福島真人

福島真人

(写真:Dmitry Chulov / shutterstock

研究の流行、追うべきか追わざるべきか

世界では多種多様な研究が進められているように見えるが、その内容には流行がある。流行はどのように生み出されているのか、流行に乗ることには利点があるのか、STS(科学技術社会学)の見地から紹介する。

Updated by Masato Fukushima on October, 27, 2023, 5:00 am JST

日本の人文社会系は「コア・セット」へ近づくことを怠ってきた

だが留意すべきは、こうした半ば無理やりのバンドワゴン形成が、誰にでも出来るという訳ではない、という点である。この点を指摘したのが、コリンズ(H.Collins)の「コア・セット」という考え方である。これは科学界における、強い影響力を持つ研究者の集団のことで、彼らの動向によってその分野が決まってくるという観察である。

実際この点は、STSそのものによくあてはまる。STSはいくつかの国に国際的に強いセンターがあるが、特に初期STSの立ち上げに尽力した人々はこうしたコア・セットの構成員であり、彼らの中にこうした「転回」好きが結構いる。転回宣言は、新たな流行の予告を意味する。しかしそれが実現するためには、宣言に聞き従う人々が、そのご託宣を信じていなければならない。Vogueの編集長なら次のブームを自己実現的に予告できても、他の弱小ファッション誌ではそれがむずかしいのと同じ話である。

これは国際的研究者社会における階級格差であり、その点は文理においてあまり違いはない。前述した野依氏が、自分が所属する国際的研究者コミュニティにおいて真に認められるためには、どれだけ一緒に飯を食い、ワインを飲んだかが重要だ、と指摘していたのを読んだことがある。これはまさにコア・セットに近づくためのリアルな努力の指摘と読める。その意味では、一部のアーティストが、国際アート業界の仕組みを理解し、自らそのコア・セットとしての働きを駆使して、大きな波を造ったという歴史的現実には驚くべきものがある。

他方、人文社会系ではこうした努力すら見当たらないことも多い。科学ほど成果発表の構造が標準化されていないということもあり、国際的な流行を作り出すコア・セットに近づいたり、それを自前で形成するための経験もノウハウも何もないのである。残念ながら、その実態は、かつてバブル期に流行した『金魂巻』という世相批判の本がいうそれに近い。当時日本国中がバブルに踊る様子を、様々な職業領域の人々の観察を通じて、まる金/まるビと二分し、徹底的に揶揄したものである。学者の項もあるが、容赦はない。日本に学者と呼ばれる人は多くいるが、オリジナリティ(原著では太字)のある人は殆どいない。結果海外の紹介に終始し、彼らの降り立った思想の荒野(ここも太字)は未消化物の混じったものが点々としている、と極めて手厳しい。

残念ながら反論するのは困難だが、ここには構造的な問題もある。中心から遠く離れた極東の島国にいるという文化地理学的なハンデである。流行との関わりというのは、そうしたある種「知識の地政学的な問題」とも深く係わっているのである。

参考文献
真理の工場ー科学技術の社会的研究』福島真人(東京大学出版会 2017年)
芸術起業論』村上隆(幻冬舎 2006年)
『金魂巻-現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造』渡辺和博、タラコプロダクション(主婦の友社 1984年)
不寛容な学術研究の評価 ― ある科学者の想い(その3)」野依良治(2022)
武士はバンドワゴンに乗らない」『化学と生物』47(4)長田裕之(2009)
Collins, H.(1981) The Place of the ‘Core-Set’ in Modern Science: Social Contingency with Methodological Propriety in Science, History of Science 19(1). 
Fujimura, J (1996) Crafting science : a sociohistory of the quest for the genetics of cancer ,Harvard University Press