも保守だったが、自由への意識は現在の私たちよりも鋭かったのかもしれない。
後半は、自由を守るための防衛にも注目している。「先祖から受け継がれた血の濃さは戦争に対する考えが全く違っていることに驚かされた」とあり、戦争に対する認識が日本と西欧とは全く異なることに気づいたように思われる。

半世紀前の感性が求めた生活への「ゆとり」

「ゆとり」を読むには日本の時代背景を押さえておく必要がある。戦後の高度経済成長は1970年代前半に終わったとされている。高度経済成長期において日本人はしゃかりきに働き、ひたすら「経済大国」を追い求めた。1970年代には目標としていた「経済大国」に到達し、次の目標を探し求めていた時期であるように思う。この研修旅行も、広い視野で21世紀に向けた次の目標を見つけるという意図もあったのだろう。
祖父はさまざまな国が持つ「ゆとり」を鋭く観察し、生き生きと記述している。一方、日本の「ゆとり」については「もっと、のんびりとは思うものの、我が周辺はそれを許容してくれない」とあり、現状に不満を示している。これ以上細かく書かれていないが、祖父の心には日本の将来のキーワードとして「ゆとり」が印象に残ったのではないか。

ドイツ・ハイデルベルク市街(1972年撮影)

国政においては、1972年から田中内閣が「日本列島改造」をスローガンに、集中投資による地方の大規模開発や交通インフラの整備により都市部と地方の格差を解消しようとした。
一方、1970年代後半の大平内閣では「田園都市国家構想」を掲げた。「田園都市国家構想」のスローガンは「都市に田園のゆとりを、田園に都市の活力を」であり、都市住民に対してゆとりをもたらすことを意識した。残念ながら大平首相の急死、ならびに環境整備がなされなかったこともあり、実行には移されなかった。ここでは祖父だけでなく、全国レベルで当時の日本人が「ゆとり」を欲していたことに気づけばいいだろう。
ところで現在の岸田内閣が掲げる「デジタル田園都市国家構想」では大平内閣の構想をITによって実現しようとしている。今度こそ、日本人の都市住民に対して「ゆとり」はもたらされるのだろうか。

いささかこじつけ気味になったが、このエッセイからは西欧というフィルターを通じて1970年当時の日本人の価値観が垣間見られる。このように読み解くと、50年前とはいえ案外知らないことに驚かされる。
50年も経つと、私たちは紋切型に当時の日本人を見てしまいがちだ。しかし、このような一次資料を見ると、日本人の心境に変化が生じていることがわかる。今後も現代史に興味を持つ人間として、このような資料を通じて日本の現代史を観察したいと思う。