暮沢剛巳

暮沢剛巳

浅草の羽子板市。年末に開かれ、客は縁起物として羽子板を買っていく。価格が表示されていないこともあり、店の人の口上を楽しみながら買い物ができる。

(写真:佐藤秀明

過去のものといえども、
真に価値あるものは、
常に新しさを含んでいる

大量のデータから価値を見つけ出していく工程では、キュレーションの考え方が参考になるだろう。ここでは、ありふれたものに価値を見出した「民藝」の概念を生み出した柳宗悦のはたらきを紹介する。

Updated by Takemi Kuresawa on January, 25, 2022, 0:09 am JST

戦後3度目の民藝ブーム

戦後の日本では、何度か民藝ブームと呼ばれる現象があったとされる。1度目は1950年代後半~1970年代前半にかけて、全国各地でいわゆる民藝調の家具や土産物が人気を博したことで、高度成長や「ディスカバー・ジャパン」と並行した、失われつつある農村へのノスタルジアを背景にしたものだった。2度目は21世紀初頭、テレビの情報番組などで繰り返し民藝が取り上げられたことで、「オシャレ」や「スローライフ」など、民藝が従来とは異なる形でクローズアップされたところに特徴があった。してみると、民藝をテーマとした現代アートの展覧会が開催され、また以前とは異なる切り口の情報番組が放映されたりしている現在は、戦後3度目の民藝ブームと呼べるかもしれない。

よく知られているように、民藝は今から100年近く前に思想家・哲学者の柳宗悦によって提唱された概念であり、その活動拠点となっているのが日本民藝館である。民藝を理解するためには、まず同館を訪れ、その展示を見てみなくてはなるまい。

柳の遺志を継ぐ「日本民藝館」

東京・駒場に所在する日本民藝館は旧家と見紛うようなたたずまいの小さな美術館であり、同館のパンフレットやホームページには、柳が民藝を提唱するに至った経緯が紹介されている。ごく簡潔にその概略を述べるなら、西洋美術を愛好し、大学で芸術と宗教への関心を深めた柳は、一時期知人の手ほどきで朝鮮工芸の美しさに魅了されるが、その関心は徐々に無名の工人の作り出すアノニマスな日用品へと移行し、「健康な美」や「平常の美」を宿したごく安価な日用品を、それまでの「下手物」という蔑称を「民衆的工芸」へと読み替える形で展開されていった、とでもなるだろうか。言うまでもなく、「民衆的工芸」の略語こそが「民藝」である。

日本民藝館は、現在約1万7000点のコレクションを擁している。ジャンルとしては絵画、陶磁、木工、漆工などの多岐にわたり、なかでも丹波、唐津、伊万里、瀬戸など日本各地の古陶、民藝のルーツとなった朝鮮工芸や木喰仏、アイヌや沖縄の工芸、民藝運動の同志であったバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、棟方志功、芹沢銈介らの作品は充実している。館内の雰囲気が強い一体感で満たされているのは、生前の柳がほとんどの作品を自らの眼で選び、蒐集している事実に由来するのだろう。

日本民藝館は柳が創設した美術館であり、柳の死後60年以上経過した現在も、その理念を忠実に継承した活動を展開している。その日本民藝館による民藝の定義は公式見解と言ってもよいだろう。もちろん、それとは異質な見解が打ち出される場合もある。最近でいえば、2021年~2022年に東京国立近代美術館で開催された「民藝の100年」展がその代表格であろう。タイトルが示す通り、この展示はそろそろ提唱から100年の節目を迎えようとしている民藝を回顧する意欲的な試みであり、柳の正嫡である日本民藝館の公式見解とは異質な民藝の解釈も少なからず盛り込まれている。同展は6部構成だが、個人的に特に興味深かったのが、「第4章 民藝は「編集」する」と「第5章 ローカル/ナショナル/インターナショナル」の2章であった。

陳列はそれ自身一つの技藝であり、創作である

「第4章 民藝は「編集」する」は、編集者としての柳に焦点を合わせている。多くの著作を出版した著述家である柳は、同時に自ら機関誌を編集し、民藝の広報活動を積極的に展開していた。雑誌を編集するためには、様々な情報を収集し取捨選択した上で誌面に的確にレイアウトする必要があるが、そのプロセスは様々なモノを蒐集し取捨選択した上で会場に配置する展覧会企画と共通する面が少なくない。柳自身も、各地の工芸品の蒐集と様々な工芸の情報を採録した機関誌の編集は表裏一体のものとしてとらえていたに違いない。

庭に干された帯
2012年ごろ竹富島にて撮影。伝統的な織物・芭蕉布製造の工程。糸芭蕉植物の繊維でできており、とても軽い。

他にも本章の展示では、柳が雑誌の表紙や扉絵にも人一倍凝っていたこと、書を嗜んでいた柳が「民藝フォント」とでも呼ぶべき独自の書体を考案したこと、柳が雑誌に掲載する図版のトリミングに人一倍拘っていたこと、「陳列はそれ自身一つの技藝であり、創作である」との信念のもと、民藝館での作品の陳列に細心の注意を払っていたことなどの事実が、多くの展示品によって紹介されている(柳のモダンな服飾の趣味をも「編集」の一環とみなすのは、さすがに牽強付会な気もしたが)。情報の収集と取捨選択という観点からは、いずれも重要な問題が視覚化されている。