バンドワゴンに乗れば論文の引用数は稼げるが……
このまだら状の構造は、研究者にもある種の決断を促す。つまりバンドワゴンに参加し、集団の勢いの中で成果を挙げるか、それとも人のいない我が道をいくか、である。前述した人文地理の教官の話はこの点についてであったが、実際にはその両方に長所と短所がある。バンドワゴンに参加することの最大のメリットは、そこで成果を出すと、注目を浴びやすいという点である。近年の論文・引用回数至上主義の流れでは、集団的にホットな話題で成功することが、注目を集めるための常道である。実際米国のある社会学部では、新入生にそうした注目度の高いテーマを選び、目立つように、と指導していると聞いたことがある。
とはいえ、研究がこれだけなら、流行テーマ以外には何も残らなくなる。しかし現実にはそうした流行を避け、我が道をいく人もいる。実際筆者がお世話になったラボで、その主任にバンドワゴンという言葉を教えると早速「武士はバンドワゴンに乗らない」というエッセーを書いたぐらいである。
だが、この独自路線にも陰の部分があるのはいうまで もない。数学界では「フェルマーの定理には手を出すな」という言い伝えがあったらしいが、これは勿論、その解決を目指して挫折した歴史上の多くの先行者たちのことを示すのだろう(とはいえ結局証明されたが)。そこにあるのは、有限の研究人生を投入しても、結局何も出ないかもしれないという恐怖であり、フジムラ流に言えば、undoableの窪みに落ち込むことの恐ろしさである。もちろん、それでも勇敢な人々はいる。
前述した放線菌の遺伝子改変も、多くの試行錯誤を経てやっとうまくいったが、これで出発点に立っただけである。また、ゲノム解析は各所で大量に行われているが、例えば「DNAはなぜ五炭糖であるデオキシリボースを使うのか」といった根源的な問いには誰も答えられていない。ノーベル化学賞受賞者の野依良治はこうした困難な問いを探求するスイスの有機化学者が業界で大いに尊敬されているというが、追随者がいないので、バンドワゴン内のような引用数は稼げないとも指摘する。